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【完結】人さらいと辻斬り将軍 〜徳川家光を誘拐したらなぜか懐かれて道連れに〜  作者: しんの(C.Clarté)
本編

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第二十一話 隠れ家(2)手当てと手紙

 カチ、カチ、と灯された火打ち石の明かりが、炭焼き小屋の古びた壁を赤く揺らした。

 囲炉裏に細い薪をくべると、パチパチと爆ぜる音と共に温かい熱が広がっていく。だが、その薄明かりの中でハチの姿をまともに視界に入れた瞬間、竹千代は息を呑んで硬直した。


「……っ!?」


 ハチの(あわせ)の小袖と襦袢は、あの老剣豪の小太刀によって前身頃がべろりと一文字にめくれ上がっていた。

 辛うじて、その下には白いサラシがぎっちりと、胸元を締め上げるように巻かれている。だが、水濡れして肌に張り付いたそれは、男の衣服を纏っていても隠しきれない、ハチが紛れもない「女子(おなご)」であることを生々しく主張していた。


「ふー、あぶないあぶない。皮一枚で助かった!」


 ハチはあっけらかんと言ってのける。よく見れば、斬られた瞬間に飛び散ったと思った血は、手の甲の薄皮がわずかに切れただけのものだった。

 竹千代の顔が瞬時に沸騰したかのように真っ赤になる。ハチの素肌が見えているわけではない。ないのだが、あまりの刺激にどこに目を逸らせばいいのか分からず、視線が泳ぎまくる。


「あ、あ……う……」


 ハチは竹千代のそんな異変にはまったく気づかない。「ちょっと失礼」とばかりに囲炉裏の隅にかがみ込むと、なんと、溜まっていた灰を無造作にすくい、手の甲の傷口に塗り込めようとした。


「待て待て待て! なんと乱暴なことをするのだそなたは!」


 竹千代は我に返って叫び、慌ててハチの手首を掴んで制止した。

 手探りで自分の帯を確かめ、そこにくくりつけられていた『葵の印籠』が無事であることにホッと胸をなでおろす。濁流に流されても、これだけは失くさずに済んだのだ。

 印籠の蓋を開け、常備していた紫根(しこん)の軟膏を指にすくい取ると、ハチの手を優しく引き寄せて、手荒に扱わないよう念入りにその傷口へと塗り込んでいく。


「灰など塗ったら化膿するだろう。そなたの思い切りの良さは心臓に悪すぎる」

「へへ、ありがとう。……あーあ、それにしても、あとで小袖を繕わないとな。このままじゃ外に出られやしない。ちょっと脱ぐぞ」


 ハチがためらいなく衣服の肩をはだけ始めると、竹千代は悲鳴を上げそうな勢いで背を向け、壁際を向いた。


「き、着替えになるものを探す! そなたは少しは恥じらいというものを──!」


 蚊の鳴くような声で「人の気も知らないで、ハチは大胆すぎる……」とぶつくさ言いながら、熱を帯びる体の中では心臓が早鐘を打っている。


「こんなことなら、桶川宿の古着屋で藍染の着物でも買っておくんだったな。あーあ、下帯までびしょ濡れだよ……」

「は、ハチ、そなた……下帯をつけているのか……?」

「当たり前だ。この男装(ナリ)で、ひらひらした腰巻きなんてつけてられないよ」

「そ、それもそうだな……」


 どぎまぎしながら、竹千代は脳裏に浮かびかけた破廉恥な妄想を、必死の思いで首を振って打ち消した。

 背後からは、ハチが脱いだ小袖と襦袢をぎゅっと絞る水音が聞こえてくる。続いて、衣服を完全に脱ぎ捨てる衣擦れの音が響いた。

 焦った竹千代は、壁の隅に積まれていた、寝具と防寒着を兼ねた大きな掻巻(かいまき)を引っ掴んだ。


 その時、背後でハチが短く「あーーっ!!」と声を上げた。


 びくっと肩を震わせ、「ど、どうした!?」と恐る恐る振り返る。

 ハチはまさに、胸に厚く巻かれた白いサラシを解き始めるところだった。


「じっちゃんの手紙っ!!」

「わーーっ! 頼むからまずそれを着てくれ!」


 竹千代は半狂乱で突撃し、ハチの頭から掻巻をばさっと被せて全身を包み込んだ。これ以上脱がれたら、色々な意味で自分の身が保たない。


「うわっ、埃っぽい! いきなり何するんだよ!」

「いいから! 余の平常心を死守するために着てくれ!」


 竹千代は息を荒くしながら、物陰で自らの羽織と野袴を脱ぎ捨てた。ハチの着物と一緒に梁へ干しておけば、朝までにいくらかマシになるはずだ。気を逸らすために、わざとせっせと手を動かして動き回るが、視界の端、掻巻の隙間から、ハチの手によって解かれていく白いサラシがどうしてもまぶしく映ってしまう。


