憑依代行黄泉代 金髪鬼ギャル編 第二幕
――戻れない。
あれから三日。
黄泉代は、まだ金髪鬼ギャルの身体にいた。
「……マジかよ」
鏡の前に立つ。
長い金髪。
鋭く尖ったネイル。
濃いメイク。
どう見ても、自分ではない。
「俺、いつまでこれなんだ……」
答える者はいない。
依頼は終わったはずだった。
彼氏を振った。
彼女の代わりに、別れを告げた。
なのに戻れない。
つまり――
まだ、彼女は助けを求めている。
問題は。
「何を助けてほしいんだよ……」
それが、まったく分からないことだった。
*
黄泉代は、彼女の部屋を見回した。
大学生の女の部屋。
もっと派手な生活をしていると思っていた。
だが。
「……何もないな」
驚くほど、何もなかった。
写真がない。
家族写真もない。
友達との写真もない。
旅行の土産もない。
思い出の品らしいものが、ほとんど存在しない。
クローゼットには服。
化粧台には化粧品。
机には大学の教科書。
それだけ。
「……生活感がなさすぎる」
黄泉代は机の上の本を手に取った。
『犯罪心理学』
『司法・犯罪心理学』
『心理アセスメント』
『対人操作とコミュニケーション』
「…………」
ページをめくる。
書き込みがびっしりとある。
それも、ただ勉強している人間の書き込みではない。
人間の心理。
相手の弱点。
依存。
支配。
罪悪感。
執着。
復讐。
「……何を勉強してたんだよ」
黄泉代は本を閉じた。
その瞬間。
頭の奥に、何かが引っかかった。
――復讐。
「……」
胸がざわつく。
だが、それ以上は何も浮かばない。
思い出そうとすると、頭の中に薄い壁がある。
その向こうに何かがある。
確かにある。
なのに、手が届かない。
「……記憶喪失じゃない」
黄泉代は呟いた。
「自分で閉じこめてる……?」
まるで。
何かを思い出さないように。
自分自身で蓋をしているようだった。
*
大学へ行く。
当然、黄泉代には授業の内容など分からない。
だが、教室に入った瞬間。
「おはよー」
「おはよ」
「昨日のレポートやった?」
何人かの学生が彼女に声をかけてきた。
黄泉代は適当に手を上げる。
「おー」
そのまま席についた。
「……よく分かんねえな」
ところが。
講義が始まる。
教授が心理学について説明を始めると。
黄泉代は、自然とノートを取り始めた。
手が勝手に動く。
重要な部分。
教授の言葉。
参考文献。
すべて、迷いなく書き込んでいく。
「…………」
黄泉代は自分の手を見た。
「これ……俺が書いてるのか?」
違う。
これは彼女の身体が覚えている。
この身体には、彼女が積み重ねてきた九年間がある。
黄泉代はそれを借りているだけだ。
「……九年間」
その言葉が頭に浮かんだ。
なぜ九年?
何があった?
十二歳。
九年前。
その数字だけが、妙に胸に引っかかった。
*
自宅に戻り彼女の部屋。
押し入れを探す。
古い段ボールの底に小さな写真が。
そこには、母親らしき女性と、小さな男子。
そして――
少女。
笑っている。
まだ髪は黒い。
爪も普通。
化粧もしていない。
今とはまるで別人だった。
「……これ」
写真を手に取る。
「隠してたのか……?」
黄泉代は写真を戻した。
その瞬間。
頭の中に、断片的な映像が浮かんだ。
自転車。
笑い声。
後ろで揺られる。
小さな男の子。
「お母さん!」
――キィィィィッ!
ブレーキ音。
そして。
強烈な衝撃。
「……っ!」
黄泉代は頭を押さえた。
「なんだ……今の」
映像は消えた。
だが、胸の奥に残った。
――母親。
――弟。
――自転車。
それだけ。
*
夜。
黄泉代は彼女のスマートフォンを眺めていた。
連絡先には、大学関係者。
キャバクラの同僚。
客。
そして、例の彼氏。
だが。
家族の連絡先はなかった。
「……おかしい」
母親もいない。
父親もいない。
兄弟もいない。
親戚らしい連絡先すらない。
ただ一人。
電話帳のかなり下に。
『ばあちゃん』
という名前があった。
黄泉代は電話をかけようとして――止めた。
「……まだだ」
何となく。
今はまだ、この人に会ってはいけない気がした。
彼女が隠しているものを。
自分で見つけなければならない。
*
翌日。
大学から帰った黄泉代は、机の引き出しを整理していた。
その奥。
古い封筒が出てきた。
「……何だこれ」
開ける。
中には、古びた紙が一枚。
そして、小さな写真。
写真には――
十二歳くらいの少女。
隣に、六歳くらいの男の子。
そして、その二人を抱きしめる女性。
黄泉代は息を止めた。
「……これが」
この身体の持ち主の――家族。
だが。
写真の裏には、日付だけが書かれていた。
**九年前。**
黄泉代の指が震える。
「九年前……」
その瞬間。
また、頭の中に映像が流れ込んだ。
雨。
道路。
自転車。
母親の声。
弟の笑い声。
そして――
猛スピードで迫ってくるバイク。
「やめろ……」
黄泉代は写真を握りしめる。
次の瞬間。
頭の中に、別の光景が浮かんだ。
小さな少女が泣いている。
その隣に――
一人の男。
顔は見えない。
ただ、少女の頭に手を置いている。
『大丈夫だ』
低い声。
『俺が――』
そこで映像が途切れた。
「……誰だ」
黄泉代は写真を見つめる。
「お前は……誰なんだ?」
答えはない。
だが、初めて分かった。
この身体の持ち主は。
ただ浮気をして。
彼氏と別れたかったわけではない。
彼女の人生には、九年前から続く何かがある。
そして。
その何かを隠すために――
彼女自身が、記憶に蓋をしている。
「……お前」
黄泉代は鏡を見る。
そこには、金髪の鬼ギャルが映っていた。
「一体、何を抱えてるんだよ」
そのとき。
スマートフォンが鳴った。
着信。
相手は――
あの、依頼で振った彼氏だった。
「……何だよ」
黄泉代は電話に出る。
『もしもし』
「……」
『結衣か?』
「ああ」
しばらく沈黙が続いた。
そして。
『……俺、お前に言わなきゃいけないことがある』
黄泉代の表情が変わった。
『お前が何をしようとしてるのか、俺……少しだけ知ってる』
「…………」
『あの男のことだ』
黄泉代は息を呑んだ。
『九年前の事故の――』
そこで、電話が切れた。
「…………」
黄泉代は立ち上がった。
九年前。
母親。
弟。
事故。
そして――復讐。
バラバラだったピースが、ようやく繋がり始める。
「……そういうことか」
金髪鬼ギャルの復讐は。
まだ、始まってすらいなかった。




