第6話 本当に怖いこと
「俺はまた君を殺す」
その言葉を聞いて、私は不思議なくらい冷静だった。怒りもしなかったし、泣きもしなかった。ただ、この人は本当にそうするのだと思った。私が何を言っても、泣いても、縋っても、生きたいと言っても、王都と私を天秤にかけることになれば、三度目と同じように王都を選ぶ。
「分かった」
「何が」
「あなたが殺すってこと。だから、その前に方法を見つける」
「……」
「殺されなければいいんでしょ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないから三年使うの」
私は床に落ちていた古い記録を拾った。
『聖痕、満ちる時、都を灼く。器を断ちて鎮む。』
器を断つ。つまり私を殺す。でも本当にそれしかないのか。
「この記録、もっと古いものは?」
レオンを見る。彼は少し黙ってから答えた。
「ある」
アルベルトが睨む。
「レオン」
「もう遅いだろう。彼女は知った。三度目より早く」
アルベルトの顔が変わった。
私は二人を見る。
「……待って。三度目より早くって何? 殿下、三度目を知ってるの?」
「覚えているわけじゃない」
「じゃあ、どうして今そんな言い方をしたの」
レオンがアルベルトを見る。アルベルトはしばらく黙ったあと、諦めたように口を開いた。
「俺が話した。昨日、旧礼拝堂を出たあとに」
「何を」
「前の繰り返しでは、君が聖痕の正体まで辿り着いたのはもっと後だった。それだけだ」
「それだけ?」
「時が巻き戻っていることも聞いた」
レオンが答えた。
「ただし、僕自身に前の記憶はない。アルベルトから聞いた話しか知らない」
それなら言葉の意味は通る。少なくとも、レオンまで同じ記憶を持っているわけではない。
「古い記録を見せてください」
「リディア」
「見る」
「駄目だ」
「もう私が聖痕の器だって知ってる」
「それ以上が危険なんだ」
「何が」
また答えない。私はレオンを見る。
「お願いします」
王太子は少し迷ってから歩き出した。
「こちらだ」
アルベルトが舌打ちする。初めて聞いたので、少しだけ面白かった。
◇
禁書庫のさらに奥。最深部の扉には三つの鍵がついていた。レオンが二つを開け、最後の一つは自分の指を切って血を鍵穴へ落とした。扉がゆっくり動く。
「王家の血?」
「そういうこと」
「ずいぶん趣味が悪いですね」
「僕もそう思う」
中は小さく、棚も一つしかない。そこに十冊にも満たない本が並んでいた。
「これは?」
「王家が聖痕を作った頃の記録」
私は動きを止める。
「作った?」
「自然に生まれたものじゃない。聖痕は元々、王都を守る術だった」
レオンが一冊を開く。古すぎて文字が読みにくい。
「外敵の侵攻、大火、疫病。そういう危機に際して、王家の魔力を一人の器へ集め、時間そのものを巻き戻す」
「……時間?」
心臓が跳ねた。アルベルトが目を閉じる。知っていたのだ。
「どのくらい?」
「記録では最大三年」
三年。私が戻る時間。
「じゃあ、私が死ぬと三年前に戻るのは」
「聖痕の力だ。本来の用途に近い」
「でも私は時間を戻そうとしてない」
「そこが問題なんだ」
レオンがページをめくる。
「術の発動条件は、器の死」
「死んだら戻る?」
「正確には違う」
アルベルトが言った。私は彼を見る。
「何が」
「死を拒絶した時だ。器が死ぬだけでは戻らない」
一度目、私は自殺した。二度目は自分から殺してくれと頼んだ。
「私、死にたがってた」
「理性ではな」
「何それ」
「死に際に、君は毎回、生きたいと願っていた」
胸が鳴る。
「嘘」
「嘘じゃない。一度目、君は自分で毒を飲んだ。それでも最後には俺の服を掴んだ」
記憶の底で、確かに何かを握っていた。
「二度目も、短剣が刺さったあと、君は俺にしがみついた」
「ありがとうって言ったんでしょ」
「言った」
「笑って」
「ああ。そのあと泣いた。嫌だ、死にたくない、と」
頭の奥が痛む。記憶が戻る。短剣、胸、冷たい床。私は笑っている。
『ありがとう』
そのあと息ができなくなり、急に怖くなった。
『……嫌。アルベルト』
『ここにいる』
『死にたくない』
『分かってる』
『怖い』
『分かってる』
白い光。
「……っ」
私は棚につかまった。
「思い出したか」
頷けない。でも否定もできない。私は死にたがっていた。それでも死ぬ瞬間には、生きたいと願った。
「そんなの、ずるい」
誰に言ったのか分からない。自分で死ぬと決めたのに、その最後で翻した弱さが世界を戻した。三回も。
「じゃあ三度目も?」
「そうだ」
「生きたいって言ったから?」
「三度目は最初から言っていた」
「だから戻った」
「ああ」
そこで一つ気づく。
「何であなたも覚えてるの?」
アルベルトが黙った。
「私が術を使ってるなら、普通、ほかの人の記憶は?」
「残らない」
レオンが答える。
なら、なぜアルベルトだけが毎回覚えている。
「何で?」
「それは」
レオンが言いかけたところで、アルベルトが遮った。
「帰るぞ」
「待って」
「今日は十分だ」
「まだ」
「十分だ!」
怒鳴る。露骨すぎた。
「何を隠してるの」
「リディア」
「私が死ぬこと以外にもあるのね」
「ない」
「嘘。じゃあ答えて。何であなたは覚えてるの?」
アルベルトが目を逸らした。
「偶然だ」
