第二十三話 隠れ家(4)寄る辺なき子供たち
飢えに苦しむ島を救うため、ハチ自身の意志で命を懸けてきたはずの旅。
その本当の目的は、他ならぬ自分一人を島から救い出し、幸福を掴ませるための、祖父の優しさゆえの嘘だった。
しばらくの間、炭焼き小屋の中を支配したのは、パチパチと爆ぜる囲炉裏の微かな音だけだった。
竹千代は、水分を含んで重くなった手紙を、壊れ物を扱うようにそっと畳んだ。
「これ以上の美文はそうそうお目にかかれないだろうな」
その眼差しには感嘆と敬意が入り混じっている。
「……筆致の美しさ、候文の格調、そして最愛の妻を想う句に至るまで、非の打ち所がない文だ。さすがは天下の五大老・宇喜多備前守というべきか。恐れ入った」
竹千代は静かに息を吐き、隣で膝を抱えているハチを見つめた。その大きな瞳からは、すでに大粒の涙がぼろぼろとあふれ、煤けた床にシミを作っている。
「やはり、そなたの祖父は素晴らしい御仁だったな。これほどまでに、そなたの行く末を案じ、深く愛しているのだから」
「……どこがだよ……っ!」
ハチは、膝に顔を埋めたまま、押し殺したような声で遮った。
「ハチ……?」
「どこが素晴らしいんだよ! 勝手に決めて何もかもずるいよ! 私の気持ちなんて知らないくせに……っ!」
顔を跳ね上げたハチの表情に、竹千代は息を呑んだ。
そこに浮かんでいたのは「大好きなじっちゃん」の深い愛に感動した涙ではなかった。まるで裏切られたかのような激しい怒りと、今にも心が引き裂かれそうな悲しみの色だった。
「私はっ……島を、じっちゃんを救うために命懸けでここまで来たんだ! この手紙を届けて、前田家の殿様から援助を取り付けたら、一刻も早く島に帰るつもりだった! なのに……何が加賀の姫だ、何が一人の女子としての幸せだっ! じっちゃんは私を、最初から島へ帰すつもりがなかったんじゃないか……!」
ハチは胸元の掻巻をぐっと掴み、嗚咽を漏らした。
「まるで……厄介払いじゃないか。もっともらしい理屈で道を敷いて、私を島から追い出したんだ。ひどいよ……。捨てられたみたいな気分だ……っ」
床に視線を落とし、子供のように声を上げて泣きじゃくるハチを前にして、竹千代はただ狼狽するしかなかった。
同時に、ハチが口にした「捨てられた」という言葉が、竹千代の胸の奥深くにある古傷を容赦無く抉った。
(徳川の世継ぎという大いなる血脈のために、親元を離され、私情を殺し、ただひたすらに将軍になる道だけを歩まされる孤独……)
立派な祖父と父、譜代の家臣たちから向けられる忠義と愛情。武門を統べる大義名分は尊いものだと教えられてきた。だが、年端のいかない子供にとって、どれほど理不尽で、どれほど孤独な痛みを伴うものか——。
「……ままならぬな」
竹千代はぽつりとつぶやき、そっとハチの震える肩に手を置いた。
「為政者たちの愛情と願いは、時にあまりにも重くて、子らに孤独な道を強いる。良かれと思って『檻』をしつらえて、その中に閉じ込めるようなものだ。……余にも、その傷心は痛いほどよく分かる」
宇喜多秀家が孫娘を思う気持ちに偽りはないのだろう。だが今、竹千代は男が考える「女の幸せ」など、所詮まがい物なのだと思い知らされた。秀家の愛情と大義は、ハチの思いを軽んじ、誇りを傷つけたのだ。
ハチは答えず、ただ肩を上下させて泣き続けた。
しばらくして、少しだけ呼吸が落ち着いたハチが、鼻をすすりながらぽつりと言った。
「……じっちゃんの気持ちが、わからない訳じゃないんだ……」
「……うん」
「小さい頃にさ、じっちゃんから私が生まれる前のこと……、昔の備前の話やおばあちゃんとの思い出を、毎晩のように聞いて育ったんだ。おばあちゃんは優しくて、きれいなお姫様で、誰もが憧れるような人だったって」
「……うん」
「それでさ……、ひとつ思い出したんだ。あるとき、じっちゃんに『おばあちゃんに会いに行きたいか?』って聞かれて、私は無邪気に『うん!』って答えたんだ」
ハチは自分の膝をぎゅっと抱え込み、小さく丸くなった。
「じっちゃんはきっと、あの時のことをずっと覚えていたんだろうなぁ……。あんな荒海の島で、私を一生『罪人の孫』として死なせたくないって……。でも……会いたいよ、じっちゃん……! 置いていかないでよ……」
ハチの小さな背中が、しゃくりあげるたびに小さく爆ぜる囲炉裏の爆ぜる音と重なって揺れる。
ハチはじっちゃんを恨んでいるのではない。慕っているからこそ、苦しいのだ。
すすり泣きを聞きながら、竹千代の心は切なさで軋んだ。
「ハチ……」
竹千代は蓑の中から手を伸ばし、ハチの瞳から止めどなくあふれる涙をそっと指先で拭った。
「そなたの身の振り方は、豪姫に会ってから考えても遅くはない……」
「えっ……?」
「二人で最善の策を考えようと言っただろう?」
優しく言い聞かせるように、竹千代はハチの泣き濡れた頬を両手で包みこんだ。
水気の乾く匂いと、お互いのぬくもりが、至近距離で混ざり合う。
「ハチがどうしても八丈島に戻りたいと望むなら、余が帰り道を開いてみせる。だが今は、宇喜多殿が命を懸けてそなたに託した、その想いを届けに行こう。豪姫の元へ——」
まっすぐに見つめてくる竹千代の瞳に、ハチは吸い寄せられるように見入った。




