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「もう一度、あの頂点(いただき)へ」――巨体の影武者


 事務所のドアが開いた。


「失礼する!」


 黄泉代は顔を上げた。


「……でか」


 男は、文字通り巨大だった。


 身長一九八センチ。


 体重一三八キロ。


 分厚い胸板に、丸太のような腕。


 頭は黄泉代の二倍くらいありそうだった。


「ガハハハハ!」


 男が笑う。


 窓ガラスまで震えた気がした。


「俺は不動剛(ふどうつよし)! 元プロレスラーだ!」


「……知ってますよ」


 テレビで何度も見たことがある。


 かつて「暴れ牛」と呼ばれた伝説の巨漢レスラー。


 相手の攻撃を真正面から受け止め、最後には豪快な投げ技で観客を沸かせた男だ。


 そんな不動が、黄泉代の前に座った。


 椅子が悲鳴を上げた。


「頼みがある!」


「はい」


「俺の代わりに、リングに立ってくれ!」


「……え?」


 不動は頭を掻いた。


「今度、昔の仲間たちが集まるチャリティー興行があるんだ。そこで、俺の宿敵だった男と最後に一度だけ戦う」


「じゃあ、不動さんが出ればいいんじゃ……」


「医者に止められてる!」


「やっぱり……」


「身体がもう昔みたいには動かん!」


 不動は自分の膝を叩いた。


「この膝も、長年のプロレスでガタガタだ!」


 次に腰を叩く。


「腰も昔ほど自由に動かん!」


「それは……戦わないほうがいいんじゃないですか?」


「だから頼んでるんだ!」


 不動は豪快に笑った。


「だがな、勘違いするな!」


 その目だけは真剣だった。


「俺は勝ちたいわけじゃない」


「……え?」


「最後に、あいつとリングで向き合いたいんだ」


 かつてのライバル。


 何度も戦った男。


 最後の試合で不動は負けた。


 そのとき、相手は手を差し出した。


 だが、不動はその手を取らなかった。


 悔しかったからだ。


「十年経っても、俺はあの手を取れなかった」


 不動は笑った。


「だから最後くらい、ちゃんと握りたい・・・」


「その方が綺麗だろ?」


「なぁ、黄泉代さん」


 黄泉代は静かに頷いた。


「……分かりました」


 翌週。


 会場は満員だった。


 リングに現れた不動を見て、観客が沸く。


「不動だ!」


「デカい!」


「まだこんなにデカかったのか!」


 黄泉代は思った。


(……高い)


 視界が異常に高い。


(……重い)


 腕を動かすだけで、痛みが走る。


(こんな身体でプロレスしてたのか……?)


 ゴングが鳴る。


 相手が突っ込んできた。


 黄泉代は反射的に身構える。


 その瞬間。


 身体が動いた。


 一歩引く。


 相手の腕を取る。


 腰を落とす。


 身体を捻る。


 ドンッ!


 相手がリングに叩きつけられた。


「えっ」


 黄泉代自身が驚いた。


(俺、今何した!?)


 だが、身体は知っていた。


 不動が何千回、何万回と繰り返した動き。


 相手の力を受ける角度。


 踏み込む位置。


 技を仕掛ける瞬間。


 それらが、身体に染みついていた。


 黄泉代は不動の身体を借りているだけ。


 だが、この身体は――


 プロレスを忘れていなかった。


 相手からの猛烈なラリアット。


 地面に不動が叩きつけられる。


 まるで。


 パンチングマシンのように。


「不動!!」


 観客が叫ぶ。


「不動! 不動! 不動! 不動!」


 黄泉代は立ち上がる。


 膝が痛い。


 腰も重い。


 決して全盛期の身体ではない。


 それでも。


 目の前の男を見た瞬間、不動の記憶が蘇った。


 若い二人。


 何度も殴り合った。


 何度も勝ち、何度も負けた。


 試合が終われば、一緒に飯を食った。


 そして最後の日。


 差し出された手。


 取れなかった手。


 黄泉代は相手の前に立った。


 そして――


 拳ではなく、手を差し出した。


「……遅くなったな」


 相手の男が目を見開く。


「ああ。遅すぎるくらいだ」


 不動の手を、勢いよく弾く。


 「え?」


 そして笑った。


 二人は固く抱擁した。


 「なぁ不動」


 「俺達も・・・年取ったよな」


 「42年、おつかれさまだ」


 会場から拍手が起こった。


 勝敗はつかなかった。


 だが、


 試合が終わる。


 「なぁ!!不動!!」


 「なんだ」


 「地獄でもプロレスしようぜぇ!!」


 「当たりめぇだろ」


 黄泉代の意識が薄れていく。


 その直前。


 不動の声が聞こえた。


「ありがとうな」


「……いえ」


「お前が俺の代わりに、俺の人生を背負ってくれた」


「……」


「だったら、俺も約束する」


 不動が笑った。


「お前が困ってるときは、俺が絶対に助ける」


「でも……私は……」


「関係ねえ!」


 豪快な声が響く。


「俺の身体を預けたんだ!」


 不動は笑う。


「だったら今度は、俺がお前の味方になる!」


 意識が途切れた。


 翌朝。


 黄泉代は事務所で目を覚ました。


 高坂は休み。


 一人きりの事務所だった。


 机の上に、不動からもらった名刺がある。


 裏には、太い字で書かれていた。


『困ったときはいつでも呼べ!』


 その下に、電話番号。


 黄泉代は思わず笑った。


「…豪快な人だな」


 そして名刺を大切にしまった。


 この日。


 黄泉代は一人の人生を代わりに生きた。


 そして同時に――


 一人、心強い味方をもらった。


********


 後々の新聞記事。


 不動剛の永遠のライバル


 道之(みちの)サスケ、肺がんのために死去。


 不動剛との試合から。


 2ヶ月後の出来事だった。


 「地獄でもプロレスしようぜぇ!!」


 不動剛と道之サスケ。


 地獄に堕ちた2人が、

 地獄でプロレスを始める物語は

 もう少し、後の話だ。



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