第十五話 AI先生と荷車を直します
拾った木片を手にして荷車へ戻りながら、結衣はさっきまでより少しだけ歩く速度を落とした
見つけた瞬間は部品かもしれないと思ったものの、改めて手の中を見ると、ただの削れた木片に見えなくもない
指より少し長い程度の木片には土が付着していて、片側だけが何かへ差し込むためのように細く削られている一方、反対側は不自然な形で折れ、そこだけ周囲より新しい木の色が覗いていた
「AI先生、これ本当に荷車の部品かな」
『現時点では断定できません。形状から加工された木材である可能性は高いですが、荷車の欠損箇所との比較が必要です』
「違ったら、ただの木の欠片持ってきた人になるんだけど」
『その場合でも、確認後に廃棄すれば問題ありません』
「そういう問題じゃなくて、ちょっと恥ずかしいの」
『羞恥については考慮していませんでした』
「だと思った」
それでも、このまま捨ててしまって本当に必要な部品だった方が困る
結衣は木片を持ったままレオルのところまで戻り、名前を呼んだ
「レオル」
振り向いたレオルへ木片を見せてから、傾いた荷車を指す
ここまではいい
問題は、その先だった
「これ……荷車?」
口にしてから、結衣はすぐに眉を寄せた
「いや、これじゃ『これは荷車ですか』になっちゃうか」
レオルも意図が分からないらしく、木片と結衣を交互に見ている
以前なら、何とか身振りだけで伝えようとしていたかもしれない
けれど今はAI先生が少しずつ現地語を解析してくれている
「AI先生、『これって荷車の部品?』って聞きたい」
『「部品」に正確に対応する語はまだ特定できていません。「これは荷車の物ですか」に近い表現であれば、現在までの発話データから構成可能です』
「それでお願い」
『発音します』
胸元から聞こえた言葉を、結衣は頭の中で一度繰り返してみた
短い文章なのに、途中に聞き慣れない音が入っているせいで、一度ではうまく覚えられない
「待って、もう一回。少しゆっくり」
今度はAI先生が区切って発音する
結衣も小さな声で真似し、間違えたところを一度直してもらってからレオルへ向き直った
木片を見せ、荷車を指す
「これ、荷車のもの?」
自分ではまだかなりぎこちない発音に聞こえた
それでも意味は伝わったらしく、レオルの視線が結衣の顔から木片へ移る
受け取った木片を裏返して確認したあと、傾いた荷車のそばにしゃがんでいた男を呼んだ
男も最初は何気なく木片を受け取っただけだったが、折れた面を見た途端に表情を変え、車輪の中心へ視線を向ける
「あ……もしかして合ってた?」
『反応からは関連部品である可能性が高まりました。ただし確定はできません』
「でも、さっきよりそれっぽいよね」
結衣も少し離れたところから様子を見る
男は木片を車輪の中心付近へ近づけ、何かを確かめてから周囲にいた二人を呼んだ
短いやり取りが始まったものの、話す速度が速いうえに知らない言葉ばかりで、結衣にはほとんど理解できない
分かったふりをしても仕方がないので、すぐ胸元へ頼る
「AI先生、何て言ってる?」
『解析しています』
少し待ってから返事が来る
『完全な翻訳はできません。「折れる」に関連すると推定される音列が複数回使用されています。また、木片がどこにあったのかを確認している可能性があります』
「どこで拾ったか聞いてるのかな」
『その可能性があります』
ちょうど男が木片を持ったまま結衣を見る
何かを尋ねられたものの、結衣には文章として聞き取れなかった
ただ相手が木片を持ち上げているので、AI先生の推測はかなり合っていそうだった
「説明するより見せた方が早いね」
結衣は男へついてくるよう手で示し、さっき木片を見つけた場所まで戻った
「ここ」
現地語ではないけれど、地面を指せば意図は伝わる
男はすぐにしゃがみ込み、木片が落ちていた場所から轍へ視線を移した
そのまま地面を調べ始めたことで、結衣もようやく質問の意味がだいたい合っていたのだと理解した
「他にも何か落ちてないか探してるのかな」
『その可能性があります』
「だったら私も見てみよう」
結衣は男の邪魔にならない側へ移り、轍に沿ってゆっくり歩き始めた
最初の木片を見つけた時と違って、今度は自然の枝ではなく、人の手で加工された形を意識して探す
とはいえ、土の上には木の欠片や小石がいくらでも落ちていて、結衣の目だけではどれが重要なのか簡単には区別できない
「AI先生、加工されてそうなものがあったら教えて」
『映像内を確認します』
結衣は急がず、胸元のカメラへ地面が映るよう身体の向きを変えながら進んだ
