第二十四話 思ったより、電池がありません
倉庫を出てからも、結衣は何度か掌を開いていた
そこには、さっきバルクから受け取った赤茶色の硬貨が一枚乗っている
陽の光を受けた表面には細かな傷が走り、縁の一部も少し擦れている
レオルから渡された二枚と見た目はほとんど変わらない
それでも、この一枚だけは少し特別に見えた
「……ほんとに私が稼いだんだ」
指先で摘まんで眺めているうちに、また頬が緩んでくる
仕事をして、ちゃんと役に立って、その対価として受け取った
日本にいた頃なら、給料日に口座へ数字が増えていても、こんなに嬉しくはならなかったと思う
けれど今は、この一枚が食事になる
それに、言葉さえまともに通じない自分にも、この町でできることがあった
「……ふふ」
嬉しさを隠しきれず、結衣は硬貨を指先でくるりと裏返した
『心拍数が安静時よりわずかに上昇しています』
「え、そこまで見る?」
『計測可能です』
「もう……嬉しいだけだから」
少し恥ずかしくなって頬を押さえながら、それでも笑みは消えなかった
硬貨を大切に包み、レオルから渡されていた二枚と一緒にしまう
これで三枚
そのうち一枚は、自分で働いて手に入れたものだった
「明日も行っていいんだよね?」
『バルクの発言と動作から、その可能性は高いと判断しています』
「よし」
結衣は小さく拳を握った
今日と同じ仕事があるかは分からない
それでも、明日になったら行ってみようと思える場所ができたことが嬉しかった
昼前のナールには多くの人が行き交い、荷物を抱えた人の間を荷車がゆっくり進んでいる
結衣は人の流れを避けながら歩き、胸ポケットからスマートフォンを取り出した
「AI先生、さっきの荷札の記録見せて」
『表示します』
画面が明るくなる
表示された記録を見る前に、結衣の目に時刻が入った
10:46
その上には、
2030年4月3日
と表示されている
「……もう三日なんだ」
四月一日の朝、草原で目を覚ました
スマートフォンの内部時計がこちらの世界でも正しい時間を示している保証はないものの、少なくとも端末の中ではあれから二日以上が経過している
「まだ二日ちょっとしか経ってないんだよね……」
『端末内部時刻では、2030年4月3日10時46分です』
「なんか、もっと長かった気がする」
水を探していた時間も、初めてレオルたちを見つけた時も、ナールへ入った時も、もう随分前のことのように感じられる
それだけ色々なことがあったのだろう
結衣は小さく息を吐いて荷札の記録を開こうとした
その時だった
画面上部に表示された数字が目に入る
38%
「……え?」
指が止まった
結衣は画面へ顔を近づける
「三十八?」
『はい。現在のバッテリー残量は38%です』
「え、待って」
さっきまで緩んでいた頬から一気に力が抜けた
「もう?」
もう一度日付を見る
四月三日
間違っていない
「だって、これ……普通に使ったら一週間くらい持つやつだよね?」
『メーカー想定の一般的な使用条件では、おおむねその範囲です』
「じゃあなんで三十八しかないの?」
思わず声が大きくなり、結衣は周囲を見てから慌てて口元へ手を当てた
「……ごめん、ちょっと待って」
誰に謝ったのか自分でも分からないまま、通りの端へ寄る
もう一度画面を見る
三十八
見間違いではない
買い替えたばかりの端末だった
以前のスマートフォンよりずっと電池持ちが良く、会社へ行って帰ってきて、動画を見たりAI先生と話したりする程度なら、毎日充電する必要なんてなかった
だから異世界へ来た時も、充電器がないことは怖かったものの、すぐに電池がなくなるとは思っていなかった
「AI先生、バッテリーおかしくなってない?」
『現在の計測値に異常は確認されていません』
「じゃあなんで……」
そこまで言って、結衣は自分で止まった
胸ポケットを見る
「……カメラ?」
『影響しています』
「あ」
『この世界へ到着後、通常使用時と比較してカメラの連続稼働時間が大幅に増加しています。また、音声認識、画像解析、物体比較、ローカルAI処理、音声出力も高頻度で使用されています』
