表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約者は、私を三回殺している。  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/7

第2話 殺した男


「覚えているの?」


 ようやく、それだけ言えた。アルベルトは答えない。私は椅子の背に手をついた。逃がしたくないのに、足から力が抜けそうだった。


「ねえ。今、四度目って言ったよね」

「言った」

「どういう意味?」

「そのままの意味だ」

「分からない」

「分かっているだろう」

「分からない!」


 声が大きくなり、扉の向こうで誰かが動く気配がした。父か、セシリアか。私は息を整えて声を落とす。


「あなたも戻ってるの?」


 アルベルトはしばらく黙ってから、小さく頷いた。


「そうだ」

「いつから」

「最初から」

「最初って」

「君が最初に死んだ時から」


 頭の中で、三度の死が一度に蘇った。だったら二度目も三度目も、彼は全部知っていたことになる。


「あなた、知ってたの? 私が死ぬって」

「知っていた」

「二度目も?」

「知っていた」

「三度目も?」

「知っていた」

「それで、二度目も三度目も、私を殺したの?」

「そうだ」


 あまりに簡単だった。言い訳もしない。否定もしない。その落ち着きが腹立たしくて、私は近くのクッションを投げつけた。アルベルトは避けず、胸に当たったクッションが床へ落ちる。


「最低」

「ああ」

「人殺し」

「ああ」

「少なくとも二度、あなたは自分の手で私を殺した」

「……そうだ」

「そうだじゃない!」


 今度は卓上の花瓶に手を伸ばした。さすがにそれは投げる前に腕をつかまれる。


「離して!」

「これは危ない」

「誰のせいよ!」

「俺だ」

「だったら離せ!」


 腕を振りほどくと、花瓶の水が少しこぼれ、白い花が揺れた。アルベルトは私から半歩離れた。昔からそうだった。私が本気で怒ると、彼は言い返さずに待つ。その癖まで同じなのが、余計に腹立たしい。


「二度目。私、あなたに刺された」

「ああ」

「あなた、泣いてた」


 アルベルトの目がわずかに揺れた。覚えているのだ。


「泣きながら私を刺した」

「……そうだ」

「意味が分からない。三度目だって、あなたがいた。私は塔から落ちた。あなたが落としたの?」


 初めて、アルベルトが答えるまでに間があった。


「……俺だ」


 胃の底が冷えた。やっぱり、三度目も彼だった。


「一度目も? 毒を入れたのも、あなた?」

「違う」

「でも杯を渡した」

「渡した」

「じゃあ誰が入れたの?」


 アルベルトの唇が動いたが、何も言わなかった。


「言って」

「今は言えない」

「何で?」

「君が思い出していないからだ」

「……何を?」

「それも言えない」


 私はしばらく彼を見た。二度目と三度目に自分の手で私を殺したことは認めるのに、肝心な理由だけを言わない。


「ふざけないで。私は三回死んでるの」

「知っている」

「あなたは全部覚えてるんでしょう? なら説明してよ」

「できない」

「何で!」

「説明すれば、同じことが起きる」


 その一言で、私は止まった。


「同じこと?」


 アルベルトは視線を逸らした。


「三度とも、君は同じ事実に辿り着いた。そして、その先で死んだ」

「あなたが殺すからでしょ」

「そうだ」

「なら殺さなければいい」

「それができれば、とっくにそうしている」


 意味が分からない。彼はしばらく黙り、やがて低く言った。


「今回は、君を俺に縛りつけない」


 思っていた言葉と少し違った。


「どういう意味?」

「婚約は破棄する。俺から離れろ」

「それで私が助かるの?」

「助かるとは言っていない」


 私は目を瞬いた。婚約破棄を望んだのは私の方なのに、その理由を問えば、彼は私を助けるためだとも言わない。ただ、自分から遠ざけようとしている。


「父上には俺から話す」

「待って。さっき、四度目でもそう言うのかって」

「確認したかっただけだ」

「何を?」

「君が今回、どこまで覚えているか」


 ぞっとした。


「私を試したの?」

「ああ」

「私、何を忘れてるの」

「かなり」

「どれくらい?」

「死ぬ前のことを。特に二度目と三度目だ」


 確かに妙だった。私は死んだ瞬間を覚えているのに、その直前が曖昧だ。二度目、私はどこにいた。三度目、なぜ塔に上った。思い出そうとすると、頭の奥が霞む。


「あなたは覚えてるの?」

「全部」

「だったら言って」

「駄目だ」

「どうして」

「君がまた同じ選択をするからだ」

「私が?」

「ああ」

「私、何をしたの」


 アルベルトは私を見た。ひどく疲れた目だった。二十三歳の顔ではない。その時初めて気づいた。九年を生きたのは私だけではない。彼もまた、三度のやり直しを覚えたままここにいる。