数歩先で、一緒に探していた男が何かを拾い上げる
小さな金属片だった
「あっちにもあったんだ」
男はそれを持って荷車へ戻っていく
結衣も後を追いながら、壊れた車輪へ目を向けた
木片と金属片が見つかったのなら、ただ車輪がずれただけではなく、何かが壊れて外れた可能性が高そうだった
ただ、それ以上のことは結衣には分からない
「AI先生、近くで見たら何が壊れたか分かる?」
『構造を確認できれば、推定できる可能性があります』
「じゃあ見たいけど……勝手に触るのは駄目だよね」
『所有者または使用者の許可を得ることを推奨します』
「だよね」
結衣はレオルのところへ戻り、荷車を指してから自分の目を指した
「見てもいい?」
言葉が足りないせいか、レオルは首を傾げる
「やっぱりこれじゃ分かんないか」
結衣はすぐAI先生へ頼った
「『近くで見てもいい?』って教えて」
『現在までに取得した語彙と構文から、近い表現を提示します』
聞こえてきた発音を真似してみると、すぐに訂正が入った
『二語目の中央の音が異なります』
「え、どこ?」
『もう一度発音します』
結衣は口の中で何度か試してから、
「……これ?」
『先ほどより近似しています』
「日本語にない感じで難しいな」
完全に同じ発音ができている自信はない
それでも、何度も練習しているうちに話す機会そのものを逃してしまっては意味がない
「まあ、通じなかったらもう一回聞けばいいか」
結衣はレオルへ向き直り、荷車を指しながら、今教えてもらったばかりの言葉をゆっくり使った
「近くで見てもいい?」
レオルは一度荷車へ目を向け、それから結衣へ頷いた
「はい」
「あ、通じた」
思わず頬が緩む
AI先生にほとんど教えてもらった文章ではあるけれど、自分の口から現地の言葉を使って尋ね、その返事まで理解できた
こういう小さな成功を繰り返していけば、いつかは今のように一語ずつ教えてもらわなくても話せるようになるのかもしれない
「ありがとう」
今度はもう迷わず言えた
結衣は荷車のそばへしゃがみ、胸元のカメラが車輪へ向くよう身体を傾ける
「これで見える?」
『確認できます』
近くで見ると、車輪は思っていたよりずっとしっかり作られていた
中心から外側へ太い木材が伸び、その周囲を別の部材が輪のようにつないでいて、中央には車体側から伸びた太い軸が通っている
自動車のタイヤとはまったく違うものの、車輪が軸から外れないよう何かで留める必要があることくらいなら、結衣にも想像できた
「さっきの木片って、ここに入ってたのかな」
『より近距離の映像があれば比較できます』
「じゃあスマホ出すね」
結衣は胸ポケットから端末を取り出した
レオルたちと出会ってからは胸元に入れたまま使うことが多かったけれど、細かな部分を見るなら手に持った方がいい
車輪の中心へカメラを向けると、AI先生からすぐ反応が返ってくる
『車軸端部に横方向の穴を確認しました』
「これ?」
『はい』
結衣も画面越しに確認する
太い軸の端に穴が開いていて、そこには何かが擦れたような跡が残っている
「ここに棒みたいなのを差して、車輪が抜けないようにしてたってこと?」
『その構造である可能性があります。先ほど拾得した木片の形状とも矛盾しません』
「ああ、それなら私でもなんとなく分かる」
仕組みそのものは単純に見える
けれど、だからといって自分に直せるわけではない
むしろこの荷車を日常的に使っている人たちの方が、修理についてはずっと詳しいはずだった
「同じ形の木を作ればいいのかな」
『固定部品のみの破損であれば交換によって復旧する可能性があります。ただし、車輪が傾いた状態で移動していた場合、他の部位にも負荷が生じている可能性があります』
「じゃあ棒だけ直して終わりにしたら危ないかもしれない?」
『はい。車軸、車輪中央部、周辺の固定部についても確認することを推奨します』
「それはこの人たちにも伝えたいな」
結衣はそう言ってから困った
今の内容を現地語で説明できるはずがない
「AI先生、翻訳できる?」
『現在までに取得した語彙だけでは、車軸や摩耗などを含む技術的な説明を正確に構成できません』
「まだ無理か」
少し残念ではあるけれど、仕方がない
AI先生は翻訳機として完成した状態でこの世界へ来たわけではなく、結衣と同じように初めて聞く言葉を集めている途中なのだから
「だったら、見てもらおう」
結衣は近くにいた男を呼び、車軸の穴と折れた木片を交互に指した
男はすぐ頷き、何か答える
「今の分かる?」
