07. ブランシュ、公爵家に迎えられる
公爵家に到着するとブランシュは多数の使用人達に出迎えられた。そして案内された応接室では現公爵であるシモン・オーベルヴィリエが待っていた。しかし、夫となるレオン・オーベルヴィリエの姿はなかった。
「よく来てくれた」
「イエール伯爵家長女、ブランシュ・イエールと申します。栄えあるオーベルヴィリエ公爵家に迎え入れていただいたこと、心より感謝申し上げます」
「まずはそこにかけてくれたまえ」
勧められたソファにブランシュは腰掛けた。そして向かいにオーベルヴィリエ公爵が座る。
オーベルヴィリエ公爵は40代前半くらいだろう、淡いブラウンの髪と鳶色の瞳は華やかではないが落ち着いた印象を与える。所作も洗練されていて、ピエール国王やフィリベール王太子のように傲慢さや粗暴さは感じられない。何よりもブランシュに対しての当たりが優しく、細やかな心遣いを感じさせる。
シモン・オーベルヴィリエ公爵もかつて真実の愛を叫び、貴族令嬢の婚約者に一方的に婚約破棄を突きつけた『7人のうわきし』の1人だ。だが、目の前の男性からそのような軽薄さは一切感じられない。この人が本当に真実の愛を叫んだのだろうか。ブランシュは無理矢理想像したがどうやってもその光景が浮かばなかった。
そんなブランシュの胸中をよそに、オーベルヴィリエ公爵はこの婚約に関する説明を続けていく。内容は婚約に当たって順当な事項ばかりだ。最後に3枚綴りの書類を渡された。それらには既に現当主シモン・オーベルヴィリエと、夫となるレオン・オーベルヴィリエのサインはされており、ブランシュの欄だけが空欄で残されていた。ブランシュは書類の内容を確認すると3枚にサインをし、1枚を自身の控えとして受け取った。これで婚約の手続きは完了だ。
ブランシュは1つの疑問を公爵に投げかけた。
「どころで、ご令息はどちらにいらっしゃいますか?」
当然の疑問だ。レオン・オーベルヴィリエこそがブランシュの夫となる人物だからだ。しかし、ブランシュがこうして公爵家にやってきたというのに、レオンが姿を見せる様子はない。
シモン・オーベルヴィリエ公爵は気まずそうに答えた。
「息子は・・・騎士団だ、騎士団の寮にいる。公爵家の屋敷には滅多に帰ってこないのだよ」
それらしい理由のように聞こえるが、婚約者が来たというのに迎えないのはいくらなんでもあんまりではなかろうか?
オーベルヴィリエ公爵もブランシュの胸中を察したのか、頭を下げた。
「愚息がすまない。だがあいつには貴女のような優秀な女性が必要なのだ。どうか支えてやって欲しい」
「かしこまりました」
ブランシュは一礼し、執務室を後にした。
侍女に案内された部屋は当主の部屋にほど近い3階の部屋だった。王城で与えられていた部屋よりも広く、日当たりも良い。調度品も王城のそれに劣らない質の良いものばかりで流石は公爵家だ。部屋の造りや位置から察するに、オーベルヴィリエ公爵家に娘がいればこの部屋を使っていただろう。この部屋の当主の部屋を挟んだ対称の位置にはレオン・オーベルヴィリエの部屋があると教えられた。
つまりブランシュはオーベルヴィリエ公爵家に実の家族と同等の扱いで迎えられたのだ。流石に女主人たる当主夫人の部屋は当主がまだシモン・オーベルヴィリエであるから与えられなかったが、来たばかりの婚約者への扱いとしては破格のものだ。
慌ただしかった一日が終わり、ブランシュはベッドに身体を沈める。ふかふかの布団はブランシュの身体を優しく包み込んでくれた。
ブランシュの胸は公爵家にやってきてから高鳴り続けていた。16年の人生で、こんなことは初めてだったが、それが何であるかはブランシュは理解していた。そしてこれから何をすればいいかはブランシュの頭の中で高速に組み立てられていた。
まずはこのオーベルヴィリエ公爵家にとってブランシュが必要な存在となることだ。ふと、昼間の公爵の言葉が思い出される。
『息子を支えてやって欲しい』
「ええ、結果的にはそうなると思うわ。あなたに支えられるだけの気概があるならね・・・ふふ」
ブランシュはこれからのことを考えて胸を膨らませながら眠りについた。
翌日からブランシュは精力的に動き始めた。
