第二十四話 隠れ家(5)ひとつの掻巻を二人で分け合って
竹千代が指摘した「孫を謀略の道具に使ったのではないか」という疑念は、ある意味、当たっていた。
確かに、ハチはじっちゃんにだまされていたのだが、それは孫娘の幸福を願い、流刑地の島から救い出すための命がけの嘘でもあった。誰が責められようか。
「……そなたは、八重姫というのだな」
竹千代がふっと微笑んでそう呼ぶと、ハチは真っ赤になって顔を逸らした。
「ちょ……、やめてよ」
「どうして? 美しい名ではないか」
「私は姫なんて柄じゃない。今の私は『ハチ』だ」
「ふふ、そうだな」
ハチの涙はすっかり引っ込み、いつもの調子で不機嫌そうに顔をしかめた。
竹千代は可笑しそうに笑っていたが、少しだけ真面目な顔を取り戻すと、しばし見つめ合った。
張り詰めていた空気がゆるみ、二人の掛け合いはいつもの心地よい温度に戻っていく。
「竹千代……」
ハチは囲炉裏の炎を見つめながら、ぽつりと言った。
「ずっとこのままでいられないのは、わかってる」
ハチだけではない。竹千代もまた、将軍宣下を受けるために京をめざしている身の上だ。
「いつかは、それぞれの場所にいかなきゃいけない。……でも、もう少しだけ。私は竹千代の相棒の『ハチ』でいたい。……いいかな?」
「……余も同じ想いだ。そなたの前では、ただの竹千代でいられる」
二人は、どちらからともなく微笑み合った。
山の夜は更け、囲炉裏の火が徐々に小さくなっていくと、炭焼き小屋のなかに容赦のない冷気が忍び寄ってきた。
身につけていた小袖も袴も襦袢も干してしまい、身に纏っているのは埃っぽい大きな掻巻と、古びた蓑だけだ。
ハチが小さく肩を震わせ、寒そうに鼻をすする。竹千代は意を決したように、自分が羽織っていた蓑に手をかけた。
「ハチ、こちらへ来てくれるか……?」
「え?」
「このままでは凍えてしまう。……その、不埒な意味ではないぞ? ただ、暖を取るだけだ」
長い沈黙——。いや、実際はほんの一瞬だったのかもしれない。
ハチは碓氷関所での問いかけを思い出していた。正勝に「若の側室になる気はあるか?」と聞かれて、うろたえながら「そんなこと考えたこともない」と否定した。徳川の軍門に下るなんて絶対にあり得ないと、心の中で何度も言い聞かせた。
だが、あれ以来、竹千代へ向ける想いが少しずつ変化していたのかもしれない。二人は忍び旅の道連れで、頼りになる相棒で、今や、弱さも甘えもさらけ出せる唯一の……。
「……うん、いいよ」
竹千代は羽織っていた蓑を脇に置くと、ハチが体ごと包まっていた大きな掻巻の隙間に、滑り込むようにして体を割り込ませた。
一枚の掻巻が、二人の体を包み込む。
「……っ」
お互いの肌の温もりが下帯越しに伝わってくる。
ハチの小さく強張った背中を、竹千代はそれ以上押し入ることはせず、ただ優しく包み込むようにして己の体を添えた。しなやかな体の輪郭、見た目以上に華奢で儚げな肩。しっとりと湿り気を帯びた髪からは、微かに雨と海の匂いがする。ハチもまた、竹千代の男らしくなりつつある引き締まった胸板と、その下で早鐘を打つ若い鼓動を背中に感じていた。
暗闇の中、どちらからともなく、手をそっと手繰り寄せて指を絡ませた。
「……あったかいな、竹千代」
「……ああ、そなたも驚くほど温かい」
外では、嵐の去った静寂の中に、虫の声が微かに響き始めている。
二人はひとつの掻巻を分け合い、その中で繋いだ手の強さを確かめ合った。
初心な二人にとってはあまりにも濃密で、どこまでも清らかな、特別な夜が、深く静かに過ぎてゆく。