『過去の用例との比較では「知っている」または「分かっている」に近い可能性があります』
「あ、もうそこは分かってるんだ」
結衣は少し恥ずかしくなって手を引いた
「そりゃそうだよね。自分たちの荷車なんだから」
男たちはすでに代わりになりそうな木材を持ってきて、折れた部品と太さを比べ始めていた
自分だけが特別な知識を持っているわけではない
この世界で暮らしている人には、この世界で積み重ねてきた知識がある
それを当たり前のこととして目の前で見せられ、結衣はむしろ少し安心した
「私が全部どうにかしなくていいんだよね」
『結衣がすべての作業を担当する必要はありません』
「うん。その方がいい」
自分にできないことは、できる人に任せればいい
その代わり、自分とAI先生に見つけられるものがあれば手伝う
それくらいなら、今の結衣にもできそうだった
立ち上がろうとしたところで、AI先生が声をかけてくる
『結衣、追加で確認したい箇所があります』
「まだあるの?」
『車輪の内側を映してください』
結衣は再びしゃがみ込み、荷車の下へ身体を入れないよう気をつけながら、スマートフォンだけを低い位置へ近づけた
「これで見える?」
『はい。その位置で数秒維持してください』
端末を動かさずに待つ
『車輪内側の一部に偏った接触痕が確認できます』
「接触痕って、擦れてるってこと?」
『はい。ただし通常使用による摩耗なのか、今回の故障後に発生したものなのかは判断できません』
「じゃあ、すぐ危ないってわけじゃない?」
『現時点では判断できません。車輪を回転させた際の挙動を確認すると追加情報を得られます』
「回してもらえばいいのか」
結衣は自分で触らず、男たちへ車輪を指してから手で円を描く
最初は意味が伝わらなかったものの、何度か車輪を回す仕草をすると、一人が意図に気づいたらしい
荷台が軽く持ち上げられ、別の男が車輪を手で回した
ゆっくり一周する
途中で、わずかに動きが重くなった
「あれ?」
もう一度回してもらう
今度は結衣も注意して見る
やはりほとんど同じ位置で回転が鈍くなる
「AI先生、今の同じところ?」
『はい。誤差はありますが、ほぼ同一の回転位置で抵抗が増加しています』
「じゃあ何かあるんだ」
『車輪側の変形、接合部のずれ、車軸側の異常など複数の可能性があります』
原因そのものはまだ分からない
けれど、何かがおかしいことなら結衣にも見えてきた
男たちも気づいたらしく、先ほどまで作っていた交換用の木材を一度置き、車輪を何度か回しながら調べ始める
結衣も邪魔にならない位置から一緒に見る
「どこだろ……」
『回転を継続して観察してください』
結衣は車輪の動きを目で追った
一周目では分からなかった
二周目も自信がない
三周目になって、外周の一部が通過する時だけ、隣の部材との間隔がわずかに変わっているように見えた
「……あそこ?」
結衣は指を向ける
「ちょっと内側に入ってない?」
『確認します』
短い間のあと、AI先生が答える
『結衣が指示した位置の約十センチ右側に、より大きな位置ずれが確認できます』
「惜しい」
結衣は少し笑って、指をずらした
「こっち?」
『はい』
言われてから見ると、確かに一か所だけ木材の継ぎ目がわずかに浮いている
最初からAI先生に答えだけ教えられるより、自分でも探したあとに示されると違いがよく分かった
「ほんとだ。ここだけ変」
近くの男を呼び、その場所を指す
男はしゃがんで指先で触れ、少し力を加えた
途端に表情が変わった
仲間を呼び、二人で何か話し始める
「見つけたかな」
『反応からは異常箇所として認識した可能性があります』
男たちは車輪の外周を調べ、やがて工具を使って浮いた部分を確認し始めた
会話の中には知らない言葉が多く、結衣にはほとんど分からない
「AI先生、何て言ってる?」
『技術的な語彙が多いため詳細な翻訳はできません。ただし「壊れている」に近い意味で使用されている可能性が高い既知音列を確認しました』
「じゃあ、やっぱりあそこも壊れてたんだ」
固定用の部品だけ交換して走り出していたら、また途中で問題が起きていたかもしれない
そう考えると、見つけられてよかったと思う
けれど結衣は、自分が直したような気分にはならなかった
実際に異常を見つけたのはAI先生で、それを確認し、どう修理するか判断しているのはこの世界の人たちだ
自分はその間をつないでいるだけだった
それでも今の自分には、それが少し嬉しい
「AI先生」
『はい』
「私、役に立ったかな」
『故障箇所の追加確認に寄与しています』
