↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未来が見えると勘違いされていますが、全部AI先生のおかげです 〜異世界で私だけが自考型AIを使えるので、今日も相談しながら生きていきます〜  作者: 紅茶伝
2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/31

第十二話 AI先生の翻訳が始まりました


 カン、と乾いた音が森の向こうから響く


 荷車が進むたびにその音は少しずつ近くなり、一度だけではなく、何度も一定の間隔を置いて聞こえてきた


 結衣は荷台の縁へ手を置き、木々の隙間から前方を覗き込む


「やっぱり金属っぽいよね」


『その可能性があります。音響特性は石材同士の衝突より金属を含む物体の衝突に近い傾向を示しています。ただし、音源を直接確認するまでは断定できません』


「人がいるのかな」


『人工的な作業音である可能性はあります』


「だったらいいな」


 結衣は少しだけ期待を込めて呟いた


 レオルとガルドに会えただけでも大きな安心だったけれど、他にも人がいるのなら、ここがきちんと人間の生活している世界なのだという実感がさらに強くなる


 ただ、知らない人が増えることへの不安もあった


 レオルとガルドが親切だったからといって、この世界の人が全員そうとは限らない


 それくらいは結衣にも分かる


「AI先生、もし知らない人がいたら、勝手に近づかない方がいいよね」


『レオルとガルドの反応を確認してから行動することを推奨します』


「うん、そうする」


 今の自分には二人がいる


 この土地のことを何も知らない自分だけで判断するより、二人の反応を見た方がいい


 結衣はそう決めて、再び前方へ視線を戻した


 荷車はしばらく緩やかな坂を上っていった


 道幅はこれまでより少し広くなっているように見える


 地面に残っている轍も増えていて、一本だけではなく、何度も車輪が通ったような跡が重なっていた


「AI先生、この道、さっきより使われてない?」


『路面上に複数の車輪痕と踏圧痕を確認できます。通行頻度が高い可能性があります』


「じゃあ人がいるところに近づいてる?」


『可能性はあります』


「そっか」


 嬉しくなりかけたところで、結衣は少し考え直した


「でもまだ人里とは限らないか」


『はい。作業道、交易路、複数の集落を結ぶ道路など他の可能性もあります』


「期待しすぎないようにしよ」


 そう言いながらも、結衣の視線は自然と道の先へ向いていた


 前方ではレオルとガルドが何か話している


 耳を澄ませてみるものの、聞き取れるのはところどころだけだった


 水や道のようにすでに何度も聞いた言葉なら分かる


 けれど文章になると、それだけでは何を話しているのかまでは理解できない


 ガルドが森の先を指しながら短く話し、レオルが何かを返す


「……全然分かんない」


 結衣は素直に諦めた


「AI先生、今の二人、なんて言ってた?」


『完全な翻訳はできません』


「うん、分かるところだけでいいよ」


『これまでに取得した語彙と状況情報を照合します』


 少し間が空く


『ガルドの発話には、既知の「道」と「行く」に相当する語が含まれていました。また、これまで未確定だった音列「ナール」が再度使用されています』


「ナールって、さっきレオルが言ってたやつだよね」


『はい』


「このままナールまで行くって」


『そのため「ナール」は目的地を示す固有名詞、または特定の場所を示す語である可能性が高いと判断します』


「じゃあ町の名前とか?」


『現時点では判断できません』


「だよね」


 結衣は荷台から前を見る


「ナール……」


 何度か聞いたことで、その音だけは少し耳に残っていた


 意味は分からなくても、目的地らしい


 それだけ覚えておけば今は十分だった


 少しすると、レオルが振り返った


 結衣へ向かって何かを言う


「ナール、イエスカ、トゥーラ……」


「……ごめん、無理」


 結衣が困った顔をすると、レオルも「ああ」とでも言いたげな表情になった


 それから言葉を区切るように、もう一度ゆっくり話してくれる


 けれど、ゆっくり言われたところで知らない言葉は知らない


「AI先生、お願い」


『解析します』


