第14話「鎮めの巫女」
大妖の涙が、地面に落ちて金色の光を散らした。
『ツムギ……わしは……もう……止まれぬ……』
玉藻さまの声は、泣いていた。
理性が暴走を必死に食い止めているが、封印が破れた衝撃で本能が勝りかけている。
このままでは完全に理性を失い、三百年前と同じ災厄が繰り返される。
「止まれなくてもいいです」
私は両手を広げた。
「私が、鎮めますから」
〈鎮めの術〉──それは祖母から受け継いだ、一族秘伝の大封印術。
通常の封印とは違う。力で押さえ込むのではなく、対象の魂に寄り添い、怒りや苦しみを鎮めることで力を静める術。
鎮めの一族が「鎮め」と呼ばれる所以。
だが、九尾の厄災を鎮めるには、術者の全霊力を注ぎ込まなければならない。
祖母はこの術を使って、命を落とした。
『だめだ、小娘! その術を使えばお前は──!』
「大丈夫です」
微笑んだ。
「慣れてますから──なんて、もう言いません」
玉藻さまが目を見開いた。
「怖いです。死ぬかもしれないと思うと、足が震えます。でも──」
コハクが私のそばに来た。
小さな体で、私の足にすり寄っている。
「あなたを一人にしたくない。だから──やります」
両手を地面につけた。
全身の霊力を練り上げる。七割ではない。十割。全てを使う。
白銀の光が、封印陣を中心に広がった。
山の主を鎮めたときの何百倍もの規模。地下空間全体が、白い光で満たされていく。
「鎮めの術──『静謐の揺り籠』」
光が玉藻さまを包み込んだ。
攻撃ではない。これは──抱擁だ。
怒りを受け止め、苦しみに寄り添い、孤独を癒す。三百年分の痛みを、丸ごと受け入れる。
『う……ぁ……』
玉藻さまの目から、涙が溢れた。
九本の尾が、暴れるのをやめた。
巨大な体がゆっくりと小さくなっていく。
大妖狐の姿が薄れ、その中から──一人の女の姿が現れた。
長い金髪に、金色の瞳。狐の耳と九本の尾を持つ、人の姿をした玉藻。
涙を流しながら、私の目を見つめている。
「玉藻、さま……」
『小娘。いや──ツムギ。お前は、馬鹿か』
玉藻さまは人の姿のまま、私の前に膝をついた。
その金色の瞳には、もう暴走の気配はない。深い深い慈愛だけがあった。
『こんな老狐のために、命を懸けるなど』
「老狐じゃないです。私の大切な──」
『わかっておる。わかっておるよ、ツムギ』
玉藻さまの手が、私の頬に触れた。
柔らかくて、温かい手だった。
『お前の術は──初代の鎮めの巫女にも勝る。お前に鎮められて、わしは──ようやく、三百年の怒りを手放せる』
でも──体が限界だった。
全霊力を注ぎ込んだ反動で、視界が暗くなっていく。
膝から力が抜ける。倒れかける体を──。
「ツムギ!」
ハヤテが受け止めてくれた。
「ば、馬鹿。全部使い切るやつがあるか……!」
「ごめん……ちょっと……やりすぎた、かも……」
意識が遠のいていく。
でも、やるべきことがもうひとつ残っている。
「玉藻さま……新しい封印を……」
『不要だ』
玉藻さまが静かに言った。
『もう暴走はせぬ。お前の術で、三百年分の怒りは鎮まった。──だがこのままでは、わしの力が地上に溢れ出て人間に害をなす。力の大部分を封じる必要はある』
「なら……」
『コハク。おいで』
コハクが玉藻さまの足元に駆け寄った。
玉藻さまがコハクに手をかざすと、金色の光が二人を包んだ。
『わしの力の大部分を、この分霊に預ける。そうすれば力は分散され、害にはならぬ。──そして残りの力で、わしは人の姿を保てる』
「人の姿……それは……」
『もう封印の中には戻らぬ。お前のそばで暮らす。──それが、三百年の幽閉の対価だ。文句あるか?』
文句なんてあるはずがない。
「……ありません」
笑おうとしたけれど、もう力が残っていなかった。
意識が落ちていく。
最後に聞こえたのは、ハヤテの声だった。
「ツムギ。よくやった。──休め」
温かい腕の中で、私は意識を手放した。
薄れゆく意識の中で、たくさんの声が聞こえた気がした。
──すごい。あの大妖を、鎮めたのか。
──あれが、退魔力十二の雑用係……?
──違う。あの人は──。
声は遠くなり、やがて静寂だけが残った。