「二度目、君は俺に言った」

「何を」

「殺してくれと」


 息が止まった。


「……嘘」

「嘘じゃない」

「そんなこと言わない」

「言った」

「私が?」

「ああ」

「あなたに?」

「ああ」

「殺してって?」

「そうだ」


 笑おうとしたが、笑えなかった。


「覚えてない」

「だから言いたくなかった」

「証拠は?」

「ない」

「なら信じない」

「それでいい」

「よくない!」


 机を叩いた。掌が痛い。


「私はあなたを憎んできたの。二度目に戻った時も、三度目に戻った時も。どうしてってずっと考えた」


 最初の死のあと、私はまだ彼を信じていた。毒を入れたのは別人で、アルベルトは助けようとしてくれたのだと思っていた。二度目に戻った時も、未来を変えられると思って彼を愛した。それなのに最後には、彼の短剣が胸にあった。

 三度目は彼を避けた。それでも最後にはまた近づいて、また愛してしまった。そして塔から落ちた。


「あなたのこと、嫌いになろうとした。ずっと。でも、できなかった」


 言ってしまった。最悪だ。アルベルトが目を伏せる。


「そうか」

「何よ、その言い方」

「俺は、できた方がいいと思っていた」

「何が?」

「俺を嫌いになることだ。今回こそ、その方がいい」


 アルベルトは背を向けて扉へ向かう。


「待って」

「婚約は破棄する」

「そうじゃなくて」

「君は俺から離れろ」

「何で?」


 彼の手が扉に触れた。


「これで終わる」

「終わらない!」


 アルベルトが振り返る。私は自分でも驚くほど大きな声を出していた。


「何も分からないままなんて嫌」

「知れば死ぬ」

「知らなくても三回死んだ!」


 アルベルトの顔が歪んだ。怒りでも悲しみでもない。痛そうな顔だった。


「だからだ。だから今回は、何も知るな」

「嫌」

「リディア」

「嫌よ」


 もう逃げるだけでは駄目だ。さっきまで私は、婚約を破棄して彼から離れれば助かると思っていた。でも彼は全部知っていて、それでも私に離れろと言う。その理由を知らないまま逃げることなどできない。


「一つだけ答えて。私があなたから離れたら、死なないの?」


 沈黙が長かった。それだけで分かった。


「……死ぬのね」

「可能性はある」

「どれくらい?」


 答えない。


「婚約を破棄すれば、三度目より早く死ぬかもしれない」

「……何それ。なのに離れろって言ったの?」

「ああ」

「矛盾してる」

「分かっている」

「じゃあ、どうすればいいの」


 アルベルトは答えなかった。

 その時、扉が叩かれた。


「リディア。そろそろ王宮へ向かわねばならん。話はついたか?」


 父の声だった。私はアルベルトを見る。婚約を破棄すれば早く死ぬかもしれない。続ければ、三年後に彼に殺される。


「……婚約発表は延期します」


 扉の向こうで父が息を吐く気配がした。


「分かった」


 足音が遠ざかる。私は椅子に座った。力が抜けた。


「帰って。今日は顔を見たくない」

「ああ」

「でも、明日来て」


 アルベルトが振り返る。


「話の続きをする」

「するつもりはない」

「私にはある」

「リディア」

「私には離れろって言って、自分は何も話さず帰るの?」

「……」

「明日」

「行かない」

「なら私が行く」

「来るな」

「行く」

「リディア」

「三回とも、私の最期にいた責任くらい取ってよ」


 長い沈黙のあと、アルベルトが小さく言った。


「……分かった」


 扉を開く。その背中に、私はどうしても聞いておきたかったことを投げた。


「アルベルト。二度目の私、本当にあなたに殺してって頼んだの?」

「頼んだ」

「その時、私は泣いてた?」


 彼の手が止まる。


「いや」

「じゃあ」

「笑っていた。俺に、ありがとうと言った」


 扉が閉まった。

 私は一人になり、胸に手を当てた。そこには傷一つないのに、急に短剣の冷たさを思い出した。

 そして一瞬だけ、忘れていたはずの声が聞こえた気がした。

 私自身の声だった。

 ――お願い。

 そこで記憶は途切れた。

面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