03. 伯爵令嬢ブランシュ・イエール
さて、いよいよブランシュ・イエールの話をしよう。
ブランシュ・イエールはイエール伯爵家の長女として生を受けた。
ブランシュの父親、アンドレ・イエール伯爵は『真実の愛の世代』の当事者であるが、『7人のうわきし』には入っていない。だが似たようなものだ。
彼は地方の子爵家の令嬢と婚約をしながらも、影では1つ下の平民の特待生の少女と逢瀬を重ねていた。アンドレは平民少女との浮気をうまいこと隠したまま、ブランシュの母親となる子爵家の令嬢と結婚した。そして母親はブランシュを産むと、数年で他界してしまい、その後晴れて浮気相手の略奪平民女を後妻として引き入れたのである。
婚約破棄を叫んだ7人と違い、隠し通した分知略的ではあるが、より悪質とも言える。
母親を亡くしたブランシュは伯爵家の本邸から追い出され、離れに押し込められた。幸い伯爵家の古参の使用人達は良識的で、ブランシュに対して同情的だったため、食事を抜かれたり暴力を振るわれたり等の直接的な虐待が日常的に行われることはなかったが、押し込められた離れは古く、ブランシュは隙間風に震えながらの生活を強いられることになってしまった。使用人達がどうにか費用を工面して離れの修繕を業者に依頼しようとするも、そのたびに伯爵や後妻が大騒ぎし業者を追い出してしまうため、離れの修繕はままならなかった。普段の領地経営や家政はまるでやる気がなく、代官や使用人に丸投げしているくせにブランシュへの嫌がらせになると積極的に動くのだから本当にたちが悪い。
ブランシュの母親の実家である地方の子爵家はそれ程政治的権力のある家ではなく、イエール伯爵家に対立してブランシュを強引に引き取ることはできなかった。そんなことをすれば子爵家が潰されてしまう。そのため、どうにかドレスや日用品、あるいは教育に必要な書物を伯爵家への贈り物と混ぜてこっそり送り届けてやることくらいしかできなかった。
幼いブランシュは夕暮になると崩れかかった離れのベランダから本邸を眺めていることが多かった。
レンガ造り風の装飾が施された大きく重厚な屋敷は、離れのベランダからは庭の木々が邪魔をしてその全貌を見ることはできない。それでも窓から明かりが漏れている様子はわかる。かつて母親が生きていた頃はブランシュもあの暖かな光の中にいたのだ。今はもう手を伸ばしても届かない。
「お嬢様、お身体が冷えます」
壮年の執事、ジャンがやってきていた。その後ろには侍女のアンもいる。彼らも忙しいだろうにこうして離れまでやってきてブランシュの世話をしてくれているのだ。それでも寂しくてブランシュはジャンに尋ねた。
「どうして私はあちらのお家にはいられないの?」
幼いブランシュの青い瞳に見つめられてジャンはうつむいた。
ブランシュが本邸に入ると伯爵や後妻、そして後妻派の使用人に苛烈な折檻を受けるからだったが、悲しそうな眼で見つめるブランシュにそのことをそのまま言えるはずもなかった。
アンも悔しそうに唇をかんで黙っていることしかできなかった。
後妻の娘、異母妹のクロエの誕生日は伯爵家を挙げて祝われ、盛大なパーティが開かれるが、冷遇されているブランシュの誕生日が祝われることはない。それでもブランシュが寂しくないように、使用人達はささやかながら彼女の誕生日を祝おうとした。
「お嬢様、今欲しいものはございますか?」
「そうね・・・叶わないとは思っているのだけれど、今本当に欲しいもの。寒くなくて暖かい家かな」
どこに『暖かい家』を誕生日に欲しがる貴族令嬢がいるというのだ。そんなものは望まずとも与えられて当然のものなのに。
あまりの痛ましさに控えていたアンはうつむいて嗚咽を漏らし、ジャンは頭を垂れかろうじて次の言葉を紡ぎ出すことしかできなかった。
「不甲斐ない執事で申し訳ございません」
ブランシュはそっとジャンの頬に触れる。
「ごめんなさい。悲しませるつもりではなかったの」
