04. ブランシュ、王太子の婚約者になる
王城はとにかく大きかった。王家の住処でもあるはずなのだが、国の中枢でもあり、それゆえ人の出入りも多い。長らく眺め続けた伯爵家の本邸と違って人の住む家庭という雰囲気を感じない。
王城の中に入っても行き交う人は多く、やはり公的な場所という印象だ。そして開口部や吹き抜けが多く、隙間風が吹き込むことはなかろうが冬の夜は冷えそうだとブランシュは思った。
謁見の間に通され、ブランシュは顔を伏せて待つ。やがて国王が入場し、声がかかる。
「面を上げよ」
ブランシュは顔を上げる。玉座にはピエール・ヴァルドワーズ国王、その両隣には第一正妃と第二正妃、第一正妃の横に立つのは王太子フィリベール・ヴァルドワーズだ。
「名を名乗ることを許す」
「イエール伯爵家長女、ブランシュ・イエールが王国の輝ける太陽であらせられる陛下にご挨拶申し上げます」
定型通りの淑女の礼を返すとピエール国王は満足そうに「よい」と答えた。
「そなたを王太子フィリベールの婚約者とする。4年の後、そなたが成人となった暁には婚姻の儀を取り計らう。これは王命である。未来の国母となるべく励むように」
ピエール国王の言葉そのものに違和感はない。だがブランシュは彼の表情が気になった。笑みを浮かべているのだがどこか値踏みするような悪意があるような表情。
ああ、これはクロエが『採寸』するときの表情に似ているのだ。それも彼女のそれよりもはるかに色欲に満ちて粘っこい。そして、身体を舐め回すようにねっとりとした視線を向けてくる。
(まさか王様に欲情した目線を向けられるなんて。クロエが言った気をつけてってこういうことだったの。どこであの子はこれを知ったのかしら)
その隣の第一正妃はブランシュから露骨に顔を背けている。こちらは実にわかりやすい。後妻と同じで、お前なんぞ認めないと言っているのだ。そしてその横に立つ王太子フィリベールもこちらを見下したような表情を向けている。こちらは父親アンドレ・イエール伯爵のそれと変わらない。調子に乗るなと牽制しているつもりなのだろう。王族がこんなに表情を露わにしていて大丈夫なのだろうか。
第二正妃アネット妃に視線だけを向けると彼女は柔和な笑みを浮かべている。その真意は計り知れない。だがこの場でふさわしい振る舞いをしている王族はアネット妃だけだとブランシュは感じた。
この間ブランシュの体感では十数分もの時が流れたが、実際は十秒足らず。
「身に余る光栄にございます」
「うむ、下がってよいぞ」
ひとまず謁見は無事終了した。
侍女に王太子の婚約者として用意された部屋に案内された。
流石に王城だけあって室内の調度品は一流の質のよいものだ。なにより寒くない部屋とふかふかの寝具がブランシュを満足させた。
翌日から早速王太子妃教育が始まり、なかなかの高密度スケジュールであったが、ブランシュからしてみれば三食立派な食事がつき、夜は暖かい部屋とふかふかの布団で眠れ、昼間は学びを与えてもらえるのだからこの生活に否やはなかった。
とはいえ、最初の方の教育スケジュールが魔法と護身術に偏っていた気がするのは何故だろうブランシュは首をかしげた。特に結界魔法については基礎からたたき込まれ、寝ている間も発動できるように訓練させられた。過去にクロエにもらった魔導書が生きたのは言うまでもないだろう。
そしてその成果は割と早く訪れた。
いつものように防御結界を張って就寝すると、その結界にはじかれた者の気配がした。直ちに起床し
「曲者だ! 引っ捕らえよ!!」
と叫び、護衛騎士を呼びつけた。
「ぶぎゃ! 余を誰だと思って・・・ごげ!!」
外からは不審者らしき人物の悲鳴と、格闘する護衛騎士の怒声が聞こえてきた。捕り物はまもなく終わり、護衛騎士が「もう大丈夫、お騒がせしました」と声をかけてきた。ブランシュが不審者について聞くと護衛騎士は困ったようになり「ああ、手練れだったようで・・・どうにか追い出すことが精一杯でした。申し訳ありません。今後は護衛を増やして対処いたしますので、ブランシュ嬢は安心してお休みください」と歯切れの悪い答えが返ってきた。
翌日、騒動を心配したというアネット妃が訪ねてきた。
「曲者を見事撃退したそうね」
「はい、結界魔法で察知し、護衛騎士を呼びました。王太子妃教育の手順通りの対処です」
「怯えて教えられた手順を踏めない子も多いらしいのだけれども、あなたは肝が据わっているわね」
アネット妃は紅茶のカップに少し口をつけると意味深に視線を外した。ブランシュもつられて視線をそちらに向けると、どこかくたびれた様相のピエール王がこちらを睨み付けていた。
「あなたのところの護衛騎士には『相手が誰であっても』あなたを守るよう厳命しているわ。だから安心して頂戴」
アネット妃の微笑みは朝日のように眩しかった。
