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婚約者は、私を三回殺している。  作者: 堀吉 蔵人


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第4話 最初の嘘


 王宮の旧礼拝堂は、使われなくなって二十年以上になる。新しい礼拝堂が建てられてからは儀式にも使われず、王族がたまに昔を懐かしんで立ち寄る程度だ。

 二度目の人生で、どうして私はそんな場所にいたのだろう。


「行かない方がいいと思いますけど」


 馬車の中でセシリアが言った。


「何で?」

「昨日、アルベルト様とあれだけ揉めていらしたので」

「別に揉めてない」

「花瓶を投げようとされたと聞きました」

「誰から」

「旦那様から」

「投げてない」

「投げようとはされたんですね」

「結果が大事よ」


 セシリアがため息をつく。馬車の窓から白い石造りの王宮が見えてきた。何度も来た場所なのに、今日は初めて見るような気がする。

 レオンには返事をしていない。アルベルトにも、何時に行くとは伝えていない。それでも二人とも来るような気がしていた。

 その予感は当たった。



 旧礼拝堂の前に立っていたのはアルベルトだった。


「遅い」

「何でいるの」

「来ると言っただろう」

「時間は言ってない」

「午後と言った」

「午後って長いけど」

「君は昔から昼食のあとすぐ動く」


 そうだった。腹が立つ。


「レオンは?」

「知らない」

「手紙のこと、知ってたでしょ」

「ああ」

「なら来るって分かってるじゃない」

「来るかもしれない」


 アルベルトは礼拝堂の古い木の扉を見る。金具は少し錆びていた。


「先に入る」

「待って。怖い?」

「何でそう思う」

「顔」

「どんな顔だ」

「嫌そう」

「嫌だ」


 即答だった。


「ここに来たくなかった?」

「ああ」

「でも来た」

「君が来るからだ」


 胸が少しだけ動いた。嫌だ。こういう言い方をされると、まだ好きだと気づかされる。

 私は扉に手をかけたが、アルベルトが手首をつかんだ。身体がびくりとする。彼もすぐ離した。


「悪い」

「……何」

「先に俺が入る」

「どうして」

「何があるか分からない」

「何もないでしょ」

「そうならいい」


 アルベルトが扉を押す。軋む音と一緒に、冷たい空気が流れてきた。光の届かない内部から、石と埃と古い蝋の匂いがする。

 胸が痛んだ。夢と同じ匂いだった。


「……ここ」


 中へ入る。足音が響いた。中央に祭壇、左右に古い長椅子、奥には王家の紋章。その祭壇の前で、私は立ち止まった。


「ここで、あなたに刺された」

「ああ」

「血は?」

「残っていない」

「誰か掃除したの?」

「俺がした」


 顔を上げる。


「あなたが?」

「ああ」

「何で」

「見られたくなかった」

「誰に」

「誰にも。君がここで死んだことを知っているのは、俺だけだった」


 おかしい。


「待って。じゃあ私、どうやってここに来たの? レオン殿下から呼び出されたんじゃないの?」

「違う」

「でも今回の手紙には」

「今回は、そう書いてある」

「今回は?」

「二度目は違った」

「何が」


 アルベルトが答える前に、背後で扉が開いた。


「リディア?」


 振り返る。レオンだった。金色の髪に穏やかな青い目。華やかな王太子の服装が、古びた礼拝堂では少し浮いて見える。


「やっぱり来ていたんだね」


 そしてアルベルトを見ると、笑みが消えた。


「君もか」

「悪いか」

「いや」


 レオンは私へ視線を戻した。


「手紙、読んでくれた?」

「読みました」

「なら良かった」

「どうしてここを指定したんですか」


 レオンが少し驚く。


「人目がないからだけど」

「ほかにも場所はあります」

「そうだね」


 ほんの一瞬、返事が遅れた。

 アルベルトが私の前に出る。


「帰れ、レオン」

「君に命令される筋合いはない」

「ここは使われていない」

「知っているよ」

「ならなおさらだ」


 二人の間に妙な空気が流れた。私はレオンを見る。


「殿下。三年後、この礼拝堂で何か起きるとしたら、どう思います?」

「ずいぶん変な質問だね」

「答えてください」

「何が起きるかによる」

「人が死ぬとか。たとえば、私がここで殺されたら」


 空気が止まった。レオンが笑わなくなる。


「……誰かに脅されているの?」

「答えになってません」

「そんなことを突然言われても」

「知らないんですね」

「当たり前だろう」


 少なくとも演技でなければ、レオンは覚えていない。


「すみません。変なことを聞きました」

「いや。何かあるなら相談してほしい。アルベルトに何かされた?」


 アルベルトの表情が冷える。私は二人を見ながら、ふと一度目の記憶を思い出した。

 レオンはあの時も言った。何かあれば相談してほしい。アルベルトに何かされたなら、自分が助ける、と。

 いつだった。

 頭の奥が痛む。銀の杯。宴。笑い声。レオン。アルベルト。私は杯を持っている。いや、誰かから渡された。アルベルトだ。そうだ。だから私はずっと、彼が毒を入れたのだと思っていた。