ジャンの目からも涙がこぼれ落ちていた。
父親や後妻、そして心ない使用人に嫌がらせをされることはそれなりにあったものの、良識的な古参の使用人達に守られてブランシュは育った。そしてブランシュが14歳になったある日のこと、王宮から伝令が届き、ブランシュが王太子フィリベールの婚約者に指名されたことが伝えられたのである。
その少し前のこと、王城でピエール王はうなっていた。なぜならフィリベール王太子の婚約者を決める第1回の儀が大失敗に終わったからだ。触れを出した侯爵家と辺境伯家のほとんどにけんもほろろに断られた挙げ句、かつての『真実の愛』仲間の家からやってきた2人の令嬢も使い物にならなかった。
ピエール王はため息をついた。まさか侯爵家と辺境伯家全てが駄目だとは。そうなるとその下の伯爵家から選ぶしかない。今度はあんなことにならないよう慎重に選ばなくては。
そして彼が目をつけたのがイエール伯爵家のブランシュであった。イエール伯爵家ならば現当主が真実の愛である後妻を迎えているのでこちら側だ。そしてブランシュは前妻の子でイエール伯爵も出し惜しみはしないだろう。何よりもブランシュの魔力は高い。
と、いろいろ理由を列挙してはいたが、実のところいずれも後付けでしかなく、ブランシュの絵姿がピエール王の好みだったというのが最大の理由だった。ピエール王はグフグフと不気味な笑い声を漏らしながら侍従を呼びつけ、イエール伯爵家へ使者を送るよう指示したのであった。
ブランシュにとっては青天の霹靂だった。
何せ朝に突然父親であるアンドレ・イエール伯爵が離れにやってきて何の前触れもなくこう告げたからだ。
「ブランシュ、お前が王太子殿下の婚約者に指名された」
憮然とした表情の父親にそう告げられてブランシュはこてりと首をかしげた。
「クロエの間違いではなくて?」
「ふん! 私とてクロエを王太子妃にしてやりたいが、陛下直々の指名では断れぬ」
それでもこの父親なら異母妹クロエを無理矢理王太子妃にねじ込みそうなものだが、とブランシュは独りごちた。
「それにクロエはお前と違って可愛いのだ。私が『クロエは王太子妃になりたくはないのか?』 と問うたら、『私は王太子妃になるよりお父様とずっと一緒にいたいです』と答えたのだ。なんて健気な子だ!」
拳を握り、斜め上を向いてうなる伯爵。感動している様子だったが、本当にクロエは王太子妃になりたくなかったんだろうなとブランシュは思った。その理由も面倒くさいとかそのあたりだろう。
ブランシュは離れにおり、クロエは本邸に引っ込んでることが多いので顔を合わせる機会は多くないが、たまに庭でクロエを見かけるとたいてい藍色のローブを着込んででかい魔法をぶっ放していた。流石に朝からやられるのは迷惑だからとたしなめると魔導書を渡された。
「結界魔法、便利だから」
そう言うと再びクロエは魔方陣を描き詠唱を始めるのであった。彼女の行動はよくわからない。
魔導書はありがたく頂戴し、学ばせてもらった。おかげでブランシュは結界魔法を習得できたが、覚えた結界では騒音と隙間風は防げなかった。悲しい。
そしてことあるごとに彼女は茶会の招待状を押しつけてきた。ブランシュとしては貴重な社交の場だから参加することに躊躇いはないが、クロエこそ茶会に行きたくないのかと問うと。
「キャッキャウフフな百合の園だと思ったら、ギスギスクケケな食虫植物の群生地だった。焼き払いたくなるから二度と行かない」
独特な言い回しでわかりづらいが、どうやら一度行って嫌な目に遭ったらしい。それならばと行くことにした。しかしどうしても合うドレスがないことがある。母親の実家である子爵家からいくらか送られているものの、季節やドレスコードや流行の如何によっては合うものがないこともあった。伯爵家出身となると相応の対応が必要なのだ。
ため息をついていると、クロエがやってきて
「なら私のドレスを着ればいい」