ブランシュの王太子妃教育は順調に進められたが、王太子フィリベールとの交流は進まなかった。いや、進まなかったという言葉ですらも甘かった。何せ定例の茶会はすっぽかされるのが当たり前、まれに出てきたときもブランシュが挨拶をしても一言も言葉を発せず鼻を鳴らして終わり。最初からこの調子だったので、ブランシュもフィリベール王太子に期待することはなく、王太子との交流の場であった茶会はブランシュが一人でお茶を飲みながら読書をするティータイムへと変貌していた。
この日もフィリベール王太子は欠席、ブランシュは一人でお茶を飲みながら本のページをめくっていた。空になったカップを戻し、ふと顔を上げると侍女の様子が目に映る。今日の侍女は黒髪の20代後半くらいの女性だ。表情は硬く、その黒い瞳で見つめられるとどこか射貫かれたような気持ちになる。悪い言い方をすれば愛想のない女性だ。
ブランシュはなんとなく彼女に尋ねた。
「フィリベール王太子がこのお茶会に来ない理由、あなたは何か知っている?」
黒髪の侍女は手を止めて答えた。
「申し訳ございません。私からお話しできる確かなことはございません」
事務的なやりとりだったが、その言い回しにはだいぶ気が遣われていることがわかった。『話せる確かなことはない』か、その通りだとブランシュは思った。そして彼女が入れた紅茶に口をつける。
ブランシュは表情を緩ませていった。
「美味しいわ」
別の日のティータイムでは茶色のくせっ毛の侍女が控えていた。人好きのするような表情は多くが見れば好ましいものだっただろうが、ブランシュにはどこか軽薄さが感じられた。
ブランシュが本から視線を外してその侍女の方を見ると、その侍女はいかにも私はいろいろ知っているのですよとどこか勝ち誇ったような表情を向けてきた。
「フィリベール王太子がこのお茶会に来ない理由、あなたは何か知っている?」
黒髪の侍女にした者と同じ問いかけを茶髪の侍女にする。
すると彼女は得意げに話し始めた。
「フィリベール殿下は『真実の愛』がいらっしゃるのです。彼女は平民出身のメイドで殿下が王宮にお部屋を与えて愛でられているそうですわ。身分を越えた愛、素敵ですよね。お二人は今頃ロマンチックな一時を過ごしているんでしょうね」
茶髪の侍女はうっとりしながら話し続けている。
フィリベール王太子に『真実の愛』らしき人物がいることはもちろんブランシュは把握していた。だがブランシュ自身にフィリベール王太子への愛情などかけらもなかったので、彼の不貞を諫めてやる義理もなかったのである。
それよりもとブランシュは茶髪の侍女から目線を外す。彼女は楽しそうに囀り続けていた。
この日のお茶は酷く渋く、ぬるかった。
そしてこの日のお茶会にもフィリベール王太子は現れなかった。
いつものことなのでブランシュは気にせず、四阿に設置された椅子に腰掛けた。
いれられた紅茶を一口含むと酷く渋く、ぬるかった。
控えている侍女は茶髪でくせっ毛の侍女だ。心中でため息をつくとブランシュは侍女に持ってきた本を準備するよう指示した。ところがその本がすぐに出てこない。
ブランシュがいぶかしげにしていると茶髪の侍女がクスクス笑いながら本を出してきた。しかしその本にはべっとりと汚れが染みついてしまっていた。
「ごめんなさいブランシュ様、転んでしまって本を落としてしまったの」
口では謝罪の言葉を述べているがその態度はどう見ても謝っていない。大方王太子に見向きもされないブランシュを侮ったのだろう。イエール伯爵家にもこんな意地の悪い使用人は多少いたからブランシュが今更動じることはなかった。
「そう。その本は王宮図書室所蔵のものだから。あなたが図書室司書長に謝罪して弁償するのよ」
「なっ!」
茶髪の侍女が驚いたように目を見開き固まる。
ブランシュは当たり前のことしか言っていないのにどうしてそのような表情をするのかと首をかしげた。
「自分からは言い出しづらいのかしら。ならば手伝ってあげるわ」
茶髪の侍女の表情が緩むが、次の展開は彼女の期待するものではなかった。ブランシュは黒髪の侍女を呼ぶと、茶髪の美女が本を損壊したこと、その彼女に本を弁償させることの2つを図書室司書長に伝えるようと指示した。
茶髪の侍女は汚れた本を抱えて膝から崩れ落ちた。
そんなに後悔するならつまらない嫌がらせなどしなければいいのに。
王宮の使用人にもいろいろいるようで、学びには事欠かなかった。冷遇されて育ったブランシュは多少の嫌がらせ程度では動じることはなかった。そしてその嫌がらせも流石に暴力的なものではなかったため、冷静に対処すれば解決できたのもブランシュにとってはよかった。
一方で、まともな使用人達に対してはブランシュは優しく穏やかであったため、使用人達の間ではブランシュの評判は高かった。そして時間が経過すると嫌がらせをする使用人は淘汰され、ブランシュは大切に扱われるようになっていた。
おかげでブランシュは割と快適に王城生活を送った。冷える夜の廊下が寒いことがブランシュが抱いた王城生活における数少ない不満らしい不満だった。
フィリベール王太子? 会うと睨み付けてくるだけの存在ですが何か?




