06. ブランシュ、婚約解消される
ところがブランシュの予想に反して事態は早く動いた。
3日後、ブランシュは謁見の間に呼び出された。
そこには国王ピエールと王太子フィリベール、そして第二正妃アネット。後ろには宰相と数人の文官が控えていた。
国王と王太子はどちらもニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべており、この呼び出しが良くないものであることを示していた。アネット妃に視線を移すと、彼女は何も知らないというように首をわずかに横に振った。宰相と文官はおそらく記録のためにいるのだろう。
国王ピエールが口を開く。
「そなたとフィリベールが婚約して2年余り。だがその間、仲は全く進展していないようだな」
ブランシュは黙っているほかない。発言を許されていないからだ。
「しかし男女の仲には相性というものがある。相性の合わぬものを無理に婚約させ続けるほど余は狭量ではないつもりだ。ならば、そなたブランシュ・イエールと王太子フィリベール・ヴァルドワーズの婚約は解消としよう」
婚約解消。ブランシュに否やはない。王太子フィリベールに何の愛情も抱いていなかったのだから。だが、次に続く国王の言葉は予想だにしないものだった。
「だがそなたは王妃教育まで受けておる。こうなってしまうとそなたを王家の外に出すことはできぬ。このままでは毒杯を授けるしかなくなるなぁ・・・」
まさかの死の宣告。ブランシュは動揺を表情に出さないようにしていたが、毒杯という言葉が頭の中で何度も繰り返された。
王太子フィリベールは歪んだ笑顔をこちらに向けている。これが王太子に逆らった罰だと突きつけているようだ。
国王もねっとりとした笑みを浮かべている。
第二正妃アネットは珍しく表情を露わにしており、国王を見る目には怒りが宿っている。その様子だと彼女はこの顛末を知らされていなかったのだろう。
未だ発言を許されていないブランシュは黙っていることしかできない。国王から再び声がかかる。
「恐ろしいか。そうだろうなぁ。だが余は慈悲深いのだ。若く美しいそなたをみすみす死なせたくはないのだよ。余の手を取るがよい。ブランシュ・イエールよ、余の側妃になれ」
ああ、そういうことかとブランシュは納得した。
国王と王太子の利害が一致してしまったのだ。
王太子フィリベールはいけ好かないブランシュとの婚約を破棄したい、一方で国王ピエールは美しいブランシュを自分のものにしたい。
その結果が今だ。
「発言を許そう。ブランシュ・イエールよ。選ぶがよい」
ピエール王から発言の許可が下りる。
ブランシュは目をつぶって考える。流石にここで死にたくはない。そうなると選択肢はもう残っていない。
ブランシュが口を開こうとしたその時だ。
「異議がありますわ」
アネット妃の凜とした声が響いた。
「陛下、三人目以上の妃が認められるのは世継ぎがいない場合に限られます。現在陛下には第一正妃の間に王太子、私第二正妃との間に第一・第二王女がおります。側妃が必要とされる状況ではありません」
「なにを生意気なことを。余が望んでおるのだぞ」
国王が渋面となるもアネット妃は怯まない。
「これは国法で定められておりますゆえ。国王陛下といえども国法に逆らうことはできません」
ぐぐぐと顔をしかめるピエール国王、しかしすぐに表情を変え勝ち誇った様子になる。
「ならばブランシュ・イエールには毒杯を与えるしかないなぁ。お前のこざかしい屁理屈でこの者は何の罪もないのに若い命を散らすのだ」
今度はアネット妃の顔が険しいものになる。普段彼女が表情をあらわにすることはないから非常に珍しい。
ピエール王もそれをわかっていてか、嫌らしい笑みを浮かべる。
「国母などと持て囃されているお前だが、哀れな娘一人救えぬとは惨めよな。それとも冷酷に切り捨てるか?」
グォッフォッフォと不気味な笑い声を上げるピエール王。
「ではこの者の処遇をお前に一任しようではないかアネットよ」
得意げにピエール王は告げる。
「ブランシュ・イエールの処遇をアネット、お前が決定せよ。お前の決定を王命に準じて扱ってやろう」
ピエール王は言っているのだ。ブランシュの命を救いたければお前の口から「国王の側妃になれ」と命じろと。
ぐっと唇をかんだ後、アネット妃はゆっくりと口を開いた。
「ブランシュ・イエールをオーベルヴィリエ公爵家嫡男、レオン・オーベルヴィリエの婚約者とすることを命ずる!」
愕然としたのは国王だ。
