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人さらいと辻斬り将軍 〜徳川家光を誘拐したらなぜか懐かれて道連れに〜  作者: しんの(C.Clarté)


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第六話 身代金(2)人質解放

 一方その頃、静まり返った船着場の小屋に、再び音もなく人影が滑り込んだ。


「……若君、ご無事ですか」

「なんだ正勝、また来たのか」


 竹千代はあいかわらず簀巻き状態で転がされていたが、むくりと起き上がった。

 もともと結び目の緩かった縄は簡単にほどけてしまい、地面に円を描いた。


「『また』とは心外な。下手人の動向を探っておりました」

「ご苦労だった。しかし、下手人という言い方は心外だな。あの子の名はハチだ」

「……左様ですか。若君が既にその賊に肩入れしておられることは重々承知いたしました」


 正勝は溜息をつき、皮肉を返す。


「他に気づいたことは? 素性に関する手がかりなど得られましたか?」

「少々カマをかけてみたが、今上帝の叔父君、八条宮(はちじょうのみや)様とは無関係のようだ。もし宮家の縁者なら、不敬だと怒るより前に『なぜバレた』と動揺が走るはずだからな」


 八条宮智仁(としひと)親王は、かつて太閤・豊臣秀吉の猶子となったこともある貴人だ。

 豊臣家没落後も破格の待遇を許され、近年は京に離宮を造成して庭づくりに没頭し、悠々自適な文人暮らしを満喫している。

 豊臣の残党が担ぎ上げるには格好の存在だが、カマをかけられたハチの反応はあまりに無垢だった。


「宮家は無関係……私も同意します。あんな忍びのような真似をする宮様がいてたまるものですか」

「ふふ、正勝もあの子の腕は認めるか。……だが、もうひとつ思い当たる節があってな」


 竹千代はすうっと目を細め、言い淀んだ。


「……確証が持てるまで、まだ話す気はない。それより、そっちの首尾はどうだ? 身代金の引き渡しは?」


 正勝は苦虫を嚙みつぶしたような顔で、ハチの「活躍」を報告した。

 神田明神での爆音と煙幕。混乱に乗じた鮮やかな奪取。報告を聞くうちに、竹千代はこらえきれずに笑い転げた。


「あっはっは! 痛快、痛快! 正勝、おまえともあろう者が、あの子一人に出し抜かれたか!」

「……仰せの通り、銀で五十両分を『渡しました』。若君の意向を汲み、盗られるに任せたのですから、あくまで『渡した』というのが適切かと」

「ははあ、負け惜しみだな。手練れの正勝を翻弄するとは、ハチもやりおる」

「……あの細腕です。今頃、身代金の重みに難儀しているに違いありません」


 金一両は銀五十匁から六十匁に相当する。五十両分の銀ともなれば三貫近い重さだ。


「身代金を銀で渡すよう命じたのは、足止め目的の罠だったのですか?」

「罠? まさか。余は単に、銀の方が使い勝手が良いだろうと思っただけだ。小判を普段使いする町人などおるまい。余なりの優しさだよ」


 竹千代は至極真面目に答えたが、正勝は「それが一番の罠だ」と心の中で毒づいた。


「若君、ハチが戻る前にここを脱出しましょう。上洛軍は今頃、箱根の関所あたりに逗留しているはず。今すぐ追いかければ、事が露見する前に合流できます」

「いや、断る。あの子が戻ってくるまで、余はここにいる」

「しかし……!」

「しっ、戻ってきたようだぞ」


 遠くから、泥を蹴る慌ただしい足音が近づいてくる。


「正勝、さっさと隠れろ!」

「ちょっ、若君、縄が解けたままです!」

「まずい、縛り直す時間が……!」


 竹千代は慌てて床に転がると、自分で縄をごろんごろんと体に巻きつけた。

 ハチが扉を蹴るようにして開けた瞬間には、さも一歩も動いていなかったかのような澄ました顔で「おかえり」と微笑んだ。