シモン・オーベルヴィリエ公爵について執務の補佐につき、公爵家の家政について家令や侍女長に教わった。本来であれば家政を教えるのは公爵夫人の役割であったが、公爵夫人に当たる人物は不在であった。シモン・オーベルヴィリエの真実の愛の相手が公爵夫人となるはずなのだが、使用人達の話を聞くと彼女は領地に封じられているらしかった。
執務の補佐に家政にとなかなか忙しい日々を過ごすことになったが、2年余で王太子妃教育を終え王妃教育の前半まで修めたブランシュにとって、特に苦となるものでもなかった。むしろ王城でのブランシュを知っている者がみれば、ブランシュは生き生きとしているように見えただろう。
ブランシュは公爵家の使用人達をよく観察していた。ブランシュの目からみた公爵家の使用人達は大きく2タイプに分けられた。ブランシュに対して好意的に接する者と、距離を置く者だ。前者の代表がブランシュにつけられた若い侍女だ。一方で、後者の代表が家令のジョルジュだった。だが、少し観察していると後者の多くも仕事は丁寧に熟しており、無闇にブランシュを敵視しているわけではないことがわかった。公爵家ともなるとその使用人も貴族家出身だ。きっと彼らの多くはオーベルヴィリエ公爵家に仕えることを誇りとしているのだろう。ここではブランシュはまだ外様だ。なので、ブランシュは彼らの信頼を得ることをまず重視した。媚びるような真似はしないが驕ることはしない。誠実であることを第一に。イエール伯爵家で冷遇されてきたブランシュは使用人達の大切さをよく知っていた。もしイエール伯爵家で古参の使用人達がブランシュを助けてくれなければ、今頃まともに生きてはいられなかっただろうから。そして王城の玉石混淆の使用人達に比べれば、公爵家の使用人達は公爵家に使えるという面で遙かに優秀だったのである。ならばブランシュ自身が公爵家になくてはならない人間になればいいわけで、それはブランシュの目的にも合っていたのである。
ブランシュの性格が元々穏やかなことも良い方向に働き、初めは距離を置くようにしていた使用人達も徐々にブランシュを信頼するようになっていた。
ブランシュがオーベルヴィリエ公爵家にやってきて2ヶ月ほどたったある日のこと、ようやく将来の夫となるレオン・オーベルヴィリエが公爵邸にやってきた。
レオン・オーベルヴィリエはブランシュを見ると、鼻を鳴らしてこう言った。
「ふん、お前が俺の婚約者となった女か」
その目は明らかにブランシュを見下したものであったが、ブランシュは令嬢らしい柔和な微笑みを浮かべて淑女の礼を取った。
「イエール伯爵家長女、ブランシュと申します。このたびあなた様の婚約者として栄えあるオーベルヴィリエ公爵家に迎えていただきましたこと、心より感謝申し上げます」
「まあいい。俺は騎士団の副団長だ。だから忙しいのだ。婚約者になったからといって構ってもらえると思うなよ」
レオンは最初から婚約者として歩み寄るつまりはないと宣言したようなもので、普通の貴族令嬢であれば侮辱されたと怒っても仕方ない発言だったが、ブランシュは騒ぐことはせず、だが眉尻を下げて少し困ったような表情を見せた。
「なんだ、愁傷な様子を見せても変わらんぞ」
「尊き副団長のお役目ですもの。私がわがままを申し上げるわけには参りません。ただ一つだけお願いが」
ブランシュは懇願するようにレオンを上目遣いで見つめる。ブランシュのような美人に懇願するように見つめられてたじろがない令息はなかなかいない。レオンもまたひるみ、なんとか言葉を絞り出すのが精一杯だった。
「な、なにか物を強請る気じゃないだろうな」
「いいえ。せっかくあなた様の婚約者になったのですもの。せめてお名前をお呼びしても?」
なんだ、そんなことかとレオンは安心し、あっさりとブランシュに名前呼びを許可したのであった。
