第3話 二度目の死
夢を見た。暗い場所だった。石の床、冷たい空気、遠くで鳴る鐘。私は裸足で、白い寝衣の裾を汚して立っていた。
目の前にはアルベルトがいる。今より少し大人びた、二十五歳の彼。二度目の人生の最後の日だ。彼の手には短剣があり、私はその切っ先を見ているのに、なぜか怖がっていなかった。
『お願い。早く』
アルベルトが首を振る。何か言っているのに聞こえない。私は彼の手を取り、短剣の切っ先を自分の胸へ当てた。
『大丈夫。あなたなら』
そこで目が覚めた。
「……っ!」
身体を起こす。息が苦しく、胸を押さえた。傷も血もない。それでも、夢とは思えないほど痛みが残っている。
「お嬢様!」
セシリアが飛び込んできた。
「どうされました!」
「大丈夫」
「悲鳴が」
「夢」
「悪夢ですか?」
私は答えなかった。あれは夢ではない。二度目の私の記憶だ。
「……セシリア」
「はい」
「今日の予定は?」
「午前中に刺繍の先生が。午後はアルベルト様がお見えになると」
「来るのね」
「はい。それと、王太子殿下からお手紙が」
私は顔を上げた。
「レオン殿下から?」
「はい」
胸の奥がざわついた。レオンは二度目も三度目も私を助けてくれた人だ。特に三度目、アルベルトから距離を取っていた私に手を貸してくれた。
「そこに置いて」
「お読みにならないのですか?」
「あとで」
青い封蝋の手紙が机に置かれる。王太子の紋章を見ながら、私はなぜかすぐ封を切る気になれなかった。
◇
午後、アルベルトは時間通りに来た。人目のある庭園の東屋で向かい合う。父の意向だろう。私としてもありがたかった。二人きりになった途端に刺されるとは思っていないが、身体の方はそう簡単に納得してくれない。
「顔色が悪い」
「誰のせいだと思ってるの」
「俺だな」
「いちいち認めないで」
「否定する理由もない」
腹が立つ。それでも昨日より普通に話せている自分にも腹が立った。私は紅茶に手を伸ばし、途中で止める。一度目の毒が頭をよぎった。
「飲まないのか」
「……毒、入ってないでしょうね」
アルベルトの表情が固まった。
「入っていない」
「冗談よ」
「そうか」
冗談として受け取っていない。私も、本当は冗談ではない。
「夢を見た」
アルベルトの目がわずかに動く。
「どんな」
「二度目の最後。石の部屋だった。私は裸足で、あなたが短剣を持ってた。私が、その手を取った。お願いって言った」
風が庭園の薔薇を揺らした。
「記憶なの?」
「そうだ」
「どこ?」
「王宮旧礼拝堂」
「何でそんな場所に」
「それはまだ言えない」
「またそれ?」
「まただ」
私は睨んだ。アルベルトは視線を逸らさない。
「じゃあ違うことを聞く。私が死んだあと、どうなったの?」
初めて、彼が明らかに顔をこわばらせた。
「何で聞く」
「あなたは死んだ私より先を知ってる。私は死んだら終わり。でもあなたは、そのあとも生きてた」
「少しだけだ」
私は聞き逃さなかった。
「少し?」
「何でもない」
「今、少しだけって。あなたも死んだの?」
「違う」
「じゃあ」
「話さない」
「逃げてる」
「そう思ってくれていい」
まただ。彼は私に嫌われようとしている。
「どうして私に嫌われたいの」
「嫌われたいわけじゃない」
「嘘。だったら、もう少しくらい説明するでしょ」
「説明した結果を知っている」
「私が死ぬから?」
「ああ」
「それだけ?」
答えない。それだけではないのだと思った。
「三度目の私たちは、仲良かった?」
彼の目が少し揺れる。
「何でそう思う」
「覚えてないから。最初はあなたを避けてた。それは覚えてる。でも最後には塔にいた。私たち、恋人だった?」
「婚約者だ」
「そうじゃなくて。愛し合ってた?」
しばらく風の音だけがした。
「君は、そう言った」
「あなたは?」
「答える必要はない」
「ある」
「ない」
「何で」
「今の俺と、三度目の俺は同じじゃない」
「同じでしょ」
「違う」
強い言い方だった。私は少し怯む。
「何が違うの」
「三度目の俺は、君を助けられると思っていた」
「今は?」
「思っていない。だから違う」
アルベルトが立ち上がった。
「今日はここまでだ」
「待って。最後に一つ。一度目、毒を入れたのは誰?」
彼の背中が固くなる。
「教えられない」
「私を殺したのはあなたじゃないんでしょう?」
「ああ」
「なら誰。今回も私を殺そうとする?」
長い沈黙のあと、アルベルトが答えた。
「少なくとも、同じ形では起きない」
「どうして」
「誰なの」
「言えない」
「じゃあ、せめて敵か味方か」
そこでアルベルトが振り返った。
「どちらでもない。その人間は、君を殺したかったわけじゃない」
「毒を入れたのに?」
「ああ」
「矛盾してる」
「この話は全部そうだ」
そう言って歩き出す彼を、今度は追わなかった。
「アルベルト。明日、王宮に行く」
彼の表情が変わる。
「何をしに」
「旧礼拝堂を見る」
「駄目だ」
「何で」
「行くな」
「理由は?」
「言えない」
「なら行く」
アルベルトの顔に、初めて苛立ちが浮かんだ。
「……分かった。俺も行く」
「来なくていい」
「一人では行かせない」
「何で?」
答えない。代わりに彼は低い声で言った。
「レオンにも知らせるな」
心臓が跳ねた。
「何で殿下が出てくるの?」
「今日、手紙が来ただろう」
「どうして知ってるの」
「三度目もそうだった。君が俺との婚約を迷い始めた頃、レオンは君に手紙を送った」
「内容も知ってる?」
「大体は。婚約を破棄したいなら手を貸す、と」
まだ読んでいない手紙の内容を、彼は知っている。
「レオン殿下も、何か知ってるの?」
「知らない。少なくとも過去三回は」
「今回違う可能性が?」
アルベルトは答えなかった。
「レオンを信用するな」
「あなたより?」
思わず笑いそうになった。
「少なくとも二回は私を殺したあなたより、レオン殿下を信用するなって?」
「ああ」
迷わなかった。
「理由は?」
「言えない」
「また」
「ああ」
「じゃあ無理」
「そうだろうな」
アルベルトはそれ以上何も言わず、庭園を出ていった。
部屋へ戻った私は、机の上の手紙を手に取った。青い封蝋を切る。
文章は短かった。
『婚約発表が延期されたと聞いた。もし君が望まぬ婚約に苦しんでいるのなら、力になりたい。明日の午後、王宮へ来ないか。人目を避けられる場所で話そう。旧礼拝堂なら、誰にも邪魔されない。アルベルトには知らせないでほしい』
何度も読み返した。
旧礼拝堂。
そこは二度目の人生で、アルベルトが私を刺した場所だ。
夢の中で私は、アルベルトに短剣を握らせていた。
でも、そこへ行くきっかけまで本当にアルベルトだったのだろうか。
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