言われるたびに、結衣の表情が少しずつ曇っていく
「……全部使ってる」
『はい』
「ずっと?」
『使用していない時間帯もあります』
「そういう意味じゃなくて」
思わず眉を下げた
「そっか……普通に使ってるつもりだったけど、全然普通じゃないんだ」
胸ポケットへ入れて歩いている間も、カメラを外へ向けていた
知らない動物を見つければ分析してもらい、人と出会ってからは聞こえてくる言葉を記録している
ナールへ入ってからは文字の形まで比べてもらった
今日など、バルクの倉庫で何枚の荷札を見てもらったのか分からない
「……そりゃ減るか」
納得しかけて、結衣は数秒黙った
そして、はっと顔を上げる
「いや、納得してる場合じゃない!」
両手でスマートフォンを持ち直した
「三十八しかないんだよね?」
『はい』
「これ、今までみたいに使ってたら、あとどれくらい?」
『直近の平均消費量をそのまま適用した場合――』
「待って、やっぱり怖い」
『計算を中止しますか』
「……しない。聞く」
結衣は少しだけ唇を噛んでから頷いた
『現在までと同程度の高負荷使用が継続した場合、一般的な使用条件で想定される残り稼働時間を大幅に下回る可能性があります』
「何日?」
『使用状況が一定ではないため、正確な日数は提示できません』
「だいたい」
少し間が空く
『現在と同程度の使用が継続した場合、一日から二日以内に充電が必要となる可能性が高いと推定します』
「……一日?」
結衣の声が小さくなった
『使用を抑制すれば延長できます』
「二日もないかもしれないの?」
『現在と同程度の使用を継続する場合です』
「……やだ」
結衣はスマートフォンを胸元へ引き寄せた
腕の中に抱え込むほどではないものの、指先に自然と力が入る
「それはやだよ……」
電池がなくなればスマートフォンが使えない
そんなことは最初から分かっている
けれど「いつか」と「一日か二日」は全然違った
急に期限を突きつけられたような気がした
「AI先生も止まるんだよね」
『端末が停止した場合、私も動作できません』
「……うん」
分かっている
それでも聞いてしまった
結衣は視線を落としたまま、親指でケースの縁をゆっくり撫でる
「それ、ほんとに嫌……」
知らないものを見つけても聞けなくなる
言葉を記録してもらえなくなる
何かあった時に相談する相手もいなくなる
それ以上に、呼びかけても返事が返ってこなくなることを想像すると、胸の奥がきゅっと縮んだ
「……どうしよう」
『消費電力を抑える方法を提示できます』
「うん、それもやる」
結衣はすぐに頷いた
けれど、その直後に首を横へ振る
「でも、それだけじゃ駄目」
『理由を確認します』
「だって節約したって、増えないでしょ?」
『はい』
「だったら結局なくなるじゃん」
少しだけ声が震えた
結衣は一度目を閉じ、息を吐いてからもう一度画面を見る
「充電しないと」
今度ははっきり言った
「節約もする。でも、その間に充電する方法を見つける」
『合理的な判断です』
「……こういう時くらい、もうちょっと応援してくれてもいいのに」
『充電手段の確保を推奨します』
「それは応援じゃないよ」
思わず口を尖らせたものの、いつもの返事が返ってきたことで、ほんの少しだけ肩の力が抜けた
その時、手首へ垂れていた黒い編み込みのストラップが目に入った
「あ……」
結衣はそれを持ち上げる
三十センチほどの太い組紐
普段は手首へ通してスマートフォンを落とさないために使っているが、ただのストラップではない
金属製の留め具を外すと、その内側からUSB-C端子が現れる
「ケーブルはあるんだよね」
『はい』
結衣は端子を摘まんで眺めた
日本にいれば、反対側を充電器やモバイルバッテリーへ挿せば終わる
けれど、この町へ来てからコンセントなんて一度も見ていない
「……これ、何とか使えない?」
『給電可能な機器が必要です』
「それを作るの」
『充電器を製作するという意味ですか』
「うん……たぶん」
結衣は端子を見つめながら眉を寄せる
「コンセントがないなら、電気から作ればいいんでしょ?」