レオン・オーベルヴィリエの肩書きは第5騎士団副団長である。字面だけ見れば立派だが、実は第5騎士団自体が無能の烙印を押された人間の吹きだまりだった。もっと言ってしまうと高位貴族の縁故で入団してきたが、使い物にならない人間の隔離先である。その出自が故に大きな問題を起こさない限りは一方的に解雇することは難しいが、さりとてボンクラが有能な者の足を引っ張るような事態も避けたい。そんな面倒な人間達の隔離場として作られたのが第5騎士団であった。高位貴族家出身の令息はたいてい見目が麗しい者が多かったので、彼らの数少ない任務の一つは大きな式典の警護という名の、麗しい置物扱いであった。しかもやらかしてすぐわかるように、重要ではないが目立つ場所に置かれるのがお決まりであった。もう1つの任務はピエール王やフィリベール王太子の護衛任務だった。もちろんこれはアネット妃が裏で手を回した結果なのだが、ピエール王やフィリベール王太子は実力はあるがむさ苦しい騎士を嫌い、見目の麗しい彼らを好んだので、護衛する方もされる方にとっても互いに良かったのだ。なお、かつてブランシュを護衛していたのは見た目はゴリラのようではあるが確かな実力のある第1騎士団出身の者達であり、アネット妃の護衛も同様である。
ブランシュはレオンが騎士団でどのような立場であるかを知っていた。そして彼がその第5騎士団副団長という肩書きと公爵令息という立場、そして見目のの麗しい外見に胡座をかき、傲岸不遜に振る舞っていることもすぐに理解した。それが顕著なのは公爵家の使用人に接する態度だった。彼は常に使用人を見下していた。
「使用人ごときが俺に逆らうのか」
「使用人の分際で生意気な口をきくな」
こんな彼の台詞は何度聞いたことか。
公爵家の使用人達は優秀でレオンをいなしながら職務を忠実に熟すのだが、そんな彼らでもどうにもならない時はあった。レオンは虫の居所が悪いと気の弱そうな使用人を捕まえ、あることをないことあげつらい、延々と暴言を吐き続けるのだ。そんな場面を見つけるとブランシュはレオンと気の毒な使用人の間に割って入り、それを止めるようにしていた。とはいえ、ブランシュはレオンの言動に対して表立って非難するような真似はしない。まず彼女はレオンに絡まれている使用人を逃がし、その代わりにレオンの暴言を受け止めるのだ。
「レオン様、そんなにお怒りになってはその者も萎縮してしまいます。私が代わりにあなた様のご不満を伺いますから、その者は下がらせてはいただけませんか?」
ブランシュが眉尻を少し下げて困ったような表情をつくり、懇願するように上目遣いで見上げるとレオンは少しひるむ。その隙に絡まれていた使用人を逃がしてやる。レオンは使用人に逃げられたことに少し憮然とするが、目の前のブランシュに八つ当たりのターゲットを移す。
「お前は使用人に甘すぎる! 公爵家たるもの、使用人にごときになめられるわけにはいかないのだ!」
「ええ、そうでございますね」
「俺はお前の顔を立ててやったからあの使用人を逃がしたのだ。ちゃんと理解しているだろうな!」
「はい、レオン様の寛大なお心遣いに感謝いたしますわ」
「あの使用人にはお前がちゃんと教育しておくんだぞ! わかったな!!」
「ええ、承知しております。私にお任せ下さいませ」
ブランシュはレオンの嫌みや暴言に対し、表だって反論はしない。むしろレオンを立てるように共感するような言葉を返す。
下手に反論するとこの手の輩は激昂して手がつけられなくなることをブランシュはフィリベール王太子での経験からよく知っていた。そして今の時点でレオンと敵対するのは彼女にとっても得策ではなかったのである。
一通りしゃべり終わるとレオンは満足して去って行く。屋敷を出て市井に囲っている愛人のところへ行くのだろう。
それを見届けるとブランシュは絡まれていた使用人のところへ向かう。絡まれていたメイドは、与えられた使用人部屋の隅で膝を抱えて蹲っていた。ブランシュは彼女のとなりにしゃがみ、そっと頬に触れた。
「大丈夫、あなたが悪くないことは知っているわ」
泣いていたメイドは顔を上げる。メイドの目線と同じ高さにブランシュの顔があった。
「そんなに泣いたら可愛いお顔が台無しよ?」
ブランシュは右手でメイドの左の頬を優しくなでる。
「あなたはあの人の理不尽な怒りに巻き込まれてしまっただけ。あなたに非はない。あなたが罰せられることはないわ」
ブランシュは努めて語調を穏やかなものにし、メイドを安心させるようにする。
「今日はゆっくりお休みなさい。明日からは侍女長に言ってしばらくレオン様の目がつきにくい場所に移動させてもらうようにするわ。あなたもそれでいい?」
「はい、お嬢様・・・」
ブランシュは去り際に、メイドに微笑みかけてそっと手を振る、そして優しく部屋の扉を閉めた。