 結衣はレオルへ少し待ってという意味で手を見せながら、胸元のスマートフォンへ意識を向ける


『「ナール」は先ほどと同一です。「トゥーラ」は過去の発話記録に二例ありますが、意味は確定していません。「イエスカ」は初出です』


「全然足りないね」


『はい。ただしレオルは発話中、前方と結衣を交互に指示しています』


「ナールと私?」


『はい』


「ナールに私も行く、とか?」


『候補の一つです。断定はできません』


「じゃあ聞いてみる」


 結衣は自分を指す


 次に前方を指す


「結衣、ナール、行く?」


 知っている言葉だけをつなげた、かなり不格好な言い方だった


 それでもレオルには何か伝わったらしい


 すぐに頷いた


「はい。ユイ、ナール、行く」


「あ、やっぱり」


 結衣の顔が明るくなる


「私もナールに行くってこと?」


 レオルは日本語部分までは分からないものの、結衣が自分と前方を交互に指したことで意図を察したらしい


 もう一度頷いた


「はい」


「分かった」


 結衣も現地語の肯定で返した


 その言葉だけはもうAI先生に教えてもらわなくても自然に口から出てくる


 たった一つの返事なのに、それが少し嬉しかった


「AI先生、今のは私だけでできた」


『はい』


「こういうのが増えたら、そのうち普通に話せるかな」


『語彙と文法構造の習得が進めば、可能性はあります』


「頑張ろ」


 結衣が小さく笑ったところで、レオルが再び何か言った


 今度は自分の口元を指してから、


「トゥーラ」


 と発音する


「トゥーラ?」


 結衣は首を傾げた


 レオルが荷車の後ろに積まれている荷物の一つを軽く叩き、また同じ言葉を使う


 結衣は少し考えたものの、すぐに胸元へ尋ねた


「AI先生、分かる?」


『候補を更新します。過去の二例では移動中断前後に同音列が使用されていました。現在は荷物を示していますが、荷物そのものを指しているとは限りません』


「じゃあまだ分かんない?」


『はい』


「そっか」


 結衣は素直にレオルを見る


「ごめん、トゥーラ分かんない」


 自分のこめかみを指し、首を横へ振ってみせる


 レオルは少し考える


 それから荷物の中から革袋を取り出した


「あ、水?」


 違った


 革袋ではなく、その下から小さな包みを取り出している


 包みを開くと、中には以前もらった硬いパンに似た食べ物が入っていた


「パァナ」


 その言葉は結衣にも分かった


「あ、食べるの?」


 レオルはパンを指してから、少し先の道端を指す


 腰を落として座る仕草をする


「……休む?」


 レオルが何か言いながら頷く


「AI先生」


『状況から「トゥーラ」は休憩、停止、食事などに関連する可能性があります』


「なるほど」


 結衣はレオルを真似して座る仕草をする


「トゥーラ?」


「はい、トゥーラ」


 今度は伝わった


「休憩っぽいね」


『現時点ではその可能性が最も高いです』


「じゃあ覚えとく」


 結衣はもう一度、


「トゥーラ」


 と発音した


『末尾の母音がやや長い可能性があります』


「え?」


『レオルの発音は「トゥーラ」に近く、結衣の直前の発音は語尾が短くなっています』


「そこまで違うの?」


『意味の区別に影響するかは不明です』


「じゃあ一応合わせる」


 結衣はレオルの発音を思い出す


「トゥーラ」


『先ほどより近似しています』


「トゥーラ」


 レオルを見る


 レオルが笑って頷いた


「はい」


「よし」


 結衣も少し得意そうに笑った


 AI先生に聞けば意味の候補を絞ってくれる


 発音がおかしければ、そこも教えてくれる


 それを自分で口にして、レオルやガルドの反応を見れば、合っているか確かめられる


 これなら自分一人で必死に暗記するよりずっと楽だった


「AI先生、これ英会話の先生より便利かも」


『比較対象となる特定の英会話講師について情報がありません』


「そういう意味じゃないって」


 結衣は笑いながら荷台の上で身体を少し伸ばした


 レオルたちはすぐに休むわけではないらしく、荷車はそのまま進んでいる


 どうやら休める場所まで行ってから止まるらしい


 その間にも、例の金属音はだんだん近くなっていた


 カン


 カン