「そんなわけない」
「俺にも分からない」
「嘘」
私はレオンを見る。
「殿下。知ってますね」
レオンはアルベルトを見た。それだけで分かった。
「教えて」
「レオン」
「教えてください」
「言うな」
アルベルトの声が強くなる。
「どうして? 私の話でしょ。私が死ぬんでしょ。私の身体で、私の命で。それなのに何で私だけ知らないの」
アルベルトの顔が歪んだ。レオンが小さく息を吐き、本を開いた。
聖痕の構造を描いた図。中央に器。そこから一本の線が伸び、もう一人の人間につながっている。
「これは?」
「介添え」
「介添え?」
「器の死の瞬間、その意識と最も強く結びついた者」
背中が冷える。
「……殺した人?」
「必ずしもそうじゃない。古い記録では『器が最後に求めた者』とも書かれている。聖痕が発動する瞬間、その相手に術の残滓が移る。記憶もその一つだ」
私は何も言えなくなった。
一度目。毒で息ができなくなった私は、アルベルトの服を掴んだ。
二度目。短剣を受けたあと、彼にしがみつき、名前を呼んだ。
三度目。塔の上で生きたいと泣きながら、最後まで彼に縋った。
アルベルトが聖痕に選ばれたのではない。
三度とも、死ぬ瞬間の私がアルベルトを選んでいた。
「……私が、あなたを?」
アルベルトは目を伏せた。
「最後に君が求めたのは、毎回俺だった」
胸の奥が痛んだ。三度死んでも、最後に求めた相手だけは変わらなかった。そのせいで彼は三度分の死を抱え、私と同じ時間を覚えている。
「見せて」
「何を」
「聖痕。残滓があるんでしょ」
「表には出ない」
「嘘」
三度目の記憶。塔の上で私を掴んでいた彼の腕。袖口の下に黒いものがあった。
「腕、見せて」
「嫌だ」
「見せて!」
袖を掴む。アルベルトが腕を引いたが遅い。布がずれ、手首から肘へ黒い紋様が伸びていた。私の聖痕によく似ている。ただ、少し薄い。
「……何これ」
「残滓だ」
「いつから」
「一度目から」
「死ぬたびに増えてる?」
「……ああ」
「三回分?」
「ああ」
「四度目は?」
誰も答えない。レオンが本を閉じようとするので、その手を押さえた。
「四度目はどうなるの」
「リディア」
「答えて」
「知らなくていい」
アルベルト。その言い方が、今までで一番怖かった。
「殿下」
レオンが目を閉じる。
「残滓には限界がある。器の聖痕を受け続ければ、三度までは残滓だが、四度目で介添えが新しい器になる」
何も聞こえなくなった。
「……つまり、次に私を殺したら、あなたが?」
アルベルトは答えない。
「問題ない」
「何が問題ないの!」
「君は助かる」
「助からないでしょ!」
「少なくとも君は器ではなくなる」
「じゃああなたは?」
レオンが補足する。
「年齢は関係ない。器になった時点から、聖痕は成熟を始める」
「どのくらい」
「個人差がある」
「だいたい!」
アルベルトが答えた。
「三年。長くてな」
あまりに平然と言う。
「だから何」
「何でもない」
「何でもなくない!」
「君が死ぬよりいい」
一瞬、理解できなかった。
「……何?」
「君を四度目に殺せば、君の聖痕は俺に移る。君はもう死ぬ必要がない」
「代わりにあなたが死ぬ」
「そうなる」
迷いがない。
私はようやく、今回の彼が最初から私を遠ざけようとした理由を理解した。婚約を破棄する。何も知るな。俺から離れろ。四度目の死が避けられず、自分が次の器になるなら、その先で私が彼を追わないように、今のうちに嫌われるつもりだったのだ。婚約を切れば私が三度目より早く危険へ近づく可能性まで承知の上で。肝心なことだけ、何一つ言わずに。
「最初から、そのつもりだったの? 四度目は私を殺して、自分が代わりになるつもりだった?」
「必要なら」
手が出た。乾いた音が響き、アルベルトの頬を叩いていた。彼は避けなかった。
「馬鹿。大馬鹿」
「ああ」
「私がそれで喜ぶと思ってるの?」
「思っていない」
「じゃあ何で!」
「ほかに方法がない」
「探すって言った!」
「三度目に探した」
「まだある!」
「なかった!」
「じゃあ作る!」
「リディア!」
「嫌!」
自分でも子供みたいだと思う。それでも嫌だった。
「私が死ぬのも嫌。あなたが死ぬのも嫌」
アルベルトが何も言えなくなる。
「何で二つしかないの。何でどっちか死ななきゃいけないのよ」
誰も答えない。私はアルベルトの袖を掴んだ。その下に三回分の私の死がある。
「次は殺させない」
「リディア」
「絶対に」
「災厄が起きれば」
「その前に止める」
「無理だった」
「今までは。でも今回は違う」
「何が」
「私が全部知ってる。それに、あなたが死ぬってことも」
三度目までの私は知らなかった。だから同じやり方を選べた。でも、もう無理だ。
「アルベルト。四度目に私を殺したら、あなたを一生許さない」
「君は死んでいる」
「戻ったら許さない」
「戻らないかもしれない」
「じゃあ死ぬ前に許さない」
彼が一瞬だけ笑った。本当に少しだけ。九年分くらい疲れた顔で。
「面倒だな」
「誰のせいよ」
「俺だ」
「それ言えば済むと思ってる?」
「思ってない」
その時初めて、四度目の人生で私は、この人を助けたいと思った。
自分だけではなく、二人とも。
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