【心理的安全性】全滅しないチーム作り 2/5
翌日の昼下がり。
王都ギルドの裏路地にある木箱に腰掛け、大柄な重戦士ゴルドが一人で項垂れていた。彼の足元には、手入れが不十分なままの巨大な鉄の盾が立てかけられている。
「あの、ゴルドさん……」
おずおずと声をかけると、ゴルドはビクッと肩を震わせ、アリサを見下ろした。
「……受付嬢か。すまんな、昨日はレオが怒鳴り散らして迷惑をかけた。俺も、あいつらを止められなくて……」
「いえ、私は大丈夫です。それより、温かいスープを持ってきたので、よかったらどうぞ」
アリサが木の実と干し肉のスープが入ったマグカップを差し出すと、ゴルドは申し訳なさそうにそれを受け取った。
「……助かる。昨日の夜から、何も喉を通らなくてな」
「ミーナさんとレオさん、あれからどうなりましたか?」
「ミーナは本当にパーティーを抜けると言って、宿から荷物をまとめて出ていったよ。レオは……ギルドの訓練場で、一人で狂ったように剣を振ってる」
ゴルドはゴクリとスープを飲み込むと、深く、暗い溜息をついた。
「もう、『蒼天の流星』はおしまいだ。来週には王都からの指名依頼――西の山脈の主である『大地の竜』の討伐が控えてるっていうのに。今のバラバラの俺たちじゃ、全滅するに決まってる」
アリサはバインダーを胸に抱きしめ、ゴルドの隣の木箱にチョコンと座った。
シレーヌ先輩から授かった第3の魔法『心理的安全性』。チームの心を繋ぎ止め、全滅を防ぐための防具。それを機能させるためには、まず彼らが「なぜ壊れたのか」を知らなければならない。
「ゴルドさん。昨日のワイバーン討伐……本当は、何があったんですか? 報告書には、ミーナさんの魔法のタイミングがずれた、としか書かれていませんでしたが」
その質問に、ゴルドは顔を強張らせ、視線を泳がせた。
「そ、それは……風が強かったからで……」
「本当ですか?」
アリサが真っ直ぐに見つめると、ゴルドは耐えきれなくなったように両手で顔を覆った。
「……俺のせいなんだ」
「え?」
「ワイバーンが急降下してきた時、俺はミーナを守るために盾を構えて前に出るはずだった。でも、俺のブーツの留め具が緩んでいて、踏み込みが半歩遅れた。そのせいでミーナの視界が一瞬塞がれて、詠唱のタイミングが狂ったんだ……」
それが、真実。
風のせいでも、ミーナの詠唱ミスのせいでも、レオの盾の構えのせいでもなかった。すべては『ブーツの留め具が緩んでいた』という、ほんの些細な見落としから始まったドミノ倒しだったのだ。
「どうして、昨日の話し合いでそれを言わなかったんですか? ゴルドさんが正直に言っていれば、あんなにひどい喧嘩には……」
「言えるわけないだろう!!」
ゴルドが突然大声を出し、アリサはビクッと肩を跳ねさせた。
ハッとしたゴルドは、すぐに「すまん……」と声を潜め、震える声で続けた。
「言えなかったんだよ。レオは腕は立つが、完璧主義だ。もし『装備の確認不足で仲間を危険に晒した』なんて知れたら、あいつは俺を『この出来損ないが!』と罵倒し、二度と前衛を任せてくれないかもしれない。俺は、それが怖かった……だから、黙っていた」
重戦士の巨体が、まるで子供のように小さく丸まっていた。
アリサの脳裏に、シレーヌの言葉が蘇る。
――『今の彼らは、ミスをすることを何よりも恐れている。そして、ミスを指摘されることを攻撃だと感じている』。
アリサは、持っていた手帳を静かに開いた。
「ゴルドさん。ミスを隠したまま迷宮に潜るのは、見えない毒を受けたまま戦い続けるのと同じです」
「……わかってるさ。俺が臆病なばかりに、ミーナに責任を被せてしまった。俺は、重戦士の資格なんてない」
「違います。ゴルドさんが臆病だからじゃありません。ミスを『報告できない空気』を作ってしまったチーム全体の問題です」
アリサの強い口調に、ゴルドが顔を上げた。
「ミスをした人間を『出来損ない』と責め立て、個人の責任だけを追及する。そんなパーティーでは、誰だって自分の身を守るために嘘をつきます。魔物から身を守る盾はあっても、仲間からの攻撃を防ぐ『心の盾』がないんです。……これが『心理的安全性』がないチームの末路です」
「心理的……安全性?」
「はい。誰がどんなミスを報告しても、絶対に馬鹿にされない、攻撃されないという安心感のことです。それがないチームは、小さなミスが報告されないまま巨大に膨れ上がり、最後は全滅します」
ゴルドは、自分の足元にある鉄の盾を呆然と見つめた。
魔物の爪は弾き返せても、リーダーからの怒声と、仲間を裏切ったという罪悪感からは、自分を守れなかった。
「……どうすればいい? 俺はどうすれば、ミーナを連れ戻し、レオに本当のことを伝えられるんだ?」
「まずは、ゴルドさんが背負っている『見えない毒』を、テーブルの上に置く勇気を持つことです。でも、そのためには……レオさんにも『ミスを受け入れる準備』をしてもらわなきゃいけませんね」
アリサは手帳をパタンと閉じ、立ち上がった。
自分よりも頭二つ分も大きい重戦士に向かって、力強く微笑みかける。
「ゴルドさんは、ミーナさんを探して事情を話してきてください。レオさんの説得は、私がやります」
「えっ!? お前が、あのレオをか!? 無理だ、今のあいつは誰の言葉も耳に入らないぞ!」
「大丈夫です。私には、彼を説得するための『言葉の魔法』がありますから」
アリサはそう言い残すと、レオが一人で剣を振るっているという、ギルドの地下訓練場へと向かって駆け出した。
怒り狂うAランク冒険者を前に、魔力ゼロの受付嬢がどうやって「心の盾」を作らせるのか。
アリサの胸の内で、昨日学んだ『PREP法』と『四つの箱』が、静かに熱を帯び始めていた。




