第二十三話 初めて、自分で稼ぎました
最初の一枚は、思っていたより簡単に見つかった
結衣が札を紙の横へ置いてカメラを向けると、AI先生は少し間を置いただけで、一致する可能性の高い記号列を示した
「ここ?」
『その一段下です』
「また?」
指をずらすと、今度は正しい位置だった
「これね」
中年の男へ示すと、男は札と紙を確認してから頷き、近くにいた作業員へ何かを伝えた
作業員が札の付いていた箱を持ち上げ、倉庫の奥へ運んでいく
「これで合ってるみたい」
『作業員の行動とは整合します』
「じゃあ次」
二枚目を手に取る
今度は少し長い記号列だった
結衣にはどこが一文字で、どこから次の文字なのかさえよく分からない
「こうやって見ると、ほんとに何も読めないね」
『現時点では記号体系の区切りも確定していません』
「でもAI先生は比べられる」
『画像としての比較は可能です』
「頼りにしてます」
紙へカメラを向ける
すぐに候補が見つかった
結衣が指で示すと、また荷物が動いていく
それを何度か繰り返すうちに、最初は結衣の手元を珍しそうに見ていた作業員たちも、自分の仕事へ戻っていった
時々、別の札が持ち込まれる
結衣がAI先生に確認する
該当する場所を示す
中年の男が確認してから、作業員へ指示を出す
結衣自身は何が書いてあるのか分からないままだったが、少なくともここで求められていることは少しずつ分かってきた
「私、仕分けのお手伝いしてる感じなのかな」
『その可能性があります。ただし現在行っている作業の正式な目的は確認できていません』
「そこはまだ分かんないか」
結衣は次の札へ手を伸ばした
ところが、今度はAI先生がすぐには答えなかった
「……ない?」
『類似する候補が二件あります』
「二つ?」
『はい』
結衣は紙を覗き込んだ
「どれ?」
『上から六番目と、下部にある記号列です』
「見ても分かんないな……」
教えられた二つを見比べる
確かに似ている
むしろ結衣には同じにしか見えない
「どっちが近い?」
『形状一致率のみで判定する場合、上から六番目が高い値を示します』
「じゃあそれ?」
『推奨しません』
伸ばしかけた指が止まった
「なんで?」
『札の一部に擦れがあります』
結衣は札を持ち上げた
端の方が汚れていて、一部の線が薄くなっている
『欠損した部分を推定した場合、もう一方の候補と一致する可能性もあります』
「なるほど……」
危なかった
数字だけ高い方を選べばいいと思っていた
「じゃあ分かんないね」
『現時点の映像情報のみでは確定できません』
「うん」
結衣は札を置いた
無理に決める必要はない
昨日までなら、AI先生が分からないと言ったところで自分も止まっていたかもしれない
けれど今は、目の前にこの文字を使って生活している人たちがいる
「聞けばいいか」
『はい』
結衣は中年の男を呼んだ
名前をまだ知らないので、声をかけて手を上げる
男がこちらへ来た
結衣は札を見せ、候補になっている二つの記号列を順番に指した
「こっち? こっち?」
日本語は伝わらない
首を傾げて二つを交互に指す
男は意図を理解したらしく、札を受け取った
目を細めて確認する
それから紙の片方を指した
「あ、そっちなんだ」
『形状一致率では第二候補だった記号列です』
「聞いてよかった」
男が札の擦れている部分を指しながら何か説明してくれる
結衣には分からなかった
「AI先生、今の取れそう?」
『未確認語が多く含まれています。ただし発話と同時に、札の欠損箇所と紙面の記号を交互に示しています』
「じゃあ、やっぱり消えてた部分があるのかな」
『可能性があります』
結衣は男が指した正しい方をもう一度見る
「AI先生、これ記録しといて」
『記録します』
「同じように擦れてるの来たら、勝手に決めないようにしよう」
『了解しました』
男は結衣とスマートフォンを交互に見ていた
やがて何か短く言う
意味は分からなかったが、表情は柔らかい
結衣はとりあえず笑って返した
作業を再開する
次の札は問題なく見つかった
その次も見つかる
少しずつ紙の下へ進んでいくうちに、結衣は奇妙なことに気づいた
「ねえAI先生」
『はい』
「さっきから、これ多くない?」
札の中に何度も現れる記号を指す
形が特徴的なので、結衣でも覚えてきた
『同一と推定される記号は、現在までに確認した札のうち複数に出現しています』
「やっぱり」
同じ記号が、紙にも何度もある
「何の文字なんだろ」
『現時点では意味を特定できません』
「そっか」
少し残念に思ったところで、作業員が新しい箱を運んできた
それまでの箱より横長で、二人で持っている
地面へ下ろされた時、木の隙間から中身が少しだけ見えた
「……布?」
『繊維製品の可能性があります』
