第11話「清謐なる檻と魂の刻印」
重なり合う唇から伝わってくるのは、世界の一切を焼き尽くすほどの熱量だった。
クロードの大きな手のひらが俺の後頭部を包み込み、決して逃がさないとばかりに強く引き寄せる。
彼の舌先がわずかに開いた唇の隙間から滑り込み、熱に浮かされた俺の思考を根底からとろけさせていく。
剣だこのある硬い指が髪をすくうたび、背筋を貫くような強烈な甘い痺れが全身を駆け巡った。
みぞおちの奥で暴れ回っていたΩの周期による狂おしい渇きが、彼の与えてくれるαの濃密なフェロモンによって少しずつ満たされていくのがわかる。
雪の降る深い森の奥底へと引きずり込まれるような、冷たくて、それでいて火傷しそうなほど熱い感覚。
息継ぎのためにわずかに唇が離れると、銀の糸が月明かりに照らされてきらりと光った。
俺の肺がひゅうひゅうと浅い呼吸を繰り返し、彼の広い肩にすがりつくようにして腕を回す。
「……っ、クロード……」
無意識のうちに、甘くかすれた声で彼の名前を呼んでいた。
これまでの俺ならば、意地を張って絶対に口にしなかったであろう、ひどく無防備な響き。
それを聞いたクロードの青い瞳が、痛々しいほどに細められる。
彼は俺の顔中に何度も短いキスを降らせ、そのたびに荒い吐息を俺の肌へと擦り付けた。
だが、ふと彼の視線が、部屋の惨状へと向けられる。
扉は砕け散り、床には暗殺者たちの骸が転がり、壁には無残な血の飛沫がこびりついていた。
鉄の錆びたような血生臭さが、俺たちの間に漂う甘い香りに冷や水を浴びせるように混ざり込んでいる。
クロードは自らの漆黒の騎士服が敵の返り血で酷く汚れていることに気づき、はっとしたように身を引いた。
「いけません……こんな穢れた場所で、貴方に触れるなど」
彼は自らを戒めるように低く呻き、俺の体を包み込んでいた毛布ごと、シーツからふわりと抱き上げた。
視界がふらりと揺れ、彼の強靭な腕の中にすっぽりと収まる。
俺は彼の胸元に顔を埋め、そこから漂う雪の匂いを必死に肺の奥深くへと吸い込んだ。
熱のせいで自分の体がひどく軽く感じられ、彼の腕力に身を委ねることになんの抵抗も覚えなくなっている。
クロードは血だまりを静かに避けながら寝室を出て、薄暗い廊下へと足を踏み出した。
彼の足音は不思議なほどに音がなく、まるで夜の闇そのものに溶け込んでいるかのようだ。
屋敷の奥へ、さらに奥へと進んでいく。
窓から差し込む青白い月光が、彼の銀髪を冷たく輝かせ、俺の熱い頬にひんやりとした影を落としていた。
行き着いた先は、この屋敷の中で最も警備が厳重で、他者の立ち入りが固く禁じられている彼の私室だった。
重厚な扉を足で押し開け、中へと入る。
そこは王都の華美な装飾とは無縁の、質実剛健を絵に描いたような簡素な部屋だった。
しかし、掃除は行き届いており、微かに香る香木と彼のフェロモンが混ざり合った、静謐で安心感のある空間が広がっている。
クロードは部屋の中央にある大きなベッドに俺を静かに下ろした。
清潔なリネンのひんやりとした感触が、火照った背中に心地よい。
「すぐに戻ります。どうか、少しだけ耐えてください」
彼はそう言い残すと、血に汚れた上着と手袋を素早く脱ぎ捨て、隣室にある水場へと姿を消した。
一人取り残されたベッドの上で、俺は自分の体を抱きしめるようにして丸くなる。
彼が離れた途端、満たされかけていた熱が再び空腹の獣のように暴れ出し、肌の表面を鳥肌立たせた。
シーツを握りしめ、荒い息を吐きながら彼を待つ数分間が、永遠のように長く感じられる。
やがて、水音とともに顔や手を綺麗に洗い清めたクロードが戻ってきた。
上着を脱いだ彼は、白いシャツの胸元を大きくはだけさせ、逞しい首筋と厚い胸板を露わにしている。
濡れた銀髪が額に張り付き、水滴が喉仏を伝って落ちていく。
そのひどく無防備で色気のある姿に、俺の喉がごくりと鳴った。
彼はベッドの縁に腰を下ろすと、長い腕を伸ばして俺の体をゆっくりと引き寄せた。
「お待たせいたしました、私の主君」
囁くような声が耳元をくすぐり、俺はたまらず彼の首に腕を回してしがみつく。
シャツ越しに伝わってくる彼の体温は、俺の狂ったような熱を冷ましてくれるように心地よく、そして頼もしかった。
互いの体が密着し、鼓動の音が重なり合う。
俺は彼の胸に顔を擦り寄せ、本能が求めるままにその匂いを貪った。
クロードの手が俺の背中を優しくなで下ろし、もう片方の手がうなじへと伸びてくる。
Ωの急所であり、運命の番としての証を刻むための神聖な場所。
彼の手のひらがそこをそっと覆った瞬間、俺の肩がびくっと大きく跳ねた。
「……怖いですか」
彼が俺の耳たぶに唇を寄せながら、静かに尋ねる。
「……怖くない」
俺は首を横に振り、彼の肩に顔を埋めたまま答えた。
「お前に、俺のすべてを預ける。だから……早く」
現代人としての自尊心も、第二の性に対する理不尽な反発も、今はすべてがこの熱の中に溶けて消え去っていた。
彼と共に生きる。
彼に守られ、彼を愛し、この閉ざされた辺境の地で永遠に運命を共にする。
その覚悟が、俺の言葉に震えるような力を与えていた。
クロードの腕が、俺の体をさらに強く、骨が軋むほどの力で抱きしめる。
「貴方のその言葉を、私は生涯忘れない」
彼の声は涙を含んでいるかのようにひどく潤んでおり、その響きだけで俺の胸の奥が熱く締め付けられた。
彼が俺のうなじを覆っていた手をどけ、そこに冷たい唇を落とす。
ちゅっ、というかすかな水音が響き、続いて、鋭い犬歯が薄い皮膚に押し当てられた。
ちくりとした痛みが走る。
だが、その直後、傷口から流れ込んでくる彼のフェロモンが、痛みを一瞬にして極上の甘美な快楽へと反転させた。
視界が真っ白に弾け、激しい感情の浄化が全身を貫く。
俺は声にならない叫びを上げながら、彼の背中に回した指先に力を込め、その厚い筋肉を強く引っ掻いた。
二つの異なる魂が、熱と匂いを通じて完全に一つに溶け合っていく。
血の繋がった家族にも、前世の記憶の残滓にも踏み込めない、二人だけの聖域。
刻印を通じて流れ込んでくる彼の巨大な愛情と、深い執着が、俺の心の奥底にあった最後の不安を根こそぎ奪い去っていく。
満ち足りた静寂が部屋を満たし、俺は深い安堵の中で、彼の腕に抱かれたままゆっくりと意識を沈めていった。