「それ、役に立ったってことでいい?」
『はい』
結衣の頬がふっと緩んだ
「そっか」
それだけ聞ければ十分だった
しばらくすると、荷車の持ち主らしい男が結衣のところへ来た
胸へ手を当てて何か話す
最初の部分は分からなかったけれど、最後に聞こえた言葉だけは、もう翻訳してもらう必要がなかった
ありがとう
結衣は少し驚いてから笑う
「どういたしまして……って、まだ言えないんだった」
『対応する表現は確定していません』
「じゃあ笑っとこ」
結衣は軽く首を横へ振り、気にしなくていいというつもりで手を振った
言葉そのものは伝わらなくても、男は結衣の表情を見て笑い返してくれた
そのあと修理は男たちへ任せ、結衣は邪魔にならない場所まで戻った
少しするとミラがまた水を持ってきてくれる
「ありがとう」
今度は考えなくても言葉が出た
ミラも自然に笑う
受け取った器から水を少し飲むと、歩き続けて乾いていた喉がようやく落ち着いた
そんな結衣へ、ミラが荷車を見ながら何か尋ねてきた
最初の一語だけは聞いたことがある気がしたものの、その先は分からない
結衣は無理に推測せず、すぐ胸元へ声をかける
「AI先生、今なんて?」
『解析します』
ミラの発話と視線を照合したあと、AI先生が答える
『確度は中程度です。「あれを見つけたのはあなたか」に近い質問である可能性があります』
「私が見つけたかって?」
『はい。ただし木片と故障箇所のどちらを指しているかは判断できません』
「どっちにしても、私だけじゃないんだけどな」
結衣は少し考えてから、自分を指した
次に胸ポケットから覗くスマートフォンを指す
「私と、AI先生」
当然、ミラには意味が分からない
結衣はスマートフォンをもう一度指しながら、今度は名前としてはっきり発音した
「エーアイ先生」
ミラが首を傾げる
「エーアイ……センセ?」
「うん、エーアイ先生」
結衣は嬉しそうに頷いた
ミラにとっては「AI」も「先生」も意味の分からない音なのだから、おそらく一続きの名前に聞こえている
それでも結衣が端末を指しながら何度も同じ音を口にしたことで、少なくとも呼び名であることは伝わったらしい
ミラはスマートフォンを指す
「エーアイセンセ」
「そう」
結衣は笑った
「AI先生」
『はい』
いつものように返事が返った瞬間、ミラの肩が大きく跳ねた
「わっ」
「あ、ごめん!」
結衣は慌ててスマートフォンへ手を添えた
自分にとっては毎日聞いている声でも、ミラにとっては黒い板のようなものから突然人の声が返ってきたようにしか見えない
驚くのは当然だった
「そりゃびっくりするよね……」
ミラは結衣から少し離れたものの、逃げるほどではなかった
驚いた顔のままスマートフォンを見つめ、それから恐る恐る何かを尋ねてくる
「AI先生、何て?」
『確度は低いですが、「今の声は何か」または「誰が話した」に近い質問である可能性があります』
「誰って言われても……AI先生なんだけど」
『現在の語彙では人工知能という概念を正確に説明することは困難です』
「機械もコンピューターも説明できないもんね」
そもそも、この世界の人がそれらに対応する概念を持っているのかも分からない
適当な言葉を当てはめて誤解させるくらいなら、今は無理に説明しない方がいい気がした
結衣はスマートフォンを指す
「AI先生」
それから自分の口を指し、話す仕草をしてみせる
「話す」
ミラは結衣の仕草を見てから端末を見る
「エーアイセンセ……話す?」
「あ、そう」
結衣の顔がぱっと明るくなる
「AI先生、話す」
説明としては何も足りていない
それでも、少なくともこの黒いものから声がするということは伝わったらしい
ミラは警戒と好奇心のどちらともつかない表情で、少しだけ端末へ顔を近づけた
「エーアイセンセ?」
『はい』
今度は分かっていて聞いたはずなのに、それでも声が返ってくるとミラは身体をびくっと震わせた
結衣は思わず笑ってしまい、すぐ口元を押さえる
「ごめん。でも私も最初に見たら絶対びっくりすると思う」
言葉は通じていない
けれど結衣が笑っているのを見て、ミラの緊張も少し解けたらしい
やがて自分でも可笑しくなったのか、小さく笑い始めた
その様子を見ていた周囲の人たちも、いつの間にか結衣の胸元へ視線を向けている
何人かは作業の手まで止めていた
それに気づいた途端、結衣の頬に少し熱が集まる
「……AI先生」
『はい』
「これ、結構見られてない?」
『現在、複数人が結衣および端末を注視しています』
「やっぱり」
結衣は少し居心地悪そうにスマートフォンを胸ポケットへ戻した
