第2話:絞め殺される劇場の白、濡れた生贄
第2話:絞め殺される劇場の白、濡れた生贄
きつすぎるコルセットは、私の作り変えられた細い肋骨を、内側へ内側へと容赦なくへし折るように圧迫していた。
息を吸うたび、鯨の骨で作られた硬い芯材が、皮膚の薄い胸の下を硬く抉る。
夜会のための白いシルクのドレスは、私の意志とは無関係に、この使い潰されるための肉体を美しく、従順な生贄の形に整えていた。
首筋に塗りたくられたおしろいは、体温で溶けて、じっとりと乾かない汗の湿気と共に、襟元へ白い筋となって流れていく。その不快な痒みが、皮膚の裏側を細い針で絶え間なくつつかれているようで、呼吸をさらに浅くさせた。
会場の王宮大広間は、吐き気がするほどに白く、洗練されていた。
床の大理石は鏡のように磨き上げられ、そこに集う貴族たちの、仕立てのいい靴の裏が擦れる音が、乾いたノイズとなって高い天井に吸い込まれていく。
きらびやかな燭台の炎。しかし、その油の焦げる臭いは、私の浅い呼吸の奥で、前世の戦場に転がっていた馬の死骸の腐臭と奇妙に混線していた。
「――エルザ・レヴェンタール。お前の罪は、もはやこの国の法、いや、神の正義によっても洗いきれるものではない」
広間の中心で、アルフレッドが私を指差していた。
彼の声は、一見すると張りがあって堂々としている。だが、その指先は、まるで冷気の中で凍りついた小鳥の足のように細かく震えていた。
彼の目は赤く充血し、寝不足の目脂が睫毛の端に黄色くこびりついている。
正しさ。
彼はその三文字の強迫観念に脳の髄まで浸され、自らが演じる「悪を討つ英雄」の役柄から、一歩も降りられなくなっている。彼が言葉を発するたび、その喉の奥から、乾いた砂を噛むようなカサカサとした擦れ音が響いた。
「南の炭鉱から得られる利益を不正に操作し、国の財政を蝕んだ。それだけではない。あろうことか、我らの不倶戴天の敵である魔族の残党と水面下で結託し、国境の安全を売り渡そうとした……! この汚職の膿め、これ以上の言い逃れは許さん」
王子の言葉が広間に響き渡ると、周囲を取り囲む貴族たちから、一斉に、じっとりとした湿ったため息と、それに続く獣のような低い唸り声が漏れた。
彼らの視線が、物理的な土足のように、私のドレスの裾を踏みにじっていく。
王子の隣には、平民出身の聖女クラリスが立っていた。
彼女の清らかな純白の衣の胸元は、激しい呼吸で大きく波打っている。
彼女が口を開こうとした瞬間、私は彼女の唇の端に、小さく潰れた赤黒い血豆を見た。
他者をおとしめ、自らの正しさを大衆に誇示するたび、彼女は自らの口内を強く噛みちぎっているのだ。その言葉の毒は、まず彼女自身の肉体を内側から生臭く汚している。
「そうです、皆さん! この女こそが、私たちが飢え、苦しんできた原因です! 公爵家が貪ってきた裏金があれば、どれだけの平民が救われたか! 今こそ、この国の膿をすべて、綺麗に洗い流さなければなりません!」
クラリスの声に、回廊を埋め尽くす下級貴族や、王宮の門外に集まったギルバートたち大衆の歓声が、地鳴りのように応じる。
「そうだ!」「悪女を処刑しろ!」
その声の波を浴びた瞬間、大衆の皮膚には、自らが世界を正しく導いているという全能感の鳥肌が、いっせいに粟立っていくのが見えた。彼らはエルザという生贄の肉を貪ることで、日々の生活の不満という名の飢えを満たそうとしている。
その熱狂の渦から少し離れた場所に、財務魔術顧問のレイモンドが佇んでいた。
彼は、冷たい眼鏡の奥の目を一ミリも動かさず、手元の羊皮紙に素早く数字を書き込んでいる。
彼の白い指先には、一滴の汗もにじんでいない。
彼にとって、この劇場の熱狂も、私の流すであろう血も、すべては新体制の支持率という名の「数字」に換算されるだけのデータに過ぎない。辺境の村々が切り捨てられ、明日食べるパンの酵母の匂いが消えることなど、彼の乾いた数式には最初から含まれていないのだ。
私は、腹の底から、前世のあの数万の軍勢を震え上がらせた魔王の嘲笑を叩きつけてやりたかった。
お前たちの信じるクリーンな世界が、どれほど脆弱な張り子の虎か、その耳元で怒鳴り散らしてやりたかった。
