第5話 私を殺してください
三度目の私は、死にたくないと言った。
その言葉が頭から離れなかった。馬車に揺られていても、夕食の席でも、夜になってもずっと。一度目は自分で毒を飲み、二度目はアルベルトに殺してくれと頼んだ。三度目だけ、私は生きようとした。それなのに死んだ。
なら、三度目に何があった。
「お嬢様。今日はもうお休みください」
寝台の脇でセシリアが言う。
「眠れない」
「昨夜もそう仰っていました」
「じゃあ二日くらい寝なくても平気」
「平気ではありません」
「死にはしないわ」
言ってから自分で嫌になった。セシリアも少しだけ顔を曇らせる。
「……最近、そういうことをよく仰いますね」
「ごめん」
「何かございましたか?」
「ない」
嘘。でも話せない。話してしまえば、また同じことになるかもしれない。アルベルトの言葉を信じるなら、私は何かを知る。そして死ぬ。
では知らない方がいいのか。そんなはずはない。三度目の私は、きっと知った上で生きようとした。その方法を、私はまだ知らない。
「セシリア」
「はい」
「明日、王宮の書庫に行く」
「またですか?」
「調べたいものがあるの」
「何を?」
少し考える。
「死なない方法」
セシリアが固まった。
「……冗談よ」
「笑えません」
「私も」
◇
翌朝、アルベルトから手紙が来た。短かった。
『今日は家から出るな。』
以上。
「命令?」
私は紙を裏返した。何もない。
「誰からです?」
「人殺し」
「アルベルト様ですね」
「何で分かったの」
「ほかにいらっしゃいます?」
私は手紙を丸める。
「王宮へ行く」
「お嬢様」
「行くったら行く」
「アルベルト様は何と?」
「家から出るなって」
「では」
「だから行くの」
セシリアが深く息を吐いた。
「最近のお嬢様、少し面倒です」
「知ってる」
「アルベルト様もお気の毒に」
「二回は私を殺してるけど」
「はい?」
「何でもない」
危ない。最近、口が軽い。
「馬車を」
「もう用意されております」
「さすが」
「旦那様が、どうせ行かれるだろうと」
父まで。
◇ ◇
王宮書庫の古い記録は地下に保管されている。王家の系譜、儀式、禁術、歴代の聖職者による記録。一般の貴族が閲覧できるものは限られているが、私は侯爵令嬢で、つい先日までクラウゼ公爵家との婚約発表を控えていた。それなりに顔は利く。
「何をお探しですか?」
「過去百年ほどの、王都で起きた異常現象」
「異常現象?」
「火災とか、疫病とか。魔術災害も」
司書の手が止まる。
「魔術災害は王立魔術院の管轄ですが」
「王家の記録には?」
「ございますが、閲覧制限が。王族、または国王陛下の許可を得た者のみです」
やっぱり。ため息をついた時、後ろから声がした。
「僕なら見られる」
振り返る。レオンだった。
「殿下」
「また会ったね。何を探しているんだい?」
「少し」
「異常現象?」
司書との会話を聞かれていたらしい。
「秘密です」
「なら余計に気になる」
「殿下」
「冗談だよ」
レオンは司書へ向き直る。
「彼女に禁書庫の閲覧許可を。僕が同伴する」
胸の奥がざわつく。アルベルトは、レオンを信用するなと言った。でも今のところ、レオンは私を助けている。
「どうする?」
「お願いします」
◇ ◇ ◇
禁書庫は地下二階だった。空気が冷たい。壁一面の棚には、鎖で固定された本まである。
「何を探している?」
「人が死ぬことで止まる災害」
自分でも物騒だと思う。レオンも眉を上げた。
「ずいぶん具体的だね」
「そういう伝承、ありませんか」
「生贄の話なら山ほどある」
「生贄じゃない。一人の人間が、生きているだけで災害になるような」
レオンの足が止まった。一瞬。本当に一瞬。
「……どうしたんです?」
「いや」
「何か知ってる?」
「知らない」
否定が早い。私はレオンを見る。彼は笑った。
「そんな目で見ないでくれ」
「今、何か思い出した顔でした」
「君は昔から鋭いね」
昔から。その言葉も引っかかる。
「殿下。三年後に私が何か大きな災害に関わると言ったら、どう思います?」
「昨日から妙なことばかり言うね」
「答えてください」
レオンはしばらく黙った。
「あり得ないとは言わない。君はフェルマー家の娘だから」
「家?」
「知らない?」
レオンは棚から一冊抜いた。古い革表紙に王家の紋章がある。
「フェルマー侯爵家が王家の傍流なのは知っているね」
「それくらいは」
「問題は血筋そのものじゃない。フェルマー家が、王家から何を引き受けてきたかだ」
古い系譜図。王家から伸びる枝。その中にフェルマーの名があり、何人かの名前の横に同じ印が記されている。円の中に縦線。
「これは?」
「聖痕」
「何の」
「王家が昔使っていた禁術の名残だ」
レオンの指が一人の女性の名前で止まる。百年以上前、十九歳で死亡。その次は二十二歳。また次は二十歳。皆、若い。
「どうして、みんな若くして死んでるの」
レオンは答えず、ページをめくった。そこには古い文字で一文だけ書かれていた。