 ハチは掻巻にくるまりながら、サラシの合間から一通の(ふみ)を引きずり出した。

 濡れないように厳重に油紙で包まれていたが、やはり激流に呑まれたせいで、じんわりと水が染み込んでいる。


 ハチはその手紙を見つめ、やがて小さく息を吐いた。

 ここまで命を懸けて追ってきてくれた竹千代だ。今さら、何もかも隠し通そうとする方が不誠実というものだろう。


「……さっきのあいつ、前田家の刺客はさ。私に『宇喜多秀家の密書を渡せ』って言ってきたんだ」


 竹千代の手がピタリと止まる。「前田家」という言葉の重みに、しばし深い思案に落ちた。


「たぶん、これのことだよな」

「……ハチは、その中身を知っているのか?」


「いや、読んでない。けど、じっちゃんから内容は聞いてる。宛先は、加賀前田家で暮らす私のおばあちゃん……、豪姫と言った方がわかりやすいか。八丈島で暮らす宇喜多家への援助を依頼する、ただの嘆願書のはずなんだよ」


 ハチは寂しげに炎を見つめた。


「もともと、前田家の使いを通じて、不定期に仕送りのやり取りはしてたんだ。でも、昨秋の野分(台風)で島の田畑も漁具も全滅しちまって、今年は本当に食べるものがない。このままじゃ餓死者が出るって訳で、じっちゃんは恥を忍んで、この手紙を私に託したんだ。……だから、謀反を疑われるような密書なんかじゃない。絶対に」


 ハチの決死の想い、そして島に残された一族を救おうとする健気な横顔に、竹千代の胸は激しく打たれた。

 だが、竹千代はただの恋する若君ではいられない。その瞳に、国を背負う世継ぎとしての光が宿る。


「……なるほど、筋は通っている。だがな、ハチ。そなたが聞いている内容と、その手紙に『実際に書かれている内容』が同じとは限らないのだ」


 ハチの身体が、掻巻の中で小さく強張った。


「じっちゃんが、私に嘘をついて、危険な謀反の片棒を担がせたっていうのか……?」


 動揺を隠しきれない目で、竹千代を見上げる。


「ハチから聞いた『大好きなじっちゃん』が最愛の孫を騙すような卑劣漢だとは、にわかには信じがたい。だが、余は為政者となる身だ。情に流されず、真実を見極めねばならない」


 竹千代はハチの目をまっすぐに見返し、静かに、だが確固たる口調で提案した。


「今ここで、共に中身を改めよう。見たところ、手紙は油紙の隙間からじわじわと濡れ始めている。文字がにじんで読めなくなる前に、確かめるべきだ。……もし、ハチの言う通りただの嘆願書であれば、この竹千代が保証人となり、宇喜多への援助を公に約束しよう。だが──」


 一呼吸置き、竹千代は力強く言った。


「もし、違う内容が書かれていたならば。その時は、どうすればハチとそなたの一族を救えるか、二人で、最善の策を考えよう」


「竹千代……」


 ハチの瞳が揺れる。のんきなお坊ちゃんだと侮っていた相手が、今、自分を守るために、これ以上ないほど頼もしい「相棒」かつ「為政者」としての顔を見せてくれている。


 二人は、静かに見つめ合った。パチパチと囲炉裏の火が爆ぜる、濃密な沈黙が過ぎゆく。


「──ハ、ハ、クシュンっ!!!」


 不意に、竹千代が大音量でくしゃみをした。


「ははは……。格好つけたかったのに、これでは締まらないな」


 竹千代は真っ赤になって鼻をすする。その様子に、ハチは緊張が解けたように、くすっと吹き出した。


「あはは! 何言ってるんだよ。竹千代だって中までびしょ濡れじゃないか。そんな格好じゃ風邪ひいちゃうよ」


 張り詰めていた空気が、いつもの二人の温度に戻る。

 二人は濡れた着物をすべて梁へと干し終えた。ハチは少々埃っぽい掻巻をしっかりと羽織り、竹千代は壁にあった古い(みの)を体に巻きつける。


 温かい囲炉裏の傍らで、二人は自然と、お互いのぬくもりを感じるほど近くに身を寄せ合った。

 竹千代の指先が、水分を含んでしっとりと重くなった油紙の包みへと伸びる。


 ついに、宇喜多秀家——じっちゃんの手紙の「改め」が始まろうとしていた。


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⚠️アルファポリスで先行公開。2026年6月現在、歴史・時代小説大賞にエントリーしています。
▼『人さらいと辻斬り将軍 〜徳川家光を誘拐したらなぜか懐かれて道連れに〜』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/47053912
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