「オーベルヴィリエ公爵家は王家の傍系、準王族と言える立場。まだ王妃教育が前半にとどまっているブランシュ嬢が嫁ぐのに支障はありませんわ。そうですわね宰相」
「仰せの通りでございます妃殿下。直ちにオーベルヴィリエ公爵家に使いをやり、ブランシュ嬢の輿入れの準備を整えさせましょう」
アネット妃と宰相の間で話が進み始めかけるが、ピエール王が待ったをかけた。
「み、認めぬぞ!」
だが宰相ははて?とわざとらしく首をかしげ、そして答えた。
「ブランシュ嬢の処遇をアネット妃殿下に一任したのは他ならぬ陛下でしょう。そしてそのアネット妃殿下の決定を王命に準じて扱うとも。まさか陛下ともあろうお方が軽々しくお言葉を翻されるので?」
こう言われてしまえばピエール王は黙るしかなかった。
ブランシュは王太子フィリベールの婚約者からオーベルヴィリエ公爵家嫡男レオン・オーベルヴィリエの婚約者に正式に変更され、一週間後に王城を後にし、オーベルヴィリエ公爵家に輿入れすることが決定された。
王城を去る前日、ブランシュはアネット妃からプライベートな茶会の招待を受けた。
ブランシュが席に着くと早々アネット妃に頭を下げられた。慌てて頭を上げてくださいとブランシュが言うと、アネット妃は姿勢を直しゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「貴女を守り切れなかった。完全に後手に回ってしまったわ。あの男が貴女のことを狙っていたことはわかっていたのに。フィリベールがここまで性急にことを運ぶことを予想できなかったことも手落ちね」
「そんなことはございません。妃殿下は私を守ってくださいました」
「そもそも最初から守れていたら貴女はフィリベールの婚約者にはならなかったわ。最初から最後まであの男が勝手に決めて勝手に解消した婚約。ああいうことに限ってあの男は狡猾で素早いのよ。私は全て後手後手に回ってしまったわ」
アネット妃は紅茶で喉を潤すと続けた。
「貴女をあの狸から逃がすためにはもう選択肢がなかったのだけれど、オーベルヴィリエ公爵家もかつて真実の愛騒動を起こした家よ。王命扱いで婚約させたからすぐに婚約を破棄されて放り出されることはないと思いたいけれど、この婚約は妥協の産物でしかない。隠してもすぐにわかってしまうから言ってしまうけれどレオン・オーベルヴィリエはフィリベールより多少マシ程度でしかないボンクラで、例のごとく彼もまた市井に真実の愛を囲っているそうよ。あなたには気の毒だけれど、お世辞にも良い相手とは言えないわね。本当に申し訳なく思うわ、こんな逃げ道しか用意できなくて」
アネット妃のヘーゼルの瞳がブランシュを捉える。
「何故かしら? 私には貴女がこの婚約に希望を持っていなくても、絶望しているようにも見えない。いえ、この婚約だけではないわ。フィリベールとの婚約の時も。流石に毒杯の話が出たときは貴女もショックを受けていた様子だったけれども、その後ピエール王の側妃になることを迫られたときの貴女は冷静だった。まるで最初から諦めているような」
「そうかもしれません」
アネット妃の瞳が伏せられる。
「ブランシュ、貴女はとても優秀よ。そして優しくてとてもいい子。使用人達からもよい評判が上がってきているわ。ただ、私には貴女が必要以上に自分を押し込めて他人に合わせようとしているように見えるの。貴女ってわがままらしいわがままを言ったことがあるかしら?」
アネット妃に言われてブランシュは考え込む。
思い浮かばなかった。
「わがままを言うことは悪いことではないでしょうか」
「そうね、度を超せば。でも貴女はもう少し自分はあれが欲しい、これがしたいと主張していいと思うわ。だって貴女、こちらから言わないとドレス一枚、アクセサリー一つ求めないでしょう」
イエール伯爵家であまり良い扱いをされず育ったブランシュは自分の希望を通すという行為を無意識にしなくなっていた。世話をしてくれた使用人達は優しくしてくれて、欲しいものがあれば仰ってくださいとよく言ってくれていたのだが、彼らに迷惑をかけてはいけないという気持ちの方が先立ってしまい、大丈夫だからと遠慮してしまっていた。
「私はそれが良くないことだと思っていました」
「程度の問題ね。浪費は問題外だけれど、貴女はもう少し欲を出してもいい。欲望は悪いことのように語られがちだけれど、人が生きる力でもあるの。あれがほしい、これがしたい、ああなりたい。そういった願いが人を前に進ませる。今の貴女を見ると生きる力がとても弱くて、すぐにでも消えてしまいそうに見えるわ」