『聖痕、満ちる時、都を灼く。器を断ちて鎮む。』
意味は分かる。分かってしまう。
「器を断つ……殺すってこと?」
レオンが本を閉じた。
「今日はここまでにしよう」
「待って。私も? 私にも、それがあるの?」
「分からない」
嘘だと思った。
その時、後ろで扉が激しく開いた。
「リディア!」
アルベルトだった。息を切らしている。こんな彼は初めて見た。
「何を読んだ」
「アルベルト」
「何を読んだ!」
真っ先にそれだった。レオンが前に出る。
「落ち着け」
「黙れ」
アルベルトは怒っているのではない。怯えている。私が何かを知ってしまったことに。
「聖痕」
そう言った瞬間、アルベルトの顔から血の気が引いた。
「……どこまで」
「器を断てば鎮まるって」
彼が目を閉じた。遅かった。その顔が何よりの答えだ。
「私なんだ」
「違う」
「嘘」
「違う」
「じゃあ何でそんな顔するの」
アルベルトが答えない。私は本を奪い取り、もっと何かないかとページをめくる。一枚の紙が床に落ちた。古い本には不釣り合いな新しい羊皮紙で、王立魔術院の印章が押されている。
拾って目を走らせる。羊皮紙そのものは私が幼い頃に作られた観測記録だった。王立魔術院の印章の下、「顕現予測日」の欄には、今から三年後の冬至翌日が記されている。そして、その下に比較的新しい字でこう書かれていた。
『フェルマー侯爵令嬢リディア。聖痕顕現の可能性高し。二十二歳を越えさせるべからず。』
息が止まった。
「……これ、何」
アルベルトが紙を奪う。でももう遅い。
「二十二歳を越えさせるなって。私、生きてたら何が起きるの」
「何も起きない」
「嘘」
「起こさせない」
「違う。分かった。一度目の私も、これを知ったんだ」
だから自分で毒を飲んだ。二度目も同じことを知って、アルベルトに殺してくれと頼んだ。三度目は別の方法を探した。
「王都がどうなるの」
誰も答えない。
「何人死ぬの」
「リディア」
「何人!」
「分からない!」
「じゃあ最大で!」
沈黙。それで十分だった。何百、何千、もっと。王都には数万人が住んでいる。
「……私が生き続けたら、みんな死ぬの?」
「そうなる前に止める」
「だから三回とも、私は二十二歳で死んだの?」
彼が黙る。
「三度目、私たち、止めようとしたんだ」
「……そうだ」
「だから私は死にたくないって言った。方法を探した」
「そうだ」
「見つからなかった?」
「見つけたと思った」
「何をしたの」
「聖痕を分離しようとした」
「それで?」
「失敗した」
塔の記憶が戻る。夜。風。赤い空。黒い紋様が腕から胸へ広がっている。遠くで何かが爆ぜ、人の叫び声が響く。
『嫌。死にたくない』
『分かっている』
『助けて』
『助ける』
私はアルベルトにしがみつく。
『生きたい』
次の瞬間、身体が宙に浮いた。
「……あなた。私を突き落とした」
「……ああ」
「私が生きたいって言ったのに」
「ああ」
「殺した」
「ああ」
「何で」
アルベルトの唇が震える。
「もう始まっていたからだ」
「何が」
「災厄が。君を生かしたままでは、王都が消えるところだった」
責めたかった。三度目だけは私の意思を無視した、と。でも違う。アルベルトは私か王都かを選び、王都を選んだ。
「……何人」
「何だ」
「三度目、私が死ぬまでに何人死んだの」
アルベルトが目を閉じる。
「七百六十三人」
具体的な数字だった。だから本当だ。
「私が殺したの?」
「違う」
「でも私が生きてたから」
「違う!」
アルベルトが私の肩を強くつかむ。
「君じゃない。君が望んだことじゃない」
「でも」
「違う!」
その声を聞いた瞬間、塔の記憶がさらに戻った。
『君のせいじゃない』
『だったら私を殺して』
違う。その前に、私は確かに生きたいと言った。けれど最後には、また頼んだのだ。
「……思い出した」
アルベルトの顔が固まる。
「最後、私はまた殺してって言った?」
「リディア」
「そのあと何て言ったの」
「言わない」
「アルベルト」
「それだけは言わない」
「何で」
彼の目が赤かった。
「君は三回とも、最後に俺を許した。俺は一度も、自分を許していない」
禁書庫が静まり返る。レオンも何も言わない。
一度目は逃げた。二度目は受け入れた。三度目は抗った。全部失敗した。
でも、四度目はまだ三年ある。
「方法を探す」
アルベルトが首を振る。
「無理だ」
「三度目に失敗しただけ」
「何十通り試したと思ってる」
「なら何百通りやる」
「リディア」
「死にたくない」
自分で言って、少し震えた。三回死んだ人間が、死ぬのが怖いと言うことを情けないと思っていた。でも違う。
「私、死にたくない。だから今回は殺さないで」
アルベルトの顔が、ほんの少し崩れた。それでも彼は笑わなかった。
「……約束できない」
「何で」
「君が王都を焼き始めたら、俺はまた君を殺す」
私は何も言えなかった。
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