最後の約束
『最後に、もう一度だけ妻に会いたい』
高坂から届いた依頼。
俺は画面を見つめた。
依頼人は、
森川修一。
七十三歳。
妻を亡くして三年。
「会いたいって……」
俺は呟く。
高坂は頷いた。
「だが、分かってるだろ」
「ああ」
俺の能力は。
死んだ人間には使えない。
森川さんの家は、小さな古い一軒家だった。
玄関には二人分の靴。
いや。
今は一人分しかない。
「妻の名前は、和子です」
森川さんは写真を見せた。
優しい笑顔の女性。
「五十年、一緒でした」
「長いですね」
「短かったですよ」
森川さんは笑う。
「人生なんて、終わってから短かったと思うものです」
話を聞いた。
和子さんは病気で亡くなった。
最後の日。
森川さんは病室にいた。
でも。
言えなかった言葉がある。
「ありがとう」
その一言。
「当たり前すぎて」
森川さんは俯く。
「いつでも言えると思っていたんです」
俺は聞いた。
「もし会えたら、何を伝えたいですか?」
森川さんは迷わず答えた。
「ありがとう、と」
しかし。
能力は発動しなかった。
当然だ。
和子さんはもういない。
俺には。
どうすることもできない。
「すみません」
俺は頭を下げた。
「俺には……」
森川さんは笑った。
「分かっています」
「あなたは魔法使いじゃない」
その言葉に少し驚く。
「でも」
森川さんは写真を見る。
「あなたなら、気持ちを知ることができるかもしれない」
俺は首を振った。
「亡くなった人には憑依できません」
「違います」
森川さんは言った。
「私にです」
「え?」
「私自身に」
意味が分からなかった。
「私は、妻と過ごした五十年を忘れたわけじゃない」
「でも」
「最近、自分が何を幸せだと思っていたのか分からなくなった」
森川さんは涙を拭う。
「もう一度だけ」
「妻を大切にしていた頃の自分に戻りたいんです」
その言葉。
胸に響いた。
そして。
聞こえた。
『助けてほしい』
森川さんの願い。
失った妻ではなく。
失った自分自身を取り戻したいという願い。
そして俺も。
――この人に、もう一度大切な時間を感じてほしい。
能力が発動した。
目を開ける。
俺は森川さんになっていた。
老人の身体。
震える手。
ゆっくりした呼吸。
でも。
そこには五十年分の人生があった。
俺は家の中を見る。
台所。
古い時計。
二人で座った椅子。
すると。
記憶が流れ込んできた。
初めて出会った日。
初めて手を握った日。
喧嘩した日。
笑った日。
子供が生まれた日。
全部。
全部。
俺は気づいた。
森川さんが会いたかったのは。
亡くなった妻だけじゃない。
妻を愛していた頃の自分だった。
俺は椅子に座り。
写真を見る。
「和子」
声が震える。
「ありがとう」
「俺と一緒にいてくれて」
涙が落ちる。
「幸せだった」
その時。
目の前に。
和子さんがいるような気がした。
もちろん。
幻だ。
能力でもない。
ただの記憶。
でも。
それで十分だった。
憑依が解ける。
森川さんは写真を持っていた。
「……言えました」
小さく呟く。
「ありがとうって」
俺は何も言わなかった。
ただ。
隣にいた。
帰り道。
高坂が言った。
「今回も成功か?」
俺は少し考える。
「分からない」
「え?」
「奥さんを戻したわけじゃない」
「でも」
俺は空を見る。
「この人は、ちゃんと前を向けたと思う」
高坂は黙った。
そして。
「なあ、黄泉代」
「何だ?」
「お前の能力」
「本当に人を変えてるのは、憑依なのか?」
答えられなかった。
最近。
少しずつ分かってきた。
俺の力は。
誰かになることじゃない。
その人の中にある。
本当の願いを見つけることなのかもしれない。
その夜。
俺は部屋で台本を開いた。
昔の夢。
役者になること。
まだ諦めていない。
でも。
少し違う。
昔は。
有名になりたかった。
今は。
誰かの心に残る演技がしたい。
スマホが鳴る。
高坂から。
『次の依頼』
写真を見る。
そこに映っていた人物。
俺は息を止めた。
名前。
黄泉代蓮
依頼人。
『自分の父親を助けてほしい』
俺は画面を見る。
「……黄泉代?」
馴染みがあって。
馴染みがない名字。
偶然なのか。
それとも。