と真新しいドレスを持ってきた。聞くと一度も袖を通していないという。
「私は魔導師のローブや杖が欲しいのにドレスばかり仕立てられる。お金の無駄」
どうやらクロエも苦労しているらしい。ままならない。
ならばとドレスを引き取ろうとしたものの、ブランシュと比べるとクロエはかなり小柄だった。クロエの寸法で仕立てられたドレスはブランシュに入らなかった。
「気持ちはありがたいのだけれど入らないわ」
これには珍しくクロエが憮然とした表情を見せた。怒らせてしまったかとブランシュが謝罪すると。
「なら私がドレスを仕立てさせられるときにお姉様の寸法で仕立ててもらうのをいくらか混ぜる。採寸するから手を挙げて」
ブランシュが手を挙げるとクロエが少しだけ微笑む。
そしてまず右腕を、そして左腕をなでるように触れると、今度は背中、そして胸を丹念になでられというかもまれ、続いて腰やお尻も丹念になで回され、最後に両足をすりすり・・・。
「お姉様ってやわらか」ブランシュは思い切りクロエの頭にげんこつを落とした。
「酷い。採寸しただけなのに解せない」
げんこつに沈んだクロエはうめいた。黙らっしゃい、やわらかとか言ったの聞こえてたからな。後から聞くとこれは禁術となった採寸の魔法だったらしい。対象の全身をなで回すことで正確に寸法を測れるのだとか。しかし触り方がとてもいやらしかった。そりゃ禁術になるわそんな魔法。二度と復活しないよう埋めとけ。
そんな感じでブランシュからみた異母妹クロエはだいぶ変わった娘だった。魔法が好きなのは間違いないだろう。一方で社交は好きではなさそうだし、着飾ることにもそれ程興味はなさそうだ。しかし伯爵に取り上げられたブランシュ宛の荷物を一度預かった上で持ってきてくれたり、ドレスを調達してくれたり、茶会の招待状を押しつけ・・・もとい譲ってくれたりと、彼女に助けられた部分も多いから、根は善良なのだろう。そんなクロエに王太子妃の話を持っていっても嫌がりそうだというのは容易に想像できた。
そしてブランシュ自身もイエール伯爵家への愛着をなくしていた。世話をしてくれた使用人達のことは大切に思っているが、伯爵家そのものにはもう未練がない。幼い頃は焦がれていた本邸の暖かな光ももう手に入らないと諦めてしまっていた。出て行けというのであれば出て行こう。それが評判の悪い王太子の婚約者になることであっても。
「かしこまりました、お父様」
イエール伯爵は一週間の後に登城するから準備しておけとだけ言い残して去って行った。
出立までにブランシュは世話になった使用人達に別れを告げた。クロエにも別れを告げると。
「お姉様は華やかな美人だから気をつけて」
と意味深なことを言われた。確かにブランシュはプラチナブロンドのウェーブがかかった長い髪にサファイヤのような青い瞳、顔立ちも貴族令嬢らしく整っている。身体付きは胸もお尻もよく発達していて14歳にしては艶めかしい。
対するクロエは13歳にしては身体付きが幼く小さい。だが淡い桜色のくせのある髪と萌葱色のくりっとした大きな瞳は愛らしい。クロエは美人と言うより可愛い系だとブランシュは評価している。
「王様に気をつけて」
いつものことだがこの子は言葉が少ない。ブランシュが彼女の真意を測りかねて考え込んでいると、クロエの表情がこちらを値踏みするようなものになる。微笑んではいるのだが何か悪巧みをしているような顔だ。そして手をわきわきさせて近づいてくる。
「お別れの記念に最後の採寸を」
ブランシュはクロエの頬を引っ張った。「いひゃい」とクロエが情けない声を上げる。それ程強く引っ張ってはいないのだが。
話してやるとクロエは頬をさすりながら言う。
「こういうことだから気をつけて」
相変わらずよくわからない子だが、心配してくれているのは確かなので、ブランシュはクロエのくせっ毛をなでた。
「クロエも元気で」
そしてブランシュは14年間住んだイエール伯爵家を後にし、王城へと向かった。




