憑依代行黄泉代 死者憑き高坂編 第十幕
公園のベンチ。
習志野は一人、座っていた。
「……」
少し離れたところでは、只野が公園の水道を使っている。
手に持っているのは――
小さなカップ焼きそば。
「……何やってんだ、あいつ」
只野はお湯を切っている。
「……」
しばらく待つ。
そして――
「熱っ!!」
「……」
只野は慌てて手を振った。
「熱い熱い!」
習志野は遠くから見ている。
「……何やってんだ、あいつ」
*
「……」
只野が戻ってきた。
ベンチに座る。
そして。
手のひらサイズの小さなカップ焼きそばを食べ始めた。
「……」
習志野が横目で見る。
「大人でそれ食ってるやつ、多分お前だけだよ」
「……」
「あー……これ?」
只野は焼きそばを見る。
「もらったんだよ」
「誰に?」
「子ども」
「……子ども?」
只野は食べ終わった。
そして。
何も言わずに立ち上がる。
「ついて来い、習志野」
「どこ行くんだよ」
「来りゃ分かる」
「……?」
*
「……お前、ここ」
二人の前にあったのは――
児童養護施設。
その敷地内。
砂場で三人の子どもたちが遊んでいる。
男の子が二人。
女の子が一人。
習志野は只野を見る。
「まさか……」
「ああ」
只野は子どもたちを見つめる。
「俺の子だ」
「……どの子が?」
「あの中の一人がそうらしい」
「らしい?」
「ああ」
習志野は目を丸くした。
「……らしいって、どういうことだよ」
只野はベンチに座る。
「分からねぇんだよ」
「……」
「数年前のある日、急に女が消えた」
「……」
「本当に、突然だった」
只野は遠くを見る。
「その後、風の噂で亡くなったって聞いた」
「……」
「それで、子どもがいたことを知った」
「……」
「元職場の人に話を聞いたら」
只野は苦笑する。
「『内緒にしてね』って教えてくれた」
「何を?」
「ヤクザの子を身籠ったから」
「……」
「この子を守るために、行方をくらましたんだって」
習志野は何も言わなかった。
「……でもお前」
しばらくして口を開く。
「ラッキーボーイなんだろ?」
「うん」
「守るためって……」
只野は静かに答えた。
「彼女はずっと――」
子どもたちを見る。
「アンラッキーだったんだよ」
*
彼女は、生まれた時に両親を亡くした。
祖父母に引き取られた。
だが――
祖父母の家は火事で焼失。
その後、児童養護施設で育った。
高校を卒業し、働き始める。
だが。
悪い男に騙され、多額の借金を背負わされた。
「女一人じゃ、到底払えない額だった」
そして。
彼女は只野組のもとへ駆け込んできた。
「それで、キャバクラで働き始めた」
「……」
「やっとナンバーワンになれる」
只野は笑う。
「そういうところまで来たんだ」
「……」
「でも、その直前」
「店長が店の金を全部持って逃げた」
「……」
「またゼロ」
習志野は頭を抱える。
「……どんな人生だよ」
「だろ?」
只野は笑った。
「それで路頭に迷ってるところで、俺と出会った」
*
「ラッキーボーイとアンラッキーガール」
只野が呟く。
「水と油みたいなもんだった」
「……」
「俺は何をやっても上手くいく」
「……」
「彼女は何をやっても上手くいかない」
例えば――
「俺が買うイチゴミルクのかき氷」
「……」
「店員が必ずスプーンを入れてくれる」
「そうなのか」
「彼女の買うあずきのかき氷には――」
「……」
「毎回スプーンが入ってない」
「……」
「ずいぶん小せぇ話だな」
「まあ、これはまだ笑える話だ」
只野は笑う。
「デートだってそうだ」
「俺はいつも家を時間ギリギリに出る」
「なのに・・・」
「なぜか集合時間には必ず間に合う」
「……」
「彼女は?」
「余裕を持って出発する」
「それなら・・・」
「なのに、毎回十分遅れる」
「……」
「電車の遅延」
「……」
「バスの遅延」
「……」
「券売機の故障」
「……」
「道を歩いてたら突然工事が始まってたこともある」
「……」
「とにかく、何をやっても上手くいかない」
習志野は呆れたように笑った。
「で?」
「最初は深入りするつもりなんてなかった」
「……」
「でもな」
只野は空を見上げた。
「彼女のアンラッキーが」
「……」
「俺にとってのラッキーに思えてきたんだ」
「どういう意味だ?」
「俺にとってラッキーなんて、日常茶飯事だ」
只野は笑った。
「正直――」
