【心理的安全性】全滅しないチーム作り 3/5
ギルドの地下訓練場には、鋭い剣圧が空気を裂く音だけが響いていた。
「シッ……! ハァッ!!」
上半身裸になったレオが、滝のような汗を流しながら、訓練用の木人に向かって狂ったように剣を叩き込んでいる。木人はすでにボロボロにひび割れていたが、彼の怒りはまったく収まる気配がない。
「……レオさん」
入り口に立ったアリサが声をかけると、レオはピタリと動きを止め、血走った目で睨みつけてきた。
「なんだ、受付嬢。俺は今気が立ってる。用がないならさっさと……」
「来週の『大地の竜』の討伐クエスト、このままではあなたたちは全滅します」(P:結論)
アリサの凛とした声が、地下室によく響いた。
レオの顔色がサッと変わり、剣を握る手にギリッと青筋が浮かぶ。
「……てめぇ、俺を愚弄しに来たのか? Aランク目前の俺たちが、全滅するだと?」
「はい。なぜなら、今の『蒼天の流星』には、致命的な欠陥があるからです」(R:理由)
「昨日のワイバーン討伐の失敗。あれは風のせいでも、ミーナさんの魔法のせいでもありません。本当の原因は、ゴルドさんのブーツの留め具が緩んでいて、踏み込みが半歩遅れたことでした」(E:具体例)
その事実を聞いた瞬間、レオの目が見開かれ、そしてカッと激しい怒りの炎が燃え上がった。
「なんだと!? あの野郎、そんな初歩的な装備の点検ミスで……! しかも昨日の反省会で、そのことを一言も言わなかったのか!? ふざけるな、今すぐあの図体を叩き斬って……!!」
レオが怒りに任せて訓練場を飛び出そうとした瞬間、アリサは両手を広げて彼の前に立ち塞がった。
「どけ!!」
「だからダメなんです!! そうやって怒鳴るから、誰もあなたにミスを報告できないんです!!」(P:結論)
アリサの叫びに、レオは弾かれたように足を止めた。
「レオさん! ゴルドさんがなぜ嘘をついたか、分かりますか? あなたに『この出来損ないが!』と罵倒されて、パーティーから追い出されるのが怖かったからです! あなたのその『怒り』が、彼から真実を奪ったんです!」
アリサは一歩も引かず、レオの目を真っ直ぐに見据えた。
恐怖で足は震えていたが、心の中にはシレーヌから教わった言葉の魔法がしっかりと根を張っている。
「ミスを許さず、完璧を求める。それはリーダーとして間違っていません。でも、人間である以上、ミスは絶対に起こります。問題なのは『ミスが起きたこと』じゃありません。『ミスを隠さなければならない空気』があることです」
アリサは手帳を開き、シレーヌが書き込んだ『心理的安全性』という言葉をレオに見せた。
「心理的安全性。誰がどんな失敗をしても、絶対に頭ごなしに否定されないという『チームの安心感』のことです。これがないチームは、ミスをした人間が自分を守るために嘘をつきます。そして嘘は重なり、取り返しのつかない致命傷になってから爆発するんです。昨日のワイバーン討伐のように」
レオは木剣を取り落とし、呆然とその場に立ち尽くした。
彼の脳裏に、これまでの自分の行動がフラッシュバックしていたのだろう。ミスをした仲間に浴びせた罵声。言い訳を許さなかった態度。自分は「チームを死なせないため」に厳しくしていたつもりだった。だが、その厳しさが、逆にチームの首を絞め、全滅の危機に追い込んでいたのだ。
「……俺の、せいだというのか」
レオの声は、先ほどの怒号が嘘のように、弱々しく震えていた。
「俺はただ……死にたくなかった。仲間を死なせたくなかったんだ。大地の竜は、ちょっとの油断で命を落とす化け物だ。だから、完璧でなきゃいけないと……」
「レオさん。シレーヌ先輩は言っていました。ギルドの仕事は一人では完結しないと。どんなに強い剣士でも、背中を守る盾と、傷を癒やす魔法がなければ死んでしまうと」
アリサは手帳を閉じ、ふっと表情を和らげた。
「心理的安全性は、『仲良しこよしでミスを許し合う甘い環境』ではありません。『お互いの命を守るために、どんな悪い報告でも、一秒でも早く共有できる強い環境』のことです」
その言葉が、レオの胸に深く突き刺さった。
自分の背中を預けていた重戦士が、恐怖のあまり「見えない毒」を隠したまま戦っていた。その事実に気づけなかった自分は、リーダーとして完全に失格だった。
「……俺は、どうすればいい。ミーナはもう出ていった。ゴルドも、俺を恐れている。俺は自分の手で、最高の仲間を壊しちまった」
「まだ間に合います。ゴルドさんが今、ミーナさんを説得に行っていますから」
アリサの言葉と同時に、訓練場の重い木の扉がギィィ……と控えめに開いた。
そこには、大きな体を小さく縮こまらせたゴルドと、気まずそうに目を逸らしているミーナの姿があった。
「レオ……」
ゴルドが絞り出すような声で呼んだ。
ミーナも、杖を握りしめながらレオの顔色を窺っている。二人の顔には、まだ「怒鳴られるのではないか」という明らかな怯えの色があった。
アリサはレオの隣に立ち、小さく囁いた。
「レオさん。今が『魔法』を使う時です。個人を責めるのではなく、ミスを生んでしまった『仕組み』に目を向けてください。怒りではなく、安心を伝えてください」
レオは深く、深く息を吸い込んだ。
そして、これまで誰にも見せたことのない、不器用で、しかし誠実な顔で二人の前に歩み出た。