「目立ちたかったわけじゃないんだけどな……」
ちょうどその頃、荷車の方から声が上がった
男たちが修理した車輪を回している
先ほどのように途中で引っかかることはなく、何度回しても滑らかに動いていた
「直ったみたい」
『少なくとも無負荷状態での回転に、先ほど確認した大きな異常は見られません』
「よかった」
結衣は素直に嬉しくなった
自分が荷車を修理したわけではない
この世界の人たちは自分たちで構造を理解し、道具を使い、必要な部品を作って直している
そこへ結衣とAI先生が、少し違う見方を足しただけだった
でも、その少しで見落としていた異常を見つけられた
「こういうのなら、私にもできるかも」
『どのような行為を指していますか』
「私が知らないことは、この世界の人に教えてもらうでしょ」
結衣は修理を終えた人たちを見る
「向こうが気づかなかったことをAI先生が見つけられたら、私が伝える。私だけじゃ何もできなくても、それなら少しは役に立てそう」
『相互に不足する情報を補完するという意味であれば、有効な方法です』
「うん、それ」
結衣は満足そうに頷いた
何でも知っている人になる必要はない
自分は普通の会社員で、荷車の修理なんてしたこともなければ、この世界のことだってほとんど知らない
それでも、分からないことをAI先生へ聞き、AI先生にも分からないことは現地の人から教えてもらいながら、その間をつないでいくことならできるかもしれない
そんなことを考えていると、荷車の持ち主が再びレオルへ話しかけた
二人の会話はまだ結衣には速すぎる
ただ、途中で男がこちらを見たため、自分の話をしているらしいことだけは分かった
「AI先生、私のこと言ってる?」
『結衣を示す動作を確認しました』
「内容は?」
『解析しています』
男の発話が続く
結衣は今度こそ自分で分かる言葉がないか耳を澄ませたものの、途中で聞き覚えのある音を一つ拾っただけで、文章としては理解できなかった
無理に意味を作らず、AI先生の答えを待つ
『完全な翻訳はできません。ただし「見る」または「見つける」に関連する可能性がある音列が繰り返されています。また、男が結衣を指したあと、レオルが端末へ視線を向けています』
「スマホのことも話してる?」
『可能性があります』
「何て説明してるんだろ」
『現在の解析精度では判断できません』
「まあ、レオルもAIが何か知らないもんね」
結衣にとってAI先生は、何年も使ってきたAIの延長にある存在だった
けれどレオルたちには、その前提そのものがない
話す黒い物体を見て、何だと思っているのか
それは結衣にもまだ分からなかった
やがて会話を終えた男が結衣のところへ来る
笑顔で何かを言い、最後にもう一度ありがとうと伝えてくれた
そこだけはAI先生を待たずに理解できた
結衣も自然に笑い返す
「うん」
どういたしましての言い方はまだ知らない
だから今は、軽く頭を下げるだけにした
男はそれで十分だったようで、仲間たちのところへ戻っていく
結衣はその背中を見送りながら、胸元のスマートフォンへそっと手を置いた
「AI先生」
『はい』
「私、さっきよりちょっとだけ話せるようになった気がする」
『新規表現を複数回使用しています』
「まだほとんど教えてもらってるけどね」
『学習初期に補助を利用することは不自然ではありません』
「じゃあ、もうちょっと頼る」
『対応します』
結衣は小さく笑った
知らない言葉を一人で解読する必要はない
AI先生が聞いて、比べて、意味の候補を教えてくれる
結衣はそれを自分の耳で聞き、自分の口で使い、相手の反応を見ながら少しずつ覚えていけばいい
今日覚えた言葉なら、明日はAI先生へ聞かなくても言えるかもしれない
その次の日には、短い文章くらいなら自分で作れるようになるかもしれない
そんな小さな積み重ねなら、自分にもできそうだった
修理を終えた荷車へ荷物が戻され、休憩していた人々も少しずつ出発の準備を始める
レオルもエルガのところへ向かい、ガルドは街道の先を確認していた
結衣は立ち上がり、パジャマについた土を手で軽く払う
まだナールがどんな場所なのかは分からない
けれど、そこへ近づくほど出会う人が増え、AI先生が聞ける言葉も増えている
自分が覚えられる言葉も、きっと増えていく
結衣は胸ポケットから少しだけ覗くスマートフォンを確認してから、レオルたちのところへ歩き出した
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