「もう、うんざりしてた」
「……」
「だから」
砂場の子どもたちを見る。
「彼女みたいに、何かに真剣に悩みたかった」
「……」
「腹を立てたり」
「……」
「悲しんだり」
「……」
「誰かと一緒に、くだらないことで笑ったり」
習志野は黙って聞いていた。
「最初は、他人事だからそう思うだけだと思ってた」
「でも?」
「違った」
只野が笑う。
「彼女が言ったんだ」
*
『アンラッキーな出来事を、一緒に笑いあって』
『一緒に怒って』
『一緒に泣ける』
『そんな人と出会えることこそが、何よりもラッキーなのかもしれない』
『私は、これまで不幸だったし』
『今も不幸だけど』
『それでも――』
『私は幸せ者なのかもしれない』
*
「……」
習志野は黙っていた。
「不幸こそが、幸せのもとってことか?」
「まあ……」
只野は頭を掻く。
「あんまり理解できなかったけど」
「お前なぁ……」
「そういうことを言いたかったんじゃないかな」
「……」
その時。
「お兄ちゃんたち!」
二人が振り返る。
砂場にいた女の子がこちらを見ていた。
「何してるの~?」
只野が手を振る。
「焼きそば、あの子たちにもらったんだ」
「そうなの?」
「あぁ」
女の子は笑っていた。
只野も笑う。
そして。
ふと時計を見る。
「……そろそろ行くか」
「……ああ」
二人は施設を後にした。
*
「なぁ、只野」
「ん?」
「本当にいいのか?」
「……」
「知りたくないのか?」
「知りたくないね」
「……」
「知ったら――」
只野は歩きながら言った。
「迎えに行きたくなっちまうだろ」
「……」
「それに」
少しだけ俯く。
「彼女の意思を尊重したい」
「……」
「俺と関わらない方がいい」
「そう考えるのは、自然なことだろ」
「……そうか」
*
夜。
只野組事務所。
向かい合わせに置かれた二つの古びたソファ。
そこに二人が横たわっている。
「なぁ、習志野」
「ん?」
「お前、子どもはいるか?」
「まだいない」
「まだって……」
習志野は頭の後ろに手をやる。
「彼女が欲しがってるんだ」
「お前……」
只野が横を見る。
「彼女いたのか」
「ああ」
「どんな奴?」
「鬼みてぇな奴だ」
「……」
「旗井のオヤジより怖ぇ」
「……」
「不動さん――いや」
習志野は笑う。
「かつての俺の師匠より、何倍も怖ぇ」
「写真とかないのか?」
「ある」
「見せろよ」
「いやだ」
「なんで?」
「……嫌なんだよ」
「そうか」
只野は少し寂しそうにした。
「……分かったよ」
習志野が写真を取り出す。
「ちょっとだけならな」
「おお!」
写真を見る。
「……」
只野が固まる。
そこに映っていたのは――
きらびやかな金髪。
鋭く尖った爪。
ド派手なメイク。
そして――
ド派手なドレス。
「こりゃあ……」
「……」
「鬼……」
「……」
「いや、ギャル?」
「……」
「鬼・ギャル?」
「もういいだろ」
習志野が写真を取り上げる。
「なぁ、習志野」
「なんだよ」
「もし、お前に娘ができたら」
「……」
「娘もきっと――」
「ねぇよ」
「絶対にありえねぇ」
「……」
「きっと俺に似て」
「……」
「ほんわかした、おっとりした優しい女性になるさ」
「……ブッ」
「おい」
習志野が振り返る。
「お前、今なんで笑った?」
「いや……」
「笑っただろ!」
「おい、只野!」
「ははは!」
「てめぇ!」
二人の笑い声が事務所に響く。
*
「……そういうお前はどうなんだよ」
「……」
只野の笑顔が消える。
「どういう子に育ってほしいとか、あんのか?」
「……ないな」
「ないのかよ」
「いや」
只野は天井を見る。
「だが――」
少しだけ間を置く。
「不運だろうが」
「幸運だろうが」
「初恋が叶わなかろうが」
「何の才能もなかろうが」
「夢も希望もなかろうが」
只野は静かに言った。
「清らかに」
「優しく」
「そして朗らかに」
「生きていってほしい」
「……」
「昔、二人で話したことがある」
習志野は只野を見る。
「ずいぶん注文が多いじゃないか」
「だな」
二人は天井を見上げた。
*
――児童養護施設。
誰もいない廊下。
ロッカーが並んでいる。
一つのロッカー。
そこに貼られた名前。
黄泉代翔。
その隣。
もう一つのロッカー。
そこに貼られた名前。
高坂清優朗。
――二つの名前は。
いつでも隣に並んでいた。




