油汚れと精密仕掛け、そして地獄。
不動剛の依頼から、一週間。
黄泉代は今日も一人、事務所にいた。
高坂は休み。
「……暇だな」
そう呟いたとき、ドアが開いた。
「ここが、憑依代行とやらか?」
入ってきたのは、三十四歳ほどの男だった。
黒い作業着。
油の染みた手。
無愛想な顔。
「依頼ですか?」
「ああ」
男は椅子に座った。
「俺は神谷徹太朗という」
「何をお手伝いすれば?」
神谷は少し黙った。
「……俺が、何者なのか調べてほしい」
「え?」
「俺には、昔の記憶がない」
神谷は、自分の手を見つめた。
「三年前の事故で、記憶を失ったらしい」
今は小さな工房で、普通の修理屋をしている。
だが――
壊れた武器。
特殊な防具。
見たこともない装備。
そんなものを持ち込まれると、神谷は何も考えず修理できた。
「どうして俺が、こんなものを直せるのか分からない」
神谷は机の上に古い工具箱を置いた。
「ただ、最近になって変な客が来るようになった」
「変な客?」
「俺を見るなり、こう言う」
神谷は声を低くした。
「『神谷さん、生きてたんですか』って」
黄泉代は工具箱を見る。
「……それで、あなたは?」
「自分が何者だったのか知りたい」
「分かりました」
そのとき声が聞こえた気がした。
「助けて」
神谷の声ではない。
だが、神谷の身体が発しているよう。
「助けたい」
黄泉代の心も反応し。
黄泉代は神谷に憑依した。
瞬間――
世界が変わった。
工具。
金属。
武器。
防具。
そして、無数の人間。
神谷は工房で黙々と作業していた。
「最強の武器に、最強の防具」
若い神谷が呟く。
「そこに最高のメカニック」
工具を置く。
「まさに無敵だ」
だが、次の記憶。
血まみれの男が工房へ飛び込んでくる。
「神谷! 助けてくれ!」
「……またか」
神谷は男を奥へ隠す。
武器を渡す。
防具を渡す。
そして、逃げ道を教える。
「生きて帰れ」
次々と人がやってくる。
裏社会の人間。
傭兵。
犯罪者。
追われる者。
神谷は誰に対しても同じだった。
「武器をくれ」
「装備を直せ」
「金は後でいい」
「死ぬな」
黄泉代は気づく。
神谷は戦うための装備を作っていた。
だが、戦うことを望んでいたわけではない。
**生きて帰るための装備を作っていた。**
そして最後の記憶。
工房が燃えている。
神谷は誰かを逃がしていた。
「神谷さん! あんたも!」
「俺はいい!」
神谷が叫ぶ。
「お前らは、生きろ!」
爆発。
そこで記憶が途切れた。
黄泉代の憑依が解ける。
「……これが、俺?」
神谷の声が震える。
黄泉代は答えた。
「はい」
「俺は……裏社会のメカニックだったのか」
「そうみたいです」
「人を殺すための武器を作ってた?」
「違います」
黄泉代は静かに言った。
「あなたは、死にそうな人たちに、生きて帰るための道具を渡していました」
「……」
「たぶん、それがあなたの仕事だったんです」
神谷はしばらく黙っていた。
そして笑った。
「そっか」
記憶は、すべて戻らなかった。
事故の原因も。
誰が工房を襲ったのかも。
まだ分からない。
それでも神谷は、どこか満足そうだった。
「全部思い出さなくてもいいのかもしれないな」
「……はい」
「俺がどんな人間だったかは分かった」
神谷は工具箱を閉じた。
「誰かを生きて帰すために、俺は仕事をしてたんだ」
そして、黄泉代を見る。
「ありがとう」
「いえ」
「もし、御前に何かがあれば」
「今度は俺が、お前を助ける」
「……え?」
「お前が自分のことで困ったら、俺を呼べ」
神谷は工具を一本、黄泉代に渡した。
「俺は、壊れたものを直すのが得意らしい」
「人間もですか?」
「やってみなきゃ分からん」
神谷は少し笑った。
「だが、困ってる奴を放っておくのは、昔から嫌いだったらしい」
翌朝。
黄泉代は一人、事務所で工具を眺めていた。
不動からもらった連絡先。
そして、神谷からもらった工具。
「……変な人たち」
けれど。
少しだけ、嬉しかった。
過去を失った男が、それでも誰かを助けようとしている。
なら自分も。
今日も誰かの人生を、代わりに生きよう。
そう思った。
高坂は、今日も休みだった。
***
「誰だアンタ、、、」
工房の前。
車椅子の男。
「不動剛だ。」
「・・・」
「お前が伝説のメカニックか。」
「あぁ、そうらしいが。何の用だ。」
「もう一度・・・、俺をリングの上へ・・・」
神谷は懐疑そうに見つめる。
「そんな身体で無理だろう。」
「あぁ。」
「だから、お前の力が必要なんだ。」
これが、サイボーグ×プロレスの。
世界中で大旋風を巻き起こす。
プロレス団体誕生の瞬間だった。
◆
手術台の上に巨漢の男、不動剛。
神谷は工具を手に取る。
「本当にいいのか?」
「人間に手を加える、、、禁断の行為」
「間違いなく俺達は地獄行きだろう」
不動は笑う。
「あぁ。地獄行きは大歓迎だ。」
「地獄である男が、俺を待っている。」




