【PDCAサイクル】失敗を成功に変える改善術 4/5
フロスト・キマイラの討伐成功は、王都ギルドに大きな活気をもたらした。
しかし、それは同時に受付嬢であるアリサにとって「地獄の業務ラッシュ」の幕開けでもあった。
「アリサ! キマイラの氷牙が十本、毛皮が五枚だ! 査定と換金の手続きを急いでくれ!」
「こっちは魔石だ! 冷気を放ってて危ないから、早く専用の保管箱にしまって手続きしてくれ!」
大物魔物の素材は、高値で取引される反面、書類の手続きや保管方法が非常に複雑だ。
アリサはカウンターと奥の素材倉庫を小走りで何度も往復し、分厚い『素材価格表』をパラパラと捲りながら必死に計算書を作っていた。
「えっと、氷牙が一本銀貨八枚だから、十本で金貨……ああっ、計算が合わない! 待って、魔石の保管箱の鍵、どこに置いたっけ!?」
アリサのデスクの上は、数日前のカイルのように書類と素材でカオスな状態になりかけていた。焦れば焦るほど計算ミスが増え、その度に最初から書き直しになる。
「……随分と手際が悪いのね、アリサ」
パタン、と。
アリサが開いていた価格表が、冷たい手によって閉じられた。シレーヌだ。
「シ、シレーヌ先輩! すみません、キマイラの素材処理が想定より多くて……!」
「言い訳はいいわ。今のあなたの姿、数日前の『蒼天の流星』の三人と同じに見えるけれど?」
「えっ……?」
シレーヌの言葉に、アリサはハッとして自分のデスクを見下ろした。
散らかった書類。パニックになっている自分。
「彼らに『失敗をそのままにするな』と偉そうに説教しておきながら、自分は忙しさを理由に『効率の悪さ(失敗)』を放置したまま力技で解決しようとしている。違うかしら?」
「うっ……」
「PDCAサイクルは、冒険者の戦闘だけのものではないわ。私たち受付嬢の日常業務にこそ、成長の車輪は必要なのよ」
シレーヌは、アリサの胸元をトントンと指で叩いた。
「さあ、頭を冷やして回しなさい。あなたの『C(評価)』と『A(改善)』を」
アリサは深く深呼吸をして、一度ペンを置いた。
目の前で早く換金してくれと待っている冒険者たち(今回は他のパーティーもキマイラの恩恵でおこぼれ素材を持ち帰っていた)を待たせるのは心苦しかったが、ここで車輪を回さなければ、結局もっと待たせることになる。
――私の業務の何が悪かったのか?(C:評価)
「……私はさっきから、キマイラの牙を一本受け取るたびに価格表を開いて値段を確認し、倉庫に走って保管し、戻ってきてから書類を書いていました」
「そうね。事実として、あなたの『移動回数』と『調べる回数』が異常に多いわ」
「原因は、キマイラの素材の価格を暗記していないことと、素材ごとに個別で処理しようとしているからです」
事実と原因が言語化された。
アリサは手帳を開き、すぐさま『A(改善)』のルールを作る。気合で乗り切るのではなく、具体的な仕組みだ。
「……改善します。まず、キマイラ関連の素材価格だけを抜粋した『専用の早見表』を一枚の紙に書き出して、カウンターに貼り付けます。これで分厚い本をめくる時間をゼロにします」
「いいわね。移動回数は?」
「倉庫の往復をやめます! カウンターの下に『一時保管用の木箱』を三つ置き、『牙』『毛皮』『魔石』と分類して放り込みます。そして、窓口が閉まる夕方に、一気に台車で倉庫へ運びます!」
アリサが改善案を言い切ると、シレーヌは満足げに頷いた。
「よろしい。なら、すぐに行動(実行)に移しなさい」
「はいっ!」
アリサの動きは劇的に変わった。
即座に早見表のメモをカウンターに貼り付け、足元に空の木箱を用意する。
「次の方、どうぞ! キマイラの氷牙ですね。早見表より、十本で金貨八枚です。素材はこちらの箱で一旦お預かりしますね。はい、次の方!」
価格表をめくる時間と、倉庫を往復する時間が「ゼロ」になったことで、アリサの処理スピードは先ほどの三倍以上に跳ね上がった。
長蛇の列を作っていた冒険者たちが、あっという間に捌けていく。
「すげえな、アリサちゃん。さっきまでテンパってたのに、急に動きが洗練されたぞ」
「おう、これで今夜は早く酒が飲めるぜ!」
冒険者たちから感謝の言葉をかけられ、アリサは照れくさそうに笑った。
夕方。
すべての処理を終え、一時保管箱に入った素材を台車で一気に倉庫へ運び終えたアリサは、心地よい疲労感とともにカウンターへ戻ってきた。
「お疲れ様、アリサ」
シレーヌが、湯気の立つハーブティーをアリサの前に差し出した。
「ありがとうございます、シレーヌ先輩! 私、自分が教えた魔法に、自分が助けられちゃいました」
「教えることで学ぶ。それもまた一つの成長よ」
シレーヌはハーブティーのカップを傾けながら、静かに告げた。
「失敗は、冒険者にとっても私たちにとっても、宝の山なの。PDCAという車輪さえ持っていれば、どんなトラブルも『次はもっと上手くやれるチャンス』に変わる。それを理解できたなら、あなたはこのギルドで、もうどんな仕事でもこなせるはずよ」
その言葉は、まるで「卒業」を言い渡すような、どこか優しい響きを持っていた。
アリサが不思議に思ってシレーヌの顔を見上げようとした、その時。
「――号外だ!! 王都からの緊急通達!!」
ギルドの扉を蹴破るようにして、王都の伝令騎士が飛び込んできた。
「『大地の竜』と『フロスト・キマイラ』が立て続けに討伐された影響で、魔物の生態系バランスが崩壊した! 来月、王都周辺に未曾有の『スタンピード(魔物の大群行進)』が発生する可能性が極めて高い!! 王国全土のギルドに対し、最高警戒態勢の発令を命ずる!!」
ティーカップの触れ合う音が、カチャリと鳴った。
ギルド内の空気が、一瞬にして凍りつく。
「スタンピード……」
アリサはハーブティーを握りしめ、青ざめた。それは、王都そのものが滅びかねない、最大の厄災。
「……来たわね。あなたの、そしてこのギルドの『最終試験』が」
シレーヌの声は、嵐の前触れのように静かだった。




