第12話「暁の誓いと新たなる領域」
小鳥のさえずりが遠くから聞こえ、まぶたの裏に柔らかな光の気配を感じた。
ゆっくりと目を開けると、視界の端で白いレースのカーテンが朝の微風に揺れている。
深く、どこまでも澄み切った静寂が部屋を包み込んでいた。
昨夜、俺の体を焼き尽くそうとしていたΩの猛烈な周期の熱は、嘘のように引き潮を迎えていた。
代わりに、体の奥底には満ち足りたような温かい感覚がじんわりと根を張っている。
首をわずかに動かすと、うなじのあたりに微かな鈍痛が走った。
だが、それは不快なものではなく、自分がこの世界に確かな拠り所を見つけたのだという、誇り高い証拠のように思えた。
そっと隣へ視線を向ける。
そこには、俺を抱き込むようにして眠るクロードの姿があった。
彼が熟睡している姿を見るのは、これが初めてだった。
いつもは俺が目を覚ますよりもずっと早く起き出し、完璧に身支度を整えて立っていた彼が、今は無防備な寝顔を晒している。
銀色の前髪が彫りの深い顔立ちにかかり、長く縁取られたまつ毛が静かな呼吸に合わせてわずかに揺れている。
氷のように冷徹な騎士の仮面は完全に剥がれ落ち、そこにあるのは、ただ愛する者を守り抜いた一人の男の穏やかな顔だった。
『……本当に、俺でよかったのか』
心の中でそっとつぶやきながら、布団の中から手を伸ばす。
俺の指先が彼の頬に触れようとしたその瞬間、青い瞳が静かに開かれた。
眠りの淵から瞬時に覚醒した彼の視線が、俺の指先を捉え、そのまま顔へと向けられる。
「……おはようございます、ルシアン」
彼の声は寝起き特有の深いかすれを帯びており、俺の背筋をぞくっと震わせた。
殿下、ではなく、名前で呼ばれたことに胸の奥が甘く疼く。
もう、俺たちの間に主従の壁や契約という偽りの盾は必要ないのだ。
「おはよう、クロード」
俺が少し照れくさそうに微笑み返すと、彼は大きな手で俺の伸ばした手を包み込み、その手の甲に唇を落とした。
「お加減はいかがですか。熱は……」
「完全に下がった。体がすごく軽い。……お前のおかげだ」
俺がうなずくと、彼はほっとしたように息を吐き、俺を自身の胸の中へと引き寄せた。
厚い胸板に頬を擦り寄せると、あの雪の森の匂いが、昨夜よりもずっと優しく、そして深く俺を包み込む。
刻印を交わしたことで、彼が発するフェロモンの微細な感情の変化までが、手に取るようにわかるようになっていた。
彼の内側にあるのは、俺に対する途方もない慈愛と、この穏やかな朝を迎えられたことへの静かな歓喜だ。
「昨夜の襲撃のことだが」
しばらく互いの体温を確かめ合った後、俺は彼の腕の中で口を開いた。
「兄上たちの差し金に間違いないだろう。これで、彼らは俺が辺境でただ隠居しているわけではないと気づいたはずだ」
現実の問題が、再び頭をもたげ始める。
俺がただのΩではなく、ヴァルツ家という強大な武力と完全に結びついたとなれば、王都の人間たちは黙ってはいない。
「ご心配には及びません」
クロードの声が、一段階低く、研ぎ澄まされた刃のような響きを帯びた。
「昨夜のうちに、影の者たちを使って王都の各派閥へ書状を送らせました。ルシアンを害そうとする者は、いかなる権力者であろうとも、このクロード・ヴァルツが自らの手で首を刎ねる、と」
その言葉に含まれた凄まじい殺気に、俺は思わず息を呑んだ。
彼は本気だ。
俺を守るためならば、国を敵に回すことすら一切ためらわない。
それは狂気にも似た忠誠であり、彼にしかできない絶対的な愛の証明だった。
「それに、あの刺客たちの骸は、首謀者である第一王子の私室の前に丁寧に送り返してあります。彼らもこれで、私たちが牙を抜かれたわけではないと理解するでしょう」
さらりと言ってのける彼の恐ろしさに、俺は小さく苦笑を漏らした。
この男を敵に回さなくて本当によかったと、心の底から思う。
「そうか。……なら、俺も覚悟を決めないとな」
俺は彼の胸から顔を上げ、まっすぐにその青い瞳を見つめ返した。
「もう、逃げ隠れするのはやめにする。お前の伴侶として、この領地を、そして俺たちの居場所を堂々と守り抜く。知識も、政治も、俺にできることはすべてやる」
現代の記憶と、この世界で生きてきた王族としての誇り。
その両方を武器にして、俺はこの氷の騎士の隣に立つにふさわしい人間になる。
俺の宣言を聞いたクロードは、一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、目尻を深く下げて柔和な笑みを浮かべた。
それは、冷徹な筆頭騎士からは想像もつかないほど、優しく人間らしい表情だった。
「貴方は本当に……私の予想をはるかに超えて、眩しい方だ」
彼の手が俺の首元に添えられ、昨夜刻まれたばかりの傷跡を親指でそっとなでる。
ぞくりとした快感が走り、俺は彼に身を預けた。
窓から差し込む暁の光が、二人の体を黄金色に染め上げていく。
理不尽な運命と、打算から始まった関係は、もうどこにも存在しない。
ここにあるのは、互いの魂を深く縛り合い、共に未来を切り拓くという確固たる誓いだけだ。
俺たちは静かに目を閉じ、朝の光の中で、今度は血の匂いのしない、ただ甘く穏やかな口づけを交わした。