残されたメイドは恍惚とした表情で、ブランシュの後ろ姿に手を合わせ拝んでいた。
こうして使用人を粗雑に扱うレオン、使用人を大切にし時に慈悲深くよりそうブランシュという構図ができあがっていった。この時のブランシュに打算が全くなかったかと言われたら嘘になるが、まずそもそもがレオンの粗暴さが原因であり、そこに元々穏やかで優しい性格のブランシュが加われば、こんな構図になるのは必然だった。王城でのブランシュは使用人を意図して味方に引き入れるような真似はしなかったが、それでもブランシュの評判はかの第二正妃であるアネット妃が認めるほどに良かったのだ。今はそこに少しの意図を加えて、味方になりそうな人々に優しさを少し足して手を差し伸べるようにしたに過ぎない。だがそうすれば彼らは美しく優しいお嬢様に味方するのであった。
ブランシュは使用人達の心を徐々に掌握していく傍ら、現公爵であるシモン・オーベルヴィリエの執務の補佐につき、公爵家の領地経営や事業の運用について学んでいった。既にブランシュは王立学園を飛び級で卒業したという扱いになっており、また2年余の短い期間で王太子妃教育を修め、王妃教育も前半まで終えていた。ブランシュはアネット妃をして優秀だと言わしめた程である。そんな彼女が公爵家の執務を熟せないはずはなかった。シモン・オーベルヴィリエはブランシュの能力を高く評価した。そしてそれは決してシモンの贔屓目でないことは他の目にも明らかだった。
これまで公爵家の主たる執務はシモン一人が熟していた。もちろん家令を初めとした補佐をする人々はいるが、重要なことになるとシモン自身が決裁処理をしなくてはならない。本来であれば、公爵夫人たる人物がその補佐をするものだが、シモンは真実の愛を叫び、略奪平民女を公爵夫人に据えてしまっていた。他の家の例に漏れず、この略奪平民女に公爵家の執務の補佐や家政は出来ず、さりとて社交界に出すわけにも行かなかったため、レオンを産んでからは領地のほどよい別荘に療養という名の隔離とするしかなかった。レオンもまた、本来であれば父親の補佐をする年齢であるのだが、彼は地味な書類仕事を嫌い、見た目だけは華やかで楽な第5騎士団に入り浸っていたため、先代公爵夫妻が亡き現在、シモンは一人で公爵家を切り盛りしていたのである。そもそも婚約破棄など仕掛けなければこんなことにはならず、その点では今の事態はシモンの自業自得であるのだが、ピエール王や他の真実の愛の当事者達と異なり、シモンは自分の招いたことだからと他に文句を言うこともなく、現実から逃避して享楽に耽ることもなく、公爵家を無難に運営していた点は評価されるだろう。もし、シモンも執務を投げ出すようであれば、家令のジョルジュを初め、公爵家の古参の使用人達はオーベルヴィリエ公爵家を見限っていただろう。実際、次代のレオンは全く役に立たないどころか、たびたびトラブルを起こしてシモンや公爵家に負担をかけていたため、使用人達はレオンを見限りつつあった。
シモンは日々の業務を淡々と熟していたのだが、それでもシモンに無理がかかっていないわけではなかった。シモン自身は隠していたが、常にうっすらと疲れており、よく見ると目の下にはクマが浮かんでいた。家令のジョルジュ他、シモンの下で働く人々は彼を心配していたが、代わりに出来ることは多くなく、見守ることしか出来なかった。そんなときにやってきたのがブランシュである。彼女は積極的にシモンの補佐につき、公爵家の業務を覚えていった。そして半年もしないうちに彼女が本来の公爵夫人が担う執務を行うようになった。おかげでシモンの負担は大分軽減され、顔色は良くなり、クマも薄くなった。シモンの下についていたジョルジュらもブランシュのおかげで仕事が捗りやすくなり、また主の具合が良くなったこともあって、ジョルジュらはブランシュを認め、信頼するようになった。
現公爵であるシモンも、ブランシュを高く評価し、これまでは単独で出席していた社交界にも、次期当主夫人としてブランシュを帯同するようになっていた。本来であればレオンがブランシュを伴って社交界に赴かねばならないのだが、彼は貴族的な社交をくだらないものとして厭い、目上の者には無礼を働き、目下のものに不遜な態度を取るため、例え彼が望んだとしても社交界には出せなかったのである。




