【心理的安全性】全滅しないチーム作り 1/5
「……お前のせいだ。お前が、あの時一歩遅れたからだろ!」
「はあ!? 何言ってるのよ。あんたが勝手に突っ込んだから、フォローが間に合わなかったんでしょ!」
ギルド『暁の翼』に併設された酒場スペースに、刺々しい怒号が響き渡った。
声の主は、王都でも一目置かれる実力派パーティー『蒼天の流星』のリーダー・レオと、魔術師のミーナだ。
二人の間には、粉々に砕けたジョッキの破片が散乱し、床にはエールがぶちまけられている。
周囲の冒険者たちは、関わり合いを避けるように遠巻きに眺めていた。Aランク昇格を目前に控えた彼らの喧嘩は、下手に仲裁に入ればこちらまで火傷を負いかねないほど殺気立っているからだ。
「昨日のワイバーン討伐だってそうだ。お前が呪文の詠唱をミスしたせいで、俺は深手を負ったんだぞ!」
「ミスしてないわよ! あれは風の乱れがあっただけで……それに、あんたの盾の構えが悪かったんじゃないの!?」
言い合う二人の横で、大柄な重戦士のゴルドが、いたたまれなさそうに俯いている。彼はパーティーの要であるはずだが、口論を止めるどころか、視線を泳がせて気配を消していた。
カウンターでその様子を見ていたアリサは、バインダーを抱きしめて震えていた。
(……怖い。あんなに強い人たちなのに、どうしてあんなに仲が悪いの?)
アリサから見れば、彼らは眩いほどの魔力と技術を持つ憧れの存在だ。でも、今の彼らから放たれている空気は、昨日戦った魔物の毒よりも不快で、冷たい。
「おい、受付の小娘! 早く代わりのエールを持ってこい!」
リーダーのレオが、真っ赤な顔でアリサを怒鳴りつけた。
アリサは「は、はいっ!」と肩を竦ませ、震える手で新しいジョッキをトレイに乗せ、彼らのテーブルへと向かった。
「お、お待たせいたしました……あ、あの、レオさん。皆さん、お怪我の方は……」
「うるせぇ! 怪我のことなんか今関係ねぇだろ! さっさと置いてけ!」
レオはアリサからひったくるようにジョッキを奪うと、ガブガブとエールを煽った。
ミーナはプイッと横を向き、杖を握る指先が白くなるほど力を込めている。
「……もういいわ。私、抜けるから。こんな、人のせいにするだけのリーダーがいるパーティーなんて、こっちから願い下げよ」
「ああ、いいぜ! お前がいなくても、代わりの魔術師なんていくらでもいる!」
最悪の決裂だった。
ミーナが席を立ち、荒々しい足取りでギルドを出ていく。ゴルドも、オロオロとレオとミーナの背中を交互に見た後、「……すまん」と誰にともなく呟き、レオから逃げるように裏口へ消えていった。
一人残されたレオは、吐き捨てるようにジョッキをテーブルに叩きつけた。
「……どいつもこいつも、使えねぇ。俺がこれだけ引っ張ってやってるのに、なんで失敗ばかり続くんだ……!」
アリサは、そのテーブルの片隅に、昨日の討伐報告書が置かれているのに気づいた。
そこには、昨日の任務で受けた被害の状況が書かれていた。一歩間違えれば、彼らのうち誰かが死んでいてもおかしくないほどの、壊滅的な状況。
でも、報告書の『失敗の理由』の欄は、真っ白だった。
お互いに責任を押し付け合うばかりで、誰も本当の失敗の原因を認めていない。
「アリサ。いつまで突っ立っているの。仕事に戻りなさい」
背後から響いた冷徹な声に、アリサはハッとして振り返った。シレーヌだ。
シレーヌは、一人で荒れているレオを一瞥し、深い溜息をついた。
「シレーヌ先輩……。あの、彼ら、解散しちゃうんでしょうか? あんなに強かったのに……」
「強さは関係ないわ、アリサ。あのチームは、もうとっくに『死んでいる』のよ」
シレーヌはアリサの手を引き、カウンターの奥へと連れて行った。
そこには、昨日のアリサの『魔導書』が置かれていた。
「いい、アリサ。昨日教えたPREP法や四つの箱は、あなた自身の効率を上げるための魔法だった。でも、チームで動く以上、個人の能力だけでは限界があるわ」
「……はい。あんなに仲が悪いと、連携なんてできないですよね」
「仲が良い悪い以前の問題よ。あのパーティーには、戦うために最も必要な『盾』がないの」
シレーヌはカウンターの下から、一つの古びた盾のブローチを取り出した。それはギルドの紋章に『開かれた口』が刻まれた、珍しいデザインだった。
「盾……ですか? ゴルドさんが大きな盾を持ってますけど」
「鉄の盾で防げるのは、魔物の爪だけ。チームの心をバラバラにするのは、外からの攻撃ではなく、内側の『沈黙』という呪いよ。今の彼らは、ミスをすることを何よりも恐れている。そして、ミスを指摘されることを攻撃だと感じている」
シレーヌの言葉に、アリサはミーナの頑なな表情を思い出した。
『ミスしてないわよ!』――彼女はそう叫んでいたけれど、その声は、自分を必死に守ろうとしている悲鳴のようにも聞こえた。
「ミスを隠し、弱音を吐けず、本当の情報を共有できないチームは、どんなに高い魔力を持っていても全滅する。……アリサ、あなたにあげた魔導書に、新しいページを作りなさい」
シレーヌは、アリサの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「チームの全滅を防ぐ、第3の魔法。……それを『心理的安全性』と呼ぶわ」
「シンリテキ……アンゼンセイ?」
聞き慣れない言葉に、アリサは首を傾げた。
「そう。何を言っても否定されない、失敗を共有しても攻撃されないという『安心感』の魔法よ。……来週、あの『蒼天の流星』には、王都からの重大な指名依頼が入っている。それまでに彼らを立て直せなければ、彼らは間違いなく全滅するわ。そして、それを救うのは、魔法使いでも戦士でもない……あなたよ、アリサ」
「わ、私!? 無理ですよ、あんな怖い人たち相手に!」
「安心しなさい。あなたは、魔力を持たないからこそ、この魔法の『詠唱者』にふさわしいの」
シレーヌは、アリサの手帳に新たな『型』を書き込み始めた。
それは、アリサがこれから向き合うことになる、ギルドで最も難解なクエスト――「壊れた人間関係の再建」の始まりだった。