だが、声を絞り出そうとした瞬間、私の華奢な胸の檻が、ギチリと音を立てて収縮した。
空気が通らない。
エルザの細い気管は、押し寄せる熱狂の圧力に耐えかねて、勝手にヒューヒューと情けない音を立て始めた。
怒ろうとすればするほど、肉体はそれを「弱さ」と「ヒステリー」へ変換し、目頭の奥から、熱い、情けない涙がじわじわと溢れて、おしろいを塗った頬を汚していく。
指先が、氷のように冷え切っていく。
私の魂の強さに、この出来損ないの器が、全く追いついていない。
「……バルザック。ジークフリート。お前たちも、この女の罪を知っていたはずだ」
アルフレッドの視線が、私の背後に控える旧体制の老人たちへと向けられた。
巨躯の退役将軍バルザックが、脂ぎった顔を歪め、安煙草の染み付いた太い指を握りしめた。
「殿下! 綺麗事だけで国が回ると思うな! エルザお嬢様が裏で泥をすすって繋いだ水脈がなければ、この国の辺境はとっくに餓死している!」
彼の怒号は、しかし、新時代の「正しい数式」と「劇場の熱狂」の前には、ただの老人の見苦しい遠吠えとして、大衆の冷笑に掻き消された。
その時、バルザックの隣から、ぬるり、と湿った気配が動き出した。
宮廷筆頭魔術師、ジークフリート。
長年、私と共に、国家の暗部で汚い利害調整を回してきた、守守派の最高実力者。
彼の重く曲がった背中が、さらに深く、アルフレッド政権の「正しさ」に向けて折れ曲がっていく。
「……殿下。お仰る通りでございます」
ジークフリートの声は、古いインクが腐ったような、ねっとりとした湿り気を帯びていた。
バルザックが「ジークフリート、貴様!」と目を見開く。
「私ども旧体制の者は、すべて、このエルザお嬢様の巧妙な甘言と、公爵家の権力によって脅され、不正に手を染めさせられておりました。魔族との密約も、すべてはエルザ様が独断で進められたこと。私どもは、時代の過ちを正す殿下の御意志に、全面的に従う所存にございます……」
彼の紡ぐ言葉は、まるで生ぬるい濡れ雑巾のように、私の首元へとぬるりと巻き付いてきた。
彼に、私への憎しみはない。ただ、組織を維持し、己の地位を次の時代へ繋ぐための、あまりにも合理的で、あまりにも醜いトカゲの尻尾切り。
ジークフリートの目から、一滴の、嘘臭い涙が零れ落ち、大理石の床に小さな油膜を作った。
身内の、あまりにも軽薄な共食い。
だが、私の頭の芯は、凍てついた鉄のように冷え切っていた。
これでいい。
彼らが私という「絶対的な悪」を作り上げ、この国から濁った栓を抜き去った瞬間に、私の仕掛けた自滅のシステムは作動を始める。
「連れて行け」
アルフレッドの、擦り切れたワンフレーズが広間に落ちた。
私は一切の弁明をしなかった。ただ、細く震える指先で、ドレスの胸元の鯨骨の締め付けをそっと確かめ、看守たちの無骨な、錆びた鉄の匂いがする手にその身を委ねた。
広間を埋めるギルバートたちの熱狂的な罵声が、ドレスの裾を擦る床の音と共に、遠ざかっていく。
夜会の華やかな床から引き摺り下ろされ、用意されていたのは、窓の一切ない、家畜を運ぶための黒い馬車だった。
床板には、いつのものとも知れない馬の尿の臭いと、乾いた泥のザラつきが残っている。
私の隣には、すでに爪の何本かを剥がされ、じっとりと黒い血を滲ませた外務魔術官マザルが、声もなく座らされていた。彼の老いた皮膚は、監獄の冷気を吸って、不気味に粟立っている。
「……お嬢様」
「気にするな、マザル。ノートの準備をしておけ」
私の声は、すでに生乾きの雑巾を絞るような掠れ音になっていた。
馬車が激しく揺れるたび、私の細い背骨が、硬い木枠に直接ぶつかって悲鳴を上げる。
その痛覚が、ドレスの奥の不全感が、今、私の「死の時計」が確実に動き出したことを教えてくれる。
王宮監獄の地下深奥へと続く、錆びた鉄格子の重い開閉音が、遠くでガチャンと響いた。
余命は、残り四週間。
この湿った暗闇の底で、私は、彼らが自ら発した「正しい言葉」の呪いによって、自らの肉体を擦り切らせていく様を、じっと見届けるための網膜を開いていた。




