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春人の日記

「読むな。」


老婆の言葉が頭に残る。


けれど。


俺には分かっていた。


この日記を読むために。


ここまで来たんだ。


---


夜。


誰もいない部屋。


俺は古い日記を開いた。


最初のページ。


そこには一行だけ。


---


『黄泉代翔へ』


---


息が止まる。


「……俺の名前?」


ページをめくる。


---


『君がこの日記を読んでいるなら』


『私はもう、君に許されることを望んではいない。』


---


文字は震えていた。


---


『私は、君の父親を裏切った。』


---


---


二十年前。


黄泉谷村。


まだ若かった父。


そして春人。


二人は同じ研究をしていた。


目的は一つ。


---


『人の心を理解する力』


---


父は人の痛みに寄り添う方法を探していた。


春人は違った。


---


『なぜ人は苦しむのか。』


『なぜ努力しても報われない人間がいるのか。』


---


春人は考え続けた。


そして。


ある答えにたどり着く。


---


『苦しみの原因は、その人自身の人生にある。』


---


---


「……違う。」


俺は呟いた。


---


でも。


日記には続きが書かれていた。


---


『最初の実験は成功した。』


---


写真が挟まっている。


そこには若い父と春人。


そして。


一人の女性。


---


母だった。


---


俺は手が震えた。


---


『彼女は病気だった。』


『助ける方法はなかった。』


---


春人は言った。


---


『ならば、病気になる前の身体に戻せばいい。』


---


父は反対した。


---


『それは彼女の人生を奪うことになる。』


---


春人は答えた。


---


『違う。』


『救うだけだ。』


---


---


ページをめくる。


文字が荒れている。


---


『私は初めて、人の人生を変えた。』


『病気の女性に憑依した。』


『身体は健康になった。』


『彼女は笑った。』


---


そこまでは。


成功に見えた。


---


しかし。


---


『数日後。』


『彼女は言った。』


---


『私の人生を返して。』


---


---


俺は息を止めた。


---


『病気だった時間も。』


『苦しんだ時間も。』


『全部含めて私だった。』


---


---


春人はそこで初めて気づいた。


自分は。


救ったのではなく。


その人の人生を否定したのだと。


---


---


「……。」


俺は日記を閉じた。


---


「だから。」


背後から声。


老婆だった。


「春人は壊れた。」


---


「でも。」


俺は言う。


「最初は……。」


「助けたかっただけなんですよね。」


---


老婆は頷いた。


「そうだよ。」


「だから怖いんだ。」


---


「本当に怖い人間はね。」


「最初から悪いことをしようとは思わない。」


---


---


その夜。


黒瀬が俺の部屋へ来た。


「読んだか。」


「ああ。」


---


黒瀬は静かに言う。


「春人は。」


「俺の父親だ。」


---


時間が止まった。


「……何?」


---


黒瀬は窓の外を見る。


「俺の本名は。」


春人零はると れい。」


---


「写世の創設者は。」


「俺の父親だ。」


---


言葉が出ない。


---


「なぜ言わなかった。」


俺が聞く。


黒瀬は答える。


「言えば。」


「お前は俺を信用しなくなると思った。」


---


「違う。」


俺は言った。


「俺が聞きたかったのは。」


「お前が何をしたかったのかだ。」


---


黒瀬は少し驚いた顔をした。


---


「俺の父は。」


「人を救いたかった。」


「でも。」


拳を握る。


「救う方法を間違えた。」


---


その時。


外から音がした。


村の鐘。


夜中には鳴るはずのない鐘。


---


老婆が青ざめる。


「……来た。」


---


「誰が?」


---


老婆は震えながら答える。


---


「春人本人だ。」


---


村の入り口。


暗闇の中。


一人の男が立っている。


白髪。


穏やかな顔。


---


「久しぶりだな。」


男は笑う。


「翔。」


---


俺は息をのむ。


「……春人。」


---


その隣には。


写世の構成員。


そして。


黒瀬と同じ目をした男。


---


「ようやく会えた。」


春人は言った。


「君の父親が守ったものを。」


「私に返してもらおう。」



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