1 心霊調査 宿り木
周防が忘れていた手提げの中には、周防が家業の仕事で使うものが入っているという。
明日の家業の仕事って、心霊調査とかお祓いとか、そういうことだろう。それに使う品物をうちの事務所に置き続けるってのも、あんまりいい気分はしない。
俺はちらりと手提げを見たが、何かの封筒が入っているのが見えるくらいで、それが何かまではわからなかった。俺は手提げごと俺のトートバッグに突っ込み、さっきのぬいぐるみも入れて、事務所を出た。
前に周防からもらった名刺の住所まで、電車を乗りついで行く。
その場所にあったのは、小さな雑居ビルだった。一階は喫茶店になっていて、その上にもいろいろな業種の事務所が入っている、そのうちの一つが、周防の家がやっている事務所「心霊調査 宿り木」だった。ビルの案内板には何も書かれていなかったが、俺は名刺に書かれていたとおり、エレベーターで最上階まで上がった。
最上階は、下の喧噪とは全く違う、静かな場所だった。エレベーターを降りると廊下があり、その先に、磨り硝子のドアがある。硝子には「心霊調査 宿り木」と黒い楷書体で書かれていた。
俺はまっすぐその廊下を歩いた。一歩一歩、足音が廊下にこだまする。
俺は戸を押し、中に入った。古いカウンターデスクがあり、その向こうに老人が一人、座っていた。入ってきた俺を、怪訝そうに見返してきたので、俺は会釈しながら言った。
「あの、すみません。こちらに周防章さんの忘れ物を届けにきたんですが」
俺が用件を言う間に、老人の表情は劇的に変わった。無表情だったのが、目を大きく見開き、口をぽかんと開け、そして、
「ああ、津和さん!あなた、津和さんですな!その声ですぐにわかります。ようこそいらっしゃいました。若がいつもお世話になっております!」
唾を飛ばさんばかりに勢いよく言う。歓迎の色がその声に乗っていて、俺は面食らった。……えっと、若、というのは周防のことでいいんだよな?
俺が用件を続けるより先に、老人は喋り続ける。
「いつもお話はきいています。若にとても良い方がついてくださってありがたいと、感謝しているところなんです。本当に、若は人に恵まれている。前の事務所のときもそうでしたが、今回も本当に良い方ばかりで。同じユニットの方たちも才能あふれる若者たちだと感じます。ありがたいことです」
「はあ……」
「それでですな、私は若の配信はいつも見ておりまして、あなたがいつ出るかと楽しみにしているんですけれども、いつ若の配信に出られるんですか」
「いや、俺はスポークスマンで」
「私はあなたが喋ったときの雰囲気が好きでして。あなたの声が、何といいますか、落ち着いた空気を呼ぶ、といいますか。事務所のチャンネルで一度だけ、声明を読み上げるために出られたでしょう、実は私はあれを何度もきいていまして。あの放送のときの状況ですとか、読み上げられた内容からすると、事務所側としては気が気ではないという心持ちだったのだと思うのですが、あなたが声明を読み上げる最中、それから読み上げた後の空気感が本当にしみじみと好きでして。是非、若の配信に出ていただいて。きっと話題を呼ぶに違いないです」
……実は、俺のあの一度きりの配信を、切り抜き動画にしてアップしている連中がいるのだというのはきいてはいた。そりゃどういう需要だと俺は思ったのだが、ニーズがないわけではないらしい。
そのとき、俺の背後、事務所の入り口のドアが開いた。
「こんにちは、小野寺さん」
「ああ、会長さん」
老人が気安い様子で応じる。俺はそちらを振り返った。
そこには、頭が禿げた小柄な初老の男性と、三十代くらいの中肉中背の男、そしてその後ろに、やけにルックスのいい長身の若い男がいた。
初老の男性が目尻に深い笑い皺を刻みながら、老人に話しかけてくる。
「どうしたんですか、小野寺さん。小野寺さんの声が廊下にまできこえてきてましたよ。珍しいこともあるもんだと思ったんですが」
「ああ、会長さん。実はですね、こちら」
老人が何故か俺を客人に紹介しようとしたので、俺は慌てて遮るように、
「あの、俺はただ周防くんに忘れ物を届けに来ただけなんで。置いて帰ります」
例の小さな手提げとぬいぐるみを取り出そうと、肩から下げていた自分のバッグに俺が手を掛けたとき、会長と呼ばれた男性はいきなり爆笑した。
「ああ、あんた、ツカズさんか。なるほど、それで小野寺さんがああなってたわけだ。いや、初めまして。私、こういう者です」
会長はジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出すと、さっと俺に名刺を差し出してきた。それを見て、俺は固まる。
小原プロダクション 会長 茅野繁樹
とそこには書いてあった。
小原プロダクション、というのは、以前、周防が所属していた大手芸能事務所だ。
茅野会長は連れを振り返った。
「ちょうどいい、章に話をするのに、ツカズさんにも同席してもらったら。あいつのことだから、今の事務所に了解をもらわないといけないから、とか言い出しかねないからな」
「映画の脚本の相談に乗ってもらうだけなのに?」
怪訝そうに、連れの中肉中背の男が言う。茅野会長は肩を少し竦めて見せて、
「古巣が絡んでいると今の事務所が後で知ったらどう思うだろうか、とか、あいつなら考える。ああ、こいつは真中っていう、新米の映画監督です」
茅野会長に促されて、真中は名刺を俺に差し出した。名刺に肩書きはなく、真中のフルネームと連絡先が書いてあった。
俺が二人に自分の名刺を渡していると、その傍にすっとあのルックスのいい若い男が立ち、真中が持っていた俺の名刺をのぞき込みながら言った。
「普通に事務所の名刺なんすね。ライバーの名刺ってどんなのかなって思ったんだけど」
茅野会長は苦い顔をしながら、
「おい、不躾だぞ」
「あー、ぶしつけ、ってどういう意味っすか」
若い男はきょとんとした様子で言った。どうやら、本気で意味がわからないらしい。
「お前というヤツは……。すみません、こいつはうちの事務所のタレントでして。周防が前にやっていた舞台の再演で、周防がやっていた役を引き継ぐことになったんで、是非周防に挨拶をしたい、と前から言っていたのを連れてきたんですよ」
「うっす。俺、青柳爽馬って言います。よろしくっす」
にかっと笑う。顔はいい。少し細すぎる感じはあるが、スタイルもいい。全体的に華がある。さすが、大手芸能事務所のタレントだという感じだ。
小野寺老人が、軽く頭を下げながら、
「申し訳ありません、若は今、少し出ておりまして。すぐに戻って参りますので」
「いや、こっちが少し早かったんで。津和さんも、是非同席を頼みます。二度手間にならなくてすむ」
否とは言えず、俺は会長たちと一緒に部屋に通された。昔ながらの応接セットがあるだけでそれ以外特に飾り気はなく、事務的な感じのする部屋だ。
小野寺が部屋を出るや否や、青柳が、ほえー、と声を上げながら言った。
「若、って周防さんのことですか。すげえ、リアルでそう呼ばれるって、なんかすげえ」
「あいつは地元じゃ結構な旧家のお坊ちゃんだからな。それに、戦後にあいつの家の分家がこっちに出てきたときにかなりの援助をしてたらしくて、こっちでもあいつは坊ちゃま扱いだ」
「うへー、なんか俺とは真逆だなあ。そりゃ、違いすぎるってみんなに言われるわ」
青柳の呟きに、茅野会長は眉間に少しばかり皺を寄せた。
「お前、現場で何か言われてるのか」
……これって、俺がきいていい話なのか?




