第10話「紅蓮の告白と溶け合う魂」
死の匂いが充満する寝室の中で、俺の体はもはや自分自身のものではなくなっていた。
指先から足の先まで、すべての神経が熱に犯され、ただひたすらにαのフェロモンを渇望して震え続けている。
シーツを握りしめる手のひらは汗で濡れ、浅く早い呼吸を繰り返すたびに、胸の奥が張り裂けそうなほどの痛みを訴えた。
クロードが、血に染まった床を踏み越え、ゆっくりとベッドへと近づいてくる。
彼が放つ雪の森の香りが、血の匂いと混ざり合いながら俺の鼻腔を容赦なく満たした。
その強烈な刺激に、俺はたまらずシーツに顔を埋め、身をよじる。
現代の価値観を持つ理性は、これ以上彼に依存することを拒絶せよと警鐘を鳴らしていた。
しかし、本能という名の獣は、自らその喉首を差し出し、彼にすべてを明け渡すことを選ぼうとしている。
相反する二つの感情が激しく衝突し、俺の心は限界まで引き裂かれそうだった。
ベッドの脇で立ち止まったクロードが、静かに片膝をつく。
彼の顔には先程までの冷徹な殺気はなく、代わりに、痛みを押し殺すようなひどく悲痛な色が浮かんでいた。
「……こんな恐ろしい姿をお見せして、申し訳ありません」
彼の声はひどくかすれ、懺悔するように低く震えていた。
血に汚れた手袋を外し、彼の手のひらが俺の熱い頬にそっと触れる。
その剣だこのある硬い指先の感触が、狂おしいほどに心地よい。
冷たい体温が伝わった瞬間、俺の目から熱い涙がひとしずくこぼれ落ちた。
「お前は……なぜ、そこまでして俺を……」
ひび割れた声で、どうにかそれだけの言葉を紡ぎ出す。
契約結婚というかりそめの関係であるはずの彼が、なぜここまでの血を流し、俺を守ろうとするのか。
その根本的な理由がわからないまま彼に溺れてしまうことが、俺には恐ろしかった。
俺の問いを聞いたクロードは、青い瞳をわずかに伏せ、それから静かに口を開いた。
「貴方は、覚えておいでではないでしょう」
静謐な声が、熱に浮かされた俺の鼓膜にそっと届く。
「今から十年前。貴方がまだ八歳の幼い子供であり、私が王宮の片隅で泥に塗れて生きる見習い騎士であった頃のことを」
彼の言葉に、俺の記憶の底に沈んでいた古い景色が微かに揺らいだ。
「当時の私は、力もなく、誰からも見放されたゴミ屑のような存在でした。冬の凍てつく寒さの中、傷を負って中庭の隅で倒れ伏していた私に、唯一手を差し伸べてくださったのが、ルシアン殿下……貴方だったのです」
彼の手のひらが、俺の頬から首筋へと滑り降り、熱を持った肌を優しくなでる。
「貴方はご自分の小さな外套を私の肩にかけ、温かい言葉をかけてくださった。そのほんの些細な行動が、私の冷え切った魂を救い、生きる意味を与えてくれたのです」
彼の瞳の奥に、長い年月をかけて煮詰められた、暗く重たい感情の渦が見えた。
「あの日から、私の命は貴方のものになりました。貴方を守るためだけに、私は剣を振り、血を流し、この国の騎士の頂点へと這い上がったのです」
告白というにはあまりにも重く、呪いというにはあまりにも純粋な、彼の切実な思い。
俺が彼に契約結婚を持ちかけたのは、単なる偶然ではなく、彼がずっと待ち望んでいた機会だったのだ。
彼は最初から、俺を自分の手の届く場所へ囲い込むために、その冷徹な仮面の下で虎視眈々と牙を研ぎ続けていた。
深い執着と、狂気にも似た愛情。
その事実を知った瞬間、俺の心の中にあった理性の壁が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
もう、強がる必要はない。
彼が俺に向ける感情は、Ωという性別に惹かれただけの安っぽい本能などではない。
ルシアンという一人の人間に対する、確固たる誓いなのだ。
胸のつかえが取れるような深い安堵が広がり、俺はゆっくりと彼の方へ手を伸ばした。
「……ずるい男だ。そんなことを言われたら、もう、逃げられないじゃないか」
俺の指先が、彼の頬に付着した血の跡に触れる。
クロードの目が大きく見開かれ、次の瞬間、彼は俺の手首を痛いほどの力で握りしめた。
彼から放たれる雪の森のフェロモンが一気に爆発し、部屋の空気を震わせる。
彼はそのまま俺の体の上に覆い被さるように身を乗り出し、顔を近づけてきた。
「逃がしません。例え貴方が私を拒絶しようとも、この手で永遠に地獄の底までお連れする覚悟でした」
至近距離で交わる視線に、もはや一切の迷いはなかった。
俺は彼の手を引き寄せ、自らその熱い唇を迎え入れた。
重なり合う唇から、互いの体温とフェロモンが深く溶け合っていく。
血の匂いも、理不尽な世界への反発も、今はすべてが白く遠ざかる。
ただ、この男の深い愛情に包まれることだけが、俺のすべてを救い上げていた。
熱の渦の中へと沈み込みながら、俺たちはかりそめの契約を終わらせ、真実の伴侶としての刻印を互いの魂へと深く刻み込んでいった。




