完結記念あとがきコラム(2)「江戸時代版ロミジュリ」の反響とハッピーエンドを阻む史実の壁、家光の辞世の句
⚠️このコラムは全3回のうち、2回目になります。
————————————
完結後、X(旧Twitter)やアルファポリスの感想で、複数のフォロワー様から「江戸時代版ロミジュリ」というお声をいただいたのは、作者として新鮮な驚きでした。
というのも、自分の中では「エンタメ時代劇・冒険活劇」のつもりで書いていたからです。
特に、殺陣をはじめとするアクションシーンをどう言語化するか、読者の脳内にどうすれば鮮烈な映像を結べるか……、という点に最も腐心していたため、まさか『ロミオとジュリエット』を彷彿させるロマンスものとして受け止めていただけるとは思ってもみませんでした。
私は作品を描く上で、キャラクターが「なぜその行動を選ぶのか」という動機や心理描写を大切にしています。竹千代とハチの掛け合いや心の機微を、読者の皆様がこれ以上ないほど深く、丁寧に受け止めてくださったからこそ、《《いい意味で想定外》》の「ロミジュリ感」が生まれたのだと、今では深く感謝しています。
*
オリジナルの『ロミオとジュリエット』は悲劇ですが、エンタメ時代劇である本作では、二人をハッピーエンドにしてあげたい。
ですが、史実の徳川家光に寄せるなら、二人の恋の行方は絶望的です。
将軍宣下を受けた1623年、家光は公家のお姫様・鷹司孝子を正室に迎えますが、夫婦仲は冷え切り、子供は生まれませんでした。のちに春日局(お福)が将軍家の血筋を繋ぐために「大奥」を設立し、1636年になってようやく最初の側室である「お振りの方」にお手つきがあります。
一説によると、女性に興味を示さなかった家光のために、春日局がお振に男装をさせて近づけたとも言われています。
本作のハチ(宇喜多八重)は、この「お振りの方」をモデルにした架空の人物です。
もし史実に従うなら、竹千代とハチは1623年の初夏に出会い、そう遠くないうちに別れて(生別であれ死別であれ)二度と結ばれることはない。けれど、家光はその後10年以上もハチの面影を引きずり続け、それが大奥で「側室に男装させる」という切ない性癖の原点になった……。
作中で稲葉正勝がハチに告げたように「綺麗な思い出のまま」で終わるのが、もっとも自然な解釈でしょう。
家光の残した辞世の句には、こうあります。
「悲しまじ 悦びもせじ とにかくに
終には覚る 夢の世の中」
(悲しむことも、喜ぶこともしない。結局のところ、すべては夢のような儚い世の中なのだと悟った)
すべてを達観し、無常観に満ちたこの句の背景に、もしも「ハチとの別れ」があったなら……。想像するだけで胸が締め付けられます。
ハチの本名は、本編で明かされる直前まで決まってませんでした。
本名を曖昧にすることで、側室・お振になる可能性(ハッピーエンドへの道)を残したかったからです。結局、「八重」と名付けて(名前自体は気に入ってます)、側室・お振と同一視する可能性を捨てた時点で、二人の恋は悲恋にしかなり得ない……。
ところが、完結後、フォロワー様のポストから、歴史の闇に隠された「もう一つの可能性」が浮上したのです。