 ハチは肩で息をしながら、抱えていた頭陀袋をどかっと床に下ろした。


「……はぁ、はぁ……。大人しく、いい子にしてたみたいだね」

「ああ、余は約束を守る男だ。して、首尾はどうだ?」

「この通りだよ。うまくいったけど……徳川の奴ら、嫌がらせで銀を詰めやがった! 重くて敵わん!」


 ハチは竹千代の正面にどかっと座り込み、行儀悪く足を投げ出した。

 薄暗い天井裏では、息を殺した正勝が「不敬な……」と白目を剥いている。


「余を連れていけば荷運びくらい手伝ったのに」

「馬鹿言え」


 竹千代はしげしげと袋を見つめた。


「五十両分の銀にしては、少し袋が軽いようだが?」

「ああ。重すぎるから、半分は神田明神の賽銭箱に捨ててきた」

「賽銭箱に……?」

「追っ手をうまく巻けたのは、たっぷり賽銭したおかげかもしれない。神様に感謝だよ」


 天井裏では、正勝が「幕府の公金を賽銭箱に……!?」と激しく動揺し、その身震いが伝わったのか、古い梁がみしりと軋んだ。

 ハチははっとして、ふところの短筒に手をかけ、天井を鋭く見上げる。


「……今の音、なんだ?」


 竹千代は肩をすくめた。


「さっきから大ネズミがいるんだ。たぶんそいつだろう」

「大ネズミ……?」

「余の顔をじっと見て、早く帰れと鳴くのだ。実に不遜なネズミだろう?」

「ふぅん……」


 ハチは疑わしげに天井を見つめていたが、やがて立ち上がると竹千代に歩み寄った。ぐるぐるに巻かれた縄を軽く引っ張ると、それはあっけなく解けた。


「……縄がほどけてる」

「そのようだな」

「逃げようとしたのか?」


 竹千代は微笑みを崩さず、「実は、大ネズミを追い払おうとして少し暴れたのだ。その時、結び目がほどけたのかもしれん」と苦しい言い訳をした。

 ハチはしばらく黙っていたが、突然、くすくすと笑い出した。


「別に、逃げてもよかったのに」


 ハチは肩をすくめると、用済みになった縄をぽいっと放った。

 心に重くのしかかっていた罪悪感という重荷は、いつのまにか消え失せていた。身代金を手に入れ、無事に人質を返せる安堵から、悪ぶっていた棘が抜けて無垢な素顔がのぞく。


「さてと」


 ハチは竹千代に背を向けると、物陰に隠していた旅装一式を取り出し、着替え始めた。

 一仕事終えて汗ばんだ黒髪の後れ毛と、夕闇の中で、やけに白くしなやかに浮かび上がるうなじ。

 その刹那、竹千代は心臓を掴まれたように胸を激しく突かれ、不覚にも見惚れてしまった。


「……一人で帰れるか?」


 着替えを終えたハチが、振り返って尋ねる。約束通り、解放の時だ。


「帰れない。城まで送ってくれ」


 ハチは少し困ったように笑う。

 子犬になつかれた気分だ。後ろ髪を引かれる、とはこういうことを言うのだろう。

 甘えられて悪い気がしないのは情が移ったからだ。今のハチにとっては、良くない兆候である。

 すがられて心が揺らいだが、おそらく竹千代の部下が近くまで迎えにきているはずだと思い直した。


「悪いけど、捕まるわけにいかないんだ」

「ハチ!」

「じゃあな、竹千代。いや、公方様。達者でな。……良い(まつりごと)をしてくれよ!」


 冷え始めた浜風を浴びながら、ハチは笠をかぶり直すと、情を断ち切るようにきっぱりと背を向けた。


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⚠️アルファポリスで先行公開。2026年6月現在、歴史・時代小説大賞にエントリーしています。
▼『人さらいと辻斬り将軍 〜徳川家光を誘拐したらなぜか懐かれて道連れに〜』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/47053912
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