 でも、その前。


「……机」


 声が漏れた。


「何?」


 レオンが聞く。私はもう礼拝堂を見ていなかった。一度目の王宮の小部屋。宴の前。机の上の小さな瓶。透明な液体。そして、自分の手。


「違う……」


 息が苦しくなる。アルベルトが近づく。


「リディア」

「触らないで」


 彼が止まった。

 記憶が戻る。宴が始まる前、私は自分の名が刻まれた銀の杯へ小瓶の液体を注ぎ、それを何食わぬ顔で卓上へ戻した。あとで何も知らないアルベルトが、その杯を私に手渡したのだ。


「……嘘」


 膝から力が抜け、アルベルトが支える。今度は振りほどけなかった。


「私が、毒を入れたの?」


 アルベルトは答えない。その沈黙が答えだった。

 レオンが眉を寄せる。


「何の話だ?」

「殿下。少し、二人にしてください」

「でも」

「お願いします」


 レオンは私とアルベルトを交互に見てから、ようやく頷いた。


「分かった。何かあったら呼んで」


 扉が閉まる。二人きりになった。


「知ってたのね」

「ああ」

「だから昨日、一度目はあなたじゃないって」

「ああ」

「じゃあ私、自殺したの?」


 アルベルトが目を伏せた。


「そうだ」


 世界がひっくり返った気がした。一度目だけは、アルベルトが助けようとしてくれたのだと思っていた。でも始まりは違った。私は自分で毒を飲んだ。


「何で?」

「それを思い出すな」

「無理よ。何で私は死のうとしたの?」

「聞くな」

「知りたい」

「駄目だ」

「私のことでしょ!」

「だからだ!」


 礼拝堂に声が響いた。アルベルトが怒鳴ったのは初めてだった。彼も驚いたように黙る。


「……悪い」

「何で、そこまで隠すの」

「君がまた死ぬからだ」

「でも一度目の私は」

「知ったから死んだ」


 心臓が止まりそうになった。


「何を?」


 アルベルトは首を振る。


「言わない」

「私が自殺するほどのこと?」

「ああ」

「それをあなたは知ってる?」

「知っている」

「どうやって」

「君が死ぬ前に言った」

「私が?」

「ああ」

「何て」


 長い沈黙のあと、アルベルトは低い声で言った。


「次は、ちゃんと殺して、と」


 身体が固まった。二度目の夢とつながる。


「一度目に?」

「ああ」

「死ぬ直前?」

「ああ」

「だから二度目、あなたは覚えていた」

「君との約束を」


 胸が痛い。


「それで、本当に殺したの? 馬鹿じゃないの。普通、そんな約束守らないでしょ」

「俺もそう思った」

「じゃあ何で」

「二度目の君が、また同じことを知ったからだ」


 ぞっとした。


「また?」

「ああ」

「一度目と同じことを?」

「ああ」

「そして私が、殺してって頼んだ」

「そうだ」

「あなたは嫌だって言わなかったの?」


 アルベルトの唇がほんの少し震えた。


「何度も言った。君が聞かなかった。だから最後には、俺が負けた」


 風もないのに古い燭台が微かに鳴った。

 一度目、私は自分で死んだ。二度目、私は彼に殺させた。なら三度目は。


「塔から落ちたのも、私が頼んだの?」


 アルベルトが目を閉じた。


「今は聞くな」

「私が頼んだの?」


 長い沈黙。


「三度目だけは、君は死にたくないと言った」


 背中が冷えた。


「……え?」

「最後まで、生きたいと」


 一度目は自分で死んだ。二度目は殺してくれと頼んだ。三度目は生きたいと願った。

 それなのに私は死んだ。アルベルトの手で。


「じゃあ三度目は、どうして私を殺したの?」


 アルベルトは答えなかった。

 けれど、その顔を見た瞬間、初めて思った。

 私が本当に恐れるべきなのは、彼が私を殺したことではないのかもしれない。

 三度も、私が死ななければならなかった。その理由なのかもしれない。


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