『概念としては正しいです』
「作れる?」
『現時点では判断できません』
「もう……!」
期待した直後に落とされ、結衣は頬を膨らませた
「そこはもうちょっと希望のある言い方してよ」
『不確実な情報を確実であるかのように提示することはできません』
「知ってるけど……」
それがAI先生だった
結衣は小さく息を吐くと、もう一度聞く
「じゃあ、どうしたら作れるか調べることはできる?」
『可能です』
結衣の表情が変わった
「ほんと?」
『必要な条件を整理することはできます。ただし、この世界で入手可能な材料および技術については情報が不足しています』
「じゃあ、それを私が探せばいいんだ」
『はい』
「よし」
さっきまで胸の中を占めていた不安が消えたわけではない
むしろ三十八という数字は、画面を見るたびに怖くなると思う
それでも、やることが見つかると少しだけ息がしやすくなった
「何が必要?」
『最初に、利用可能なエネルギー源を確認する必要があります』
「電気?」
『電気そのものに限定する必要はありません』
「え?」
『別の形態のエネルギーであっても、電気へ変換できる可能性があります』
「例えば?」
『地球では運動、熱、光、化学反応などが電気エネルギーへ変換されています』
「ああ……」
結衣はなんとなく理解した
「自転車のライトとか?」
『回転運動を発電へ利用する機構は存在します』
「じゃあ何か回せば――」
『発電機が必要です』
「……ですよね」
そんな簡単ではなかった
それでも、電気そのものを探す必要はない
この世界にある何かを利用して電気を作れればいい
その時だった
通りの向こうに見覚えのある二人を見つけた
「あ、レオル!」
結衣の声が自然と明るくなる
レオルとガルドだった
知っている顔を見つけただけで少し安心し、結衣は小さく手を振りながら二人のところへ向かった
こちらへ気づいたレオルも手を上げる
「ユイ」
「うん」
二人のところまで来た結衣は、レオルが小さな包みを持っていることに気づいた
紐が固く結ばれているらしく、何度か引いても解けない
ガルドが隣から何かを言うと、レオルは短く返して笑った
そして、結び目へ指先を近づける
小さな炎が生まれた
「……あ」
結衣の目が大きくなる
見たことはある
ナールへ来る途中でも、レオルは同じように何も持たず火を生み出していた
あの時はただ、どうなっているのか分からない不思議な現象として見ていた
けれど今は違った
炎が紐の先を炙る
レオルが指を離すと、それはすぐに消えた
結衣はその指先をじっと見つめる
「……AI先生」
『記録しています』
「さっき言ってたよね」
『何についてですか』
「電気じゃなくてもいいって」
『はい』
結衣は胸ポケットへスマートフォンを戻しながら、それでもレオルの手から目を離さなかった
「あれ、何かに使えないかな」
『現象の原理が不明です。現時点では判断できません』
「じゃあ調べよう」
今度は迷わなかった
今までなら、不思議だと思って記録して終わっていたものだった
けれど今は、スマートフォンを充電するための何かを探している
この世界には、自分の知らない方法で火を生み出せる人がいる
なら、他にも自分の知らないものがあるかもしれない
結衣はレオルの指先を見つめたまま、胸元のスマートフォンへそっと触れた
「絶対、充電する方法見つけるからね」
『私に対する発言ですか』
「そうだよ」
『了解しました』
「……そこは、もうちょっと何かないの?」
『充電手段の探索を支援します』
一瞬きょとんとしてから、結衣は小さく笑った
「うん。お願い、AI先生」
残量は増えていない
時間だって止まってくれない
それでも、一人でどうにかしなければならないわけではなかった
結衣は気持ちを切り替えるように顔を上げると、レオルへ一歩近づいた
充電は一週間に一回とかでいいなぁって思います
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!
もしよかったら感想などいただけると、とっても嬉しいです…!