 少し間を置いて、また響く


 やがて森の木々が少しだけ疎らになってくる


 結衣は荷台から身を乗り出しすぎないよう気をつけながら、前を見る


「あ」


 木々の向こうに何か見えた


 人影だった


 一人ではない


「AI先生、人いるよね?」


『前方に複数の人型対象を確認しました』


「何人?」


『現在確認できる範囲では四名です。一部が樹木に遮蔽されています』


 結衣の背筋が自然に伸びる


 レオルとガルドに続いて、初めて見る別の人たちだった


 ガルドは剣へ手を伸ばしていない


 レオルも普通に荷車を進めている


 少なくとも二人にとって危険な相手ではないらしい


 道を進むにつれ、何をしているのかも見えてきた


 森の一部が開けている


 そこには切られた木が何本も積まれ、太い丸太のそばで男たちが作業をしていた


 一人が金属製らしい大きな道具を振り下ろす


 カン、とあの音が響いた


「これだったんだ」


 結衣は思わず身を乗り出した


 木材へ金属の楔のようなものを打ち込んでいる


 別の人は枝を落とし、もう一人は切った木をまとめていた


 森の中で聞こえていた音の正体が分かり、結衣はほっとする


「なんか普通に仕事してる人だった」


『木材加工または伐採に関連する作業である可能性があります』


「こういうの見ると安心する」


 何も分からない森だった場所で、人が道を作り、木を切り、荷物を運んでいる


 結衣の知っている日本とは全然違う


 それでも、人が働いて生活しているという部分だけは同じだった


 作業をしていた一人が荷車に気づいた


 レオルへ向かって大きな声で何か言う


 レオルも手を上げて返事をした


 そこから二人の会話が始まった


「……速い」


 結衣は思わず呟く


 レオルが自分へ話しかける時とは明らかに違う


 知らない言葉が次々と続き、結衣にはほとんど何も分からなかった


「AI先生、これは無理」


『発話を記録しています』


「翻訳できそう?」


『現時点では部分的な推定のみ可能です』


「どんな感じ?」


『既知語として「道」「行く」「ナール」を検出しました。また、これまで未登録の語が複数あります』


「じゃあ何の話かは?」


『ナールへ向かう経路について話している可能性があります』


「そこまで分かるんだ」


『ガルドが前方の道を指し、作業者が別方向を指示したことも判断材料に含まれます』


「ああ、言葉だけじゃないんだ」


『はい』


 AI先生も結衣と同じように、相手の言葉だけを聞いているわけではない


 カメラで仕草を見て、今までの会話と比べ、その場の状況まで含めて考えている


 ただし結衣と違うのは、それを大量に覚えて比べ続けられることだった


「やっぱり私一人じゃ無理だなぁ」


『現在の語彙数では長文理解は困難と考えられます』


「だよね」


 結衣はあっさり認めた


「だからお願いね」


『了解しました』


 作業者との話が終わる


 レオルが荷車へ戻ってきた


 そして結衣へ何か説明し始める


 最初の数語は分からなかった


 けれど「道」と「ナール」は聞き取れた


 その後はまた知らない言葉が続く


「待って、レオル」


 結衣は慌てて手を上げた


「AI先生、お願い」


『推定します』


 少し待つ


『「現在の道ではなく、別の道を使用してナールへ向かう」という内容である可能性があります』


「別の道?」


『作業者が左側の分岐を指示していたこと、レオルの発話に既知の「道」と「ナール」が含まれていることから推定しています』


「なるほど」


 結衣はレオルを見る


 左側の道を指す


「こっち、ナール、行く?」


 レオルが頷いた


「はい」


「分かった」


 それだけなら、自分でも返せる


 結衣が頷くと、レオルも安心したように前へ戻った


 荷車が分岐へ向かって動き始める


 その時、作業をしていた男の一人がガルドへ何か声をかけた


 ガルドが立ち止まる


 男はガルドの腰の剣を指し、それから森の奥を指した


 何かを話す


 ガルドの表情が少しだけ変わった


「……何?」


 結衣もつられて森を見る


 さっきまでの穏やかな空気が、ほんの少しだけ変わった気がした


「AI先生、今の分かる?」


『一部のみです』


「教えて」


