さよならの代わりに
「私を。」
女性は震える声で言った。
「終わらせて。」
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俺は動けなかった。
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目の前にいるのは。
母さんの顔をした人。
母さんの声をした人。
母さんの記憶を持つ人。
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なのに。
彼女自身は。
自分を誰なのか分からず苦しんでいる。
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「嫌だ。」
俺は呟いた。
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「嫌だ。」
もう一度。
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「せっかく会えたのに。」
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女性は悲しそうに笑う。
「翔。」
「あなたは優しいね。」
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「でも。」
「私は分かってる。」
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「あなたが見ているのは。」
「私じゃない。」
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胸を刺された。
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「……違う。」
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「違わないよ。」
女性は首を振る。
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「あなたは。」
「お母さんを探していた。」
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言葉が出ない。
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そうだった。
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俺はずっと。
心のどこかで願っていた。
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もう一度。
母に会えたら。
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あの日の続きをやり直せるんじゃないか。
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でも。
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この人は。
母さんの代わりじゃない。
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春人が歩み寄る。
「翔。」
「まだ間に合う。」
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「彼女を完全な母親として固定する。」
「記憶も。」
「人格も。」
「すべて安定させる。」
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「そうすれば。」
「君はまた母親と暮らせる。」
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心が揺れる。
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ずっと欲しかった言葉。
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母と暮らせる。
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普通の家族。
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それが。
目の前にある。
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でも。
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女性が俺を見る。
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「翔。」
「私を見て。」
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俺は顔を上げる。
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「私は。」
「あなたのお母さんじゃない。」
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「でも。」
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「あなたに会えて。」
「嬉しかった。」
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涙が落ちる。
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この人は。
自分を消してまで。
母親になろうとしている。
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それは。
春人がしてきたことと同じだ。
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誰かを救うために。
誰かを消す。
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「春人。」
俺は振り返る。
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「あなたは。」
「母さんを救ったんじゃない。」
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「母さんのいない現実から。」
「逃げたかっただけだ。」
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春人の表情が変わる。
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「……違う。」
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「私は。」
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「人を救った。」
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「違う。」
俺は言う。
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「救うっていうのは。」
「その人を自分の望む形にすることじゃない。」
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「その人が。」
「その人のままでいられるように。」
「隣にいることだ。」
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静寂。
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春人は目を伏せる。
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「君は。」
「本当に父親に似ている。」
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その時。
施設が大きく揺れる。
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警報。
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「能力反応、急上昇!」
兵士が叫ぶ。
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春人が驚く。
「まさか。」
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女性を見る。
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「彼女が。」
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黒い影が施設中に広がる。
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神崎の研究記録。
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『人格再構築実験』
『複数人格の融合による存在維持』
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失敗した理由。
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一つの身体に。
二つ以上の人生を詰め込んだから。
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女性の身体が震える。
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「翔……。」
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「怖い。」
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俺は駆け寄る。
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「大丈夫。」
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「俺がいる。」
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能力を発動する。
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今度は。
彼女を変えるためじゃない。
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彼女の中にある。
彼女自身を探すため。
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白い世界。
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そこには。
母の記憶。
俺の記憶。
そして。
もう一つ。
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小さな女の子がいた。
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「君は?」
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少女は答える。
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「分からない。」
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「名前もない。」
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俺はしゃがむ。
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「じゃあ。」
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「今から決めればいい。」
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少女が顔を上げる。
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「私が?」
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「ああ。」
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「君の人生は。」
「君のものだから。」
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現実。
女性が目を開ける。
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「……私は。」
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「私は……。」
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少し考える。
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「私は。」
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「詩乃。」
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春人が目を見開く。
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「自分で名前を……。」
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詩乃は微笑む。
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「翔。」
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「ありがとう。」
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俺は笑う。
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「うん。」
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でも。
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分かっていた。
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彼女はもう。
母さんではない。
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だから。
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俺は初めて。
本当の意味で。
母さんに別れを告げられる。
施設はまもなく崩壊した。
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施設の外。
朝日が昇る。
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俺は空を見る。
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「母さん。」
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「俺。」
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「ちゃんと生きるよ。」
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その後ろで。
詩乃が静かに笑っていた。
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春人は一人。
瓦礫の中に立っていた。
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「……私は。」
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「何を救おうとしていたんだ。」
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