畳まれた布のようなものが入っている
その箱にも札が付いていた
結衣は何となく目を向け、さっき気になった記号が含まれていることに気づいた
「あ、またある」
でも、それだけでは意味は分からない
中年の男が箱を確認し、何かを言った
作業員も同じ言葉を返す
「AI先生、今の音、前に聞いた?」
『照合します』
少し間が空く
『昨日、衣類を扱っている可能性がある店舗付近で取得した音声に類似する語があります。また昨夜、宿の女性が結衣の衣服を指した際の発話にも近似音が含まれています』
「え」
結衣は箱を見る
中には布らしいものがある
札には何度か見た記号がある
そして今、男たちが話した言葉が、服に関係する場面でも聞かれていた
「これって……」
『現時点では仮説です』
「分かってる」
結衣は少し身を乗り出した
「でも、もしかしたらこの文字、服とか布に関係ある?」
『可能性があります。ただし商品名、素材名、商店名、所有者名など別の意味である可能性も排除できません』
「そっか、布が入ってるから布の字とは限らないもんね」
『はい』
「じゃあ覚えるだけ」
『関連付けを暫定情報として保存します』
意味が分かったわけではない
それでも昨日までただの模様にしか見えなかったものが、初めて何かとつながりかけている
結衣は少し嬉しくなった
「こうやって覚えてくんだ」
『追加の用例が必要です』
「集めよう」
次に同じ記号を見た時、そこに何があるのか
その時、現地の人が何と呼ぶのか
それを何度も重ねれば、いつか本当に読めるようになるかもしれない
結衣は札を戻し、作業を続けた
しばらくすると、机の端に積まれていた札がなくなった
「あれ」
次を取ろうとして空振りする
「終わり?」
中年の男を見る
男もこちらを見ていた
結衣が空になった場所を指すと、頷かれる
「終わったみたい」
『追加の札は現在確認できません』
「ふぅ……」
思わず肩を回した
座っていただけなのに、意外と疲れた
間違えないように紙を見て、AI先生の言う場所を探して、人に伝える
単純そうに見えて、ずっと集中していたらしい
「目疲れた」
『休息を推奨します』
「うん」
スマートフォンを胸ポケットへ戻す
そこで中年の男が何か言った
「ん?」
結衣が振り向く
男は机の向こうからこちらへ歩いてきた
手には何かを持っている
最初は何か別の札かと思った
けれど近づいてくると、それが見覚えのある色だと分かった
「……え?」
男の掌には赤茶色の硬貨があった
一枚
結衣はそれを見る
次に男を見る
男が何か言う
その中に、自分を示すらしい言葉と、さっき作業中に何度か聞いた音が含まれていた
「AI先生」
『解析しています』
結衣は動けなかった
『現時点では全文を確定できません。ただし、作業または行為を示す可能性のある語と、肯定的評価に関連する可能性のある表現を確認しています』
「これ……私に?」
自分を指す
硬貨を指す
男が頷いた
結衣は反射的にレオルを見る
レオルは少し離れたところにいた
目が合う
結衣が硬貨を指すと、レオルも頷いた
「もらっていいの?」
もう一度男へ確認する
男は結衣の手を取るような仕草をして、硬貨を差し出した
結衣はゆっくり掌を開いた
そこへ赤茶色の硬貨が一枚置かれる
小さな金属の重さが掌へ乗った
「……ほんとに?」
昨日、同じ色の硬貨を三枚もらった
今朝、そのうち一枚を使った
だから同じものをすでに持っている
それなのに、今掌にある一枚はまるで違って見えた
「AI先生」
『はい』
「これ、お金だよね」
『これまでの取引観測から、交換手段として使用される物品である可能性は非常に高いと判断しています』
「そうじゃなくて」
結衣は硬貨を指先で摘まんだ
「私がさっきやったから、くれたんだよね」
『その可能性は高いと判断します』
「……そっか」
頬が自然に緩んだ
ただ紙と札を比べただけだ
文字を読んだわけでもない
問題の意味を理解していたわけでもない
AI先生がいなければ、似た記号の違いさえほとんど見つけられなかった
それでも、自分がスマートフォンを持って椅子へ座り、AI先生に聞きながら一枚ずつ確認した時間に、誰かがお金を払ってくれた
「私、稼いだ?」
『労務への対価として支払われたのであれば、その表現は適切です』
「そこはもうちょっと普通に言ってよ」
『支払いの意図を完全には確認できていません』
「もう」
笑いながら言ったのに、声が少しだけ震えた
結衣は慌てて唇を閉じる
昨夜みたいに泣くつもりはない
これは悲しいわけでも、怖いわけでもない
ただ嬉しかった
知らない世界へ放り出されてから、食べ物も寝る場所も、ずっと誰かに助けてもらっていた
その自分が初めて、ほんの少しだけ誰かの役に立って、その結果として受け取ったものだった