『既知の「危険」に相当する語を検出しました』


 結衣の表情から笑みが消える


「危険?」


『はい。また、作業者は森の奥を指示しています』


 ガルドが短く質問する


 作業者が答えた


 その中で同じ未知語が二度聞こえた


「グレア」


 結衣にも、その音だけははっきり聞こえた


 ガルドが森を見たまま、もう一度確認する


「グレア?」


 作業者が頷いた


「はい、グレア」


「……AI先生」


『記録しました』


「何だと思う?」


『現時点では特定できません。ただし会話状況から、森の奥に存在する何らかの危険要因を示している可能性があります』


 結衣は無意識に荷台の縁を握った


「グラウとは違うの?」


『異なる音列です』


「じゃあ別の何か?」


『その可能性があります』


 ガルドが剣の柄へ手を置いた


 今すぐ抜くわけではない


 それでも、その動きを見ただけで結衣の身体に少し力が入る


 レオルもさっきまでとは違い、森の奥を慎重に見ていた


 作業者がもう一度何かを説明する


 今度はAI先生もすぐには話さなかった


 結衣は待つ


 やがて胸元から声が返ってくる


『確度は低いですが、「昨日」「見た」「グレア」「二つ」に相当する可能性のある語の組み合わせを確認しました』


「昨日……二つ?」


『はい。ただし数を示す語については未確定です』


「じゃあ、昨日ここでグレアを二匹見たとか?」


『可能性の一つです』


 結衣は森を見る


 何がいるのかは分からない


 グラウより危険なのかも分からない


 ただ一つ分かるのは、剣を持っているガルドが警戒し、火を使えるレオルまで表情を変えたということだった


「……できれば会いたくないな」


 結衣が小さく呟く


 ガルドがレオルへ何か言う


 今度は結衣にも「道」「ナール」「行く」という言葉が拾えた


 レオルが少し考えてから頷く


 そして荷台の結衣を見る


「この道、ナールまで行く。危険……グレア。分かった?」


 完全には分からない


 けれど、さっきまでよりずっと意味が見える


 結衣は森を見てから、レオルへ視線を戻した


「うん」


 少し緊張した声で答える


「グレアがいるかもしれないんだよね」


 日本語の部分までは伝わらなくても、グレアという言葉と結衣の表情で意味は伝わったらしい


 レオルが頷いた


「はい」


 結衣は胸元へ手を添えた


「AI先生」


『はい』


「もし何か見つけたら、すぐ教えて」


『了解しました。映像および音声から周辺監視を継続します』


「お願い」


 今までなら、何がいるのか分からないこと自体が怖かった


 今も怖くないわけではない


 けれど少なくとも、レオルたちが警戒している理由をAI先生が少しずつ拾ってくれる


 知らない言葉があれば記録して、同じ言葉が出れば比べてくれる


 そして結衣自身も、その助けを借りながら一つずつ覚えていける


 グレア


 今はまだ、それが何なのか分からない


 だから結衣は無理に意味を決めなかった


 ただその音だけを覚え、森の奥へ視線を向ける


 荷車は作業場を離れ、教えられた別の道へ入っていった


 後ろでは再び木を打つ金属音が響き始める


 カン、と聞こえるたびに少しずつ遠ざかり、その代わり道の左右を覆う森が再び深くなっていく


 結衣は荷台の上で姿勢を正した


 ガルドはさっきより森を見る回数が増えている


 レオルも時々手を止め、周囲へ耳を澄ませている


 その様子を見ながら、結衣も胸元のスマートフォンへそっと指を添えた


 自分にはまだ、この世界の言葉も、この森の危険も、ほとんど分からない


 それでもAI先生が一緒に聞いて、見て、考えてくれるなら、分からないものを一つずつ減らしていくことはできる


 そしていつかは、AI先生が訳してくれるより先に、自分でレオルたちの言葉へ返事ができるようになりたい


 そう思いながら、結衣は今覚えたばかりの「グレア」という音の正体が森から現れないことだけを、少しだけ願っていた

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!

もしよかったら感想などいただけると、とっても嬉しいです…!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。