第十話 大宮宿ざまぁ問答(1)じっちゃんの過去
蕨宿を後にした二人は、竹千代の顔見知りを警戒して浦和宿を早足で通り過ぎ、大宮宿へと辿り着いた。
氷川神社の門前町として栄え、街道沿いには茶屋や旅籠が軒を連ね、参拝客の熱気で溢れている。
「ハチ、聞いたか! この辺りは湯豆腐が絶品だそうだ。門前で温かい豆腐をつつく……これぞ風流というものではないか!」
「嘘をつけ。湯豆腐といえば京の南禅寺だろ。上洛してから好きなだけ食べてこい」
「いけずだなぁ。ハチと一緒に食べるから美味いのではないか」
「しつこい! 今日は桶川宿まで行くんだ。ぐずぐずしてると置いていくぞ!」
竹千代の袖を引いて先を急ごうとした、その時だった。
「もし、そこのお若いの。少々よろしいかな」
背後からかけられた低く擦れた声に、二人の身体が同時に強張った。
振り返ると、そこには黒ずんだ杖をついた一人の老人が立っていた。身なりは整っているが、隠居して久しいといった風情だ。竹千代は深編笠の縁をぐっと下げ、顔を隠す。
(まずい、竹千代の顔を知る者か!?)
ハチが身構え、竹千代の前に出ようとしたが、老人の濁った視線はまっすぐにハチへと注がれていた。
「……どこかで、お会いしたことがあったかな。その目元、鼻筋……。いや、まさか。そんなはずは」
「えっ、私ですか?」
ハチは面食らった。江戸育ちでもない自分が、こんな場所で知り合いに会うはずがない。
老人は不思議そうに首を傾げながらも、懐かしそうに目を細めた。
「いや、失礼した。あまりに昔の知人に似ておられたものでな。……よろしければ、あそこの茶屋で一服いかがかな。お団子でもご馳走させておくれ」
断ろうとしたハチだったが、老人の寂しげな、だが確信に満ちた瞳を見て、つい頷いてしまった。
茶屋の縁側に腰を下ろし、運ばれてきた三色団子を頬張る。もちもちとした米の甘みが広がる中、老人は、かつて備前岡山・宇喜多家に仕えていた譜代の家臣だと名乗った。
「備前守様は、それはそれは見目麗しい美男子でな。大坂城に登城された日は、侍女から女中に至るまで一目見ようと廊下にあふれ、大騒ぎになったものよ。側室を望む女子は山ほどいたが、殿は正室の豪姫様を一途に愛しておられた」
ハチの手がぴたりと止まる。自分の知らない、かつて《《五大老》》の一角として栄華を誇った「じっちゃん」の姿。
老人の話は、やがて家中を二分した「宇喜多騒動」へと及んだ。
「騒動の後、半年も経たずに関ヶ原の戦いが起きた。今にして思えば、あれは徳川様が家中を切り崩すための謀略だったのかもしれん。だが、外部の策があったにせよ、家臣をまとめきれなかったのは備前守様の失態よ。自業自得というものだ」
ハチの胸の奥が、冷たい刃で抉られたようにズキリと痛んだ。
「おかげで、我らはいち早く徳川様に鞍替えでき、家は安泰。知恵ある者は生き残り、愚かな主君に殉じた者は八丈島で惨めな流刑よ。いやはや、あの時見限って正解であった」
団子を飲み込んだ老人の喉から、くくくっと乾いた笑い声が漏れ聞こえた。
ハチは奥歯が軋むほど唇を噛み締め、膝の上のこぶしを血の気が引くほど震わせた。
(言い返したい。じっちゃんは愚かじゃない。島での暮らしだって、全然惨めなんかじゃない!)
——けれど今、美作八郎という偽名を騙り、正体を隠している自分には、反論する言葉が見つからなかった。