「……一枚だけなのに、すごい嬉しい」
『昨日確認した食事一回分と同等の価値である可能性があります』
「そう考えたら結構すごくない?」
『観測例が少ないため、労働時間に対する報酬水準として適正かは判断できません』
「今日はそういう話じゃないの」
結衣は笑った
「初めて自分で稼いだのが嬉しいの」
『理解しました』
「ほんと?」
『結衣が金額の大小ではなく、自身の行為によって対価を得た事実を重要視していると解釈しました』
「……うん」
今度は素直に頷いた
「それ」
硬貨を握る
昨日の三枚と混ぜたくないような気持ちになった
同じ硬貨なのだから分ける意味はない
それでも、どれが自分で稼いだ一枚なのか分からなくなるのが少し嫌だった
「これだけ別にしとこうかな」
『識別を希望しますか』
「うん」
結衣は硬貨の表面をカメラへ向けた
「これ、覚えられる?」
『表面の傷および模様を画像として記録可能です』
「じゃあお願い」
『記録しました』
「なくさないようにしないと」
胸ポケットへ入れかけて、スマートフォンがあることを思い出してやめた
布で包んでいた残りの硬貨とは少し離した位置へ収める
その様子を見ていた中年の男が何か言った
結衣が顔を上げる
男は自分を指した
そして名前らしい短い音を発した
「……え?」
結衣は瞬きをする
男がもう一度、自分の胸へ手を当てる
同じ音を繰り返した
「名前?」
『自己紹介である可能性が高いと判断します』
結衣は慌てて聞き直した
男が少しゆっくり発音する
「……バルク?」
『音声としては「バルク」に近似しています』
「バルクさん」
結衣は自分の胸へ手を置く
「ユイ」
男――バルクが頷いた
次に結衣の胸元を指す
「エーアイ先生?」
今度はかなり近かった
結衣は嬉しくなってスマートフォンを軽く押さえる
「そう、AI先生」
『よろしくお願いします』
AI先生が現地の挨拶として使えそうな短い表現を返す
バルクは一瞬だけ固まったあと、昨日よりは小さな反応で笑った
「ちょっと慣れた?」
『判断できません』
「私はそう見える」
レオルがこちらへ来た
バルクと短く話す
その会話の中で、結衣は自分の名前とAI先生という音を何度か聞いた
さらに、先ほど作業中に耳へ入っていた言葉も混じっている
「AI先生、今の分かる?」
『一部のみです』
「聞きたい」
『バルクが結衣の行った作業について説明している可能性があります。また、今後を示す可能性のある語が含まれています』
「今後?」
結衣が首を傾げたところで、バルクが机を指した
次に結衣を指す
それから外の明るさを示すように手を動かし、翌日を示すと推定している言葉を使った
「あれ……」
昨日レオルと別れる時にも聞いた言葉だった
「明日?」
『翌日を示す可能性が高い語です』
結衣はバルクを指す
机を指す
最後に自分を指した
「明日、私、ここ?」
覚えている現地語をつなぎながら尋ねる
バルクが頷いた
「え」
結衣はレオルを見る
レオルも笑って頷いている
「これって……また来ていいってこと?」
『その可能性があります』
「仕事?」
『報酬を伴う作業として継続を求められている可能性はありますが、契約条件等は確認できていません』
「そこまでまだ分かんないのは分かってる」
結衣はもう一度バルクを見る
「明日、ユイ、ここ?」
バルクがはっきり頷く
続けて、机の紙を指して何か言った
全部は分からない
でも少なくとも、今日やったことを明日も求めているらしい
「……はい」
現地で覚えた肯定の言葉を使う
今度はAI先生へ聞かなくても口から出た
バルクが満足そうに頷く
結衣も笑った
昨日まで、自分がこの町で何をして生きればいいのか何一つ分からなかった
今だって、この仕事がどれくらい続くのかも、毎回いくらもらえるのかも知らない
けれど、明日もう一度ここへ来ていい
それだけは伝わった
結衣はポケットの上から、自分で稼いだ一枚をそっと押さえた
「AI先生」
『はい』
「明日も手伝ってね」
『支援します』
「二人で稼ごう」
『実作業を行う主体は結衣です』
「AI先生も働いてるでしょ」
『私は端末上で処理を実行しています』
「それを働いてるって言うの」
『定義によります』
「じゃあ私の定義では働いてます」
『了解しました』
「よし」
結衣は笑って立ち上がった
さっきまで読めないだけだった紙が、少し違って見える
まだ文字ではなく形にしか見えないものの、その形の向こう側に、この町で暮らしている人たちが何を運び、何を数え、何を確かめているのかが少しずつつながり始めていた
結衣はもう一度机の上へ目を向けてから、レオルたちの方へ歩いていった
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