キャッチボールとロストメモリー
『父親の記憶を取り戻してほしい』
その依頼を見た時。
俺は少し違和感を覚えた。
「記憶を……取り戻す?」
高坂は頷く。
「事故で一部の記憶を失ったらしい」
「じゃあ、憑依すれば?」
「問題はそこだ」
高坂は言った。
「本人が何を望んでいるか分からない」
依頼人の名前は、
田辺翔太。
十歳の少年。
父親は事故以来、
家族との思い出だけを失っていた。
母親のこと。
自分のこと。
そして。
息子のこと。
家を訪ねると。
父親はリビングに座っていた。
「すみません」
少年が頭を下げる。
「僕のお父さんを……元に戻してください」
その言葉に胸が痛んだ。
隣にいた父親は困ったように笑う。
「ごめんな」
「本当に、ごめんな」
少年は首を横に振る。
「お父さんが悪いんじゃない」
でも。
その目には寂しさがあった。
父親の名前は、
田辺健吾。
事故前は、息子とよくキャッチボールをしていたらしい。
毎週日曜日。
公園で。
しかし。
今の健吾さんには、その記憶がない。
「息子さんのことを大切に思っていますか?」
俺が聞く。
健吾さんは少し困った顔をした。
「もちろんです」
「でも」
胸に手を当てる。
「なぜか……何か足りない気がするんです」
その夜。
俺は眠れなかった。
能力を使えば。
もしかしたら記憶を取り戻せる。
でも。
それは本当に正しいのか。
翌日。
公園へ行った。
少年が一人でキャッチボールをしていた。
「お父さんは?」
聞く。
少年は首を振る。
「もう無理だから」
「お父さん、僕のこと覚えてないから」
その言葉。
胸に刺さった。
その瞬間。
少年がボールを落とした。
「……」
小さな声。
「本当は」
「もう一回だけ」
「お父さんとキャッチボールしたい」
聞こえた。
『助けて』
そして。
俺も願う。
――この親子を、もう一度つなげたい。
能力が発動した。
目を開ける。
俺は田辺健吾になっていた。
目の前には。
少年。
ボールを持っている。
「お父さん」
その声。
胸が締め付けられる。
でも。
俺の中には、健吾さんの記憶がない。
いつもの憑依とは違った。
相手の身体。
相手の感情。
でも。
失われた記憶だけが存在しない。
キャッチボールを始める。
一球。
二球。
少年が笑う。
その笑顔を見た瞬間。
頭の奥に何かが流れ込んだ。
初めて息子を抱いた日。
初めて歩いた日。
初めて「パパ」と呼ばれた日。
一緒に笑った日。
涙が出た。
俺の涙じゃない。
健吾さんの涙。
失った記憶が戻ってきた。
でも。
全部ではない。
事故の衝撃で消えた部分は戻らない。
「翔太」
俺は名前を呼んだ。
少年が止まる。
「……」
「大きくなったな」
少年の目が見開く。
「お父さん……?」
憑依が解ける。
目を開ける。
俺は元の身体に戻っていた。
目の前で。
父親が泣いていた。
「翔太」
「ごめんな」
「忘れていても」
震える声。
「俺は、お前の父親だ」
少年は泣きながら抱きついた。
帰り道。
高坂が言った。
「記憶って不思議だな」
「ああ」
俺は答える。
「なくなっても、その人が消えるわけじゃない」
「じゃあ何で決まる?」
少し考える。
「その人が、何を大切にするか」
夜。
部屋に戻る。
鏡を見る。
最近、少し怖いと思う。
憑依するたび。
誰かの記憶が俺の中に残る。
好きだったもの。
嫌いだったもの。
大切な人。
それが少しずつ増えていく。
俺は。
本当に黄泉代のままでいられるのか。
その時。
スマホが鳴った。
高坂。
『次の依頼』
写真を見る。
そこに映っていたのは――
見覚えのある女性。
俺は息を止めた。
新人女優。
第1話で助けた、
桐谷美咲。
依頼内容。
『彼女の夢を、壊してほしい』
俺は画面を見つめる。
意味が分からない。
「……助けるんじゃないのか?」