「欲を出さず、国のために尽くすことが私の使命だと考えておりました。妃殿下は国のために日夜尽くされておられます。私は妃殿下のようになるべきだと考えました」
「ああ、そう・・・」
アネット妃はどこかばつが悪そうにする。
「貴女が相手だから言ってしまうけれど、私は自分を殺して無欲に国に尽くすなんてたいそうなことはしていないわよ?」
「でも・・・」
「私は人から賞賛を受けるのが何よりも好きで、そのためだったらどんなことだってできるだけなの。国王の代わりに執務を全て熟すことだって、それこそ愛していない相手との間に子をもうけることだってね」
「え・・・?」
「子のいない妃なんて舐められるだけよ。でもおかげで可愛い娘が二人産まれて、どちらも優秀に育ってくれたから、今やあの子達が次期王の本命。私はあの子達を産んだ母親としても尊敬されるし、素晴らしい王妃だと国中から羨望の眼差しで見られる。女神だなんて言ってくれる人もいて、その時はとても嬉しくて涙が出そうになったわ」
コロコロと笑うアネット妃。なんという強き人だろうとブランシュは感嘆するばかりだった。
「つい話しすぎてしまったわ。こんな私に失望したかしら?」
「いいえ、素晴らしいと思いました」
翌日、ブランシュは馬車に乗せられ、2年余過ごした王城を後にした。向かう先はオーベルヴィリエ公爵家だ。公爵家からは住み込みで花嫁修業に入って欲しいと言われたため、必要なものは先に公爵家に届けられている。学園には書類を出し卒業認定を得た。1年と少しの学園生活は終わりだ。
公爵家への道すがら、ブランシュは昨日のアネット妃とのお茶会を思い出していた。
『あなたにも本当に欲しいものが見つかればいいのだけれど』
「本当に欲しいもの」
静かにその言葉を口に出す。
アネット妃は人からの賞賛が何よりも好きだと言っていた。ブランシュ自身はどうなのだろう? 本当に欲しいもの、今のブランシュにはすぐには浮かばない。しかし、昔のことは思い出せる。隙間風吹きすさぶ寒い離れからみた伯爵家の本邸、窓からこぼれ落ちる暖かい光、寒さに震える幼いブランシュにとってそれらは何よりも欲してやまないものだった。
ブランシュがどう手を伸ばしても本邸のぬくもりに届かない。夜が更けて本邸の明かりが消えると、ブランシュも寝床につくのだが寂しさは残り続けた。そして隙間風の寒さは容赦なくブランシュを突き刺した。そんな時はブランシュは小さな紙に絵を描き、夢を見られるように願ったのだ。
ブランシュの理想の家。暖かい光に包まれて寒くない家。壁は綺麗な白色で、屋根は青色がいい。お庭は大きくて、緑がいっぱいで、真ん中には噴水があると素敵だ。そんな空想を紙に描いて、枕の下に入れてやると夢の中だけでも安宅なお家にいられる気がしたから。
特に寒い冬の日は震えながら、せめて夢の中だけでもと願い眠りについたものだった。
だがいつしかそれをしなくなった。
目覚めた時があまりにも辛かったから。
夢の中では理想のお家にいられたけれど、目覚めるととても寒くて寂しい。
手を伸ばしても届かない、求めても与えられない。夢見ても叶わない。手を伸ばしても届かないならば、求めても与えられないならば、諦めてしまおう。悲しい思いをするくらいならば、手を伸ばさない方がいい、求めない方がいい。夢も見ない方がいい。手に届く、そこにあるもので満足できれば十分なはずだから。
ピエール王から側妃になれといわれたときですらそうだったのだ。アネット妃が止めてくれたが、そうでなければそこにあるもの、つまりピエール王の手を取っただろう。ピエール王の手を取れば少なくとも殺されることはないだろうし、それなりの待遇で王城においてもらえるはずだ。むしろ敵視してくる王太子フィリベールよりも良いのではという考えすらある。世継ぎを産むとしても魔力差の大きいフィリベールよりピエールが相手の方が妊娠も出産も安全だ。
そう考えを巡らせたとき、ブランシュはなんて人ごとなんだろうと改めて思った。アネット妃の言うとおりだ。これまでのブランシュには自分の希望も主張もなかったのだ。
「私が本当に欲しいもの・・・」
目をつぶると浮かぶのは伯爵家の離れから見続けたあの風景。あるいは紙に描き、夢に見続けた理想の家。
その時、御者からまもなく公爵家に到着すると告げられた。馬車の窓に掛かるカーテンを開けると公爵家の屋敷が見え始めていた。
その時だった、ブランシュの胸がどくんとはねたのは。




