1 元地下アイドルの苦境
桜田緋狩は元地下アイドルだ。そして、地下アイドル時代に背負った借金が、桜田にはまだ残っていた。
チケットノルマ、物販の買い取り、衣装代、遠征費、MV制作費。生活費まで含めれば、膨らむのは当然だった。
それを、うちの弁護士が相談に乗って整理を進めていた筈だったんだが。まだ残っているとは、一体最初にいくらあったんだ。
周防が言った。
「津和さんの反応からするに、桜田さんが契約解除になるというのは、上月さんの杞憂ではないということですね。一体何を?」
どう答えたものかと思い、俺が悩んでいる間に、周防は構わず続けた。
「まあ、いいです。上月さん、桜田さんとは連絡がとれないということでしたね。家にもいないんですかね?」
「いません。ここに来る前に行ってみたんですけど、留守でした。もしかしたら居留守を使ってるかもしれないけど」
「そうですか。事務所の方で呼び出したりはしていないんですか?契約解除するにしても、手続きはいるでしょう」
「呼び出してはいるが、反応なしだ」
俺は答えた。まあ、これくらいは話してもいいだろう。
周防はため息混じりに、
「時間があれば探しに行くんですけどね。今日はこれから収録だし」
「何でお前が」
驚いて俺が訊くと、周防は手に持っていたノートをかざして見せた。
「この曲ですよ。特に一番最後の曲、僕らが歌うのに良さそうだから、使っていいか交渉をしようかと」
上月は驚いたような表情で周防を見上げた。
「あの、でも、桜田ちゃんは自分で歌うつもりで……!」
「それは、契約解除になるようなことをしておきながら、桜田さん自身の手で自作の曲を今まで通りの環境で発表できると思っていたということですか。随分虫が良すぎやしませんかね。あと、桜田さんの歌は動画でききましたけど、確かに本人にはここに書かれている曲は荷が重すぎます。少なくとも、今のままでは無理でしょう。それくらいなら、表現できる誰かに渡した方がいい」
周防は口元だけに笑みを浮かべる。
「まあそういうことなんで、このノートの曲がお金を引き出すための交渉材料に使えるか考えるのがベストでしょう。津和さん、ユニットのPVの公開って、三週間後でしたよね。納期的にいつまでがデッドラインですか」
「まあ、最悪でも公開の二日前には欲しいが。……何でそんなこと」
「勿論、PVに曲を入れるためですよ。その方がPVも華やかでいいじゃないですか。まあ、作曲者の許諾はもらわないといけませんが」
「それはそうだが、プロダクト室にも言わないと」
「今から話しますよ、勿論。いざとなったら行道くんに頼みます」
「でも、歌録りはどうするんだ。お前さんは家業が忙しくてなかなかこちらに来れていないのに。それに、巧と司は鹿鳴に住んでいてだな」
「そんなの来させればいいでしょう。僕だって収録のためなら何とか体をあけますよ。氷上さんだってライバーとしてデビューした以上はこっちの仕事に合わせてもらわないと。歌を収録できるレベルにするのに練習時間がいると言われても、プロなんだから間に合わせてもらわないと」
「お前さんは練習はいらないのか」
「そうですね、僕にはあまり難しい歌ではないので、心配はいらないと思いますよ。準備するにしても、いつも教わっているトレーナーに一度見てもらって、それで十分でしょう。いずれにしても、もう編曲作業に入った方がいいのは間違いないので、手っ取り早く知り合いに頼んでいいですか。僕のPVに使う曲を作った人なんで、そっちの契約と同時進行でこっちの契約の話を進めてもらったら。とりあえずこのノートは預かります」
「待ってください、勝手に話を進めないでください!」
上月が声を上げたが、周防は淡々と、
「これ以外にどういう話の進め方があるっていうんですか。話の様子から察するに、桜田さんは契約解除を免れない。損害賠償の話も出るかもしれない。借金がある以上、それは避けないといけない。だから、この曲を事務所に差しだして、少しでも事務所から金を引き出す、これが一番ですよ」
「おい待て、それってこの曲を買い取るってことか」
勝手に言うな。
周防はにやりと笑って、
「勿論、津和さんに判断しろと言ってはいませんよ。社長さんに話を通さないと。今日、お会いすることはできませんかね」
……結局社長を呼び出さないといけないのか。
周防が収録のためにスタッフに呼ばれていなくなり、上月も今日の配信は事務所からすると決めて配信用ブースに籠もり、和が何故か上月についていき、俺は一人になって、社長にどう話をしようかと頭の中で考えながら、俺はスマホを取り出した。と、そこに着信があった。
司からだった。
司は、昨日のPVが出た後のコメントを確認して電話してきたらしい。
少し笑みを含んだ声で司は言った。
「大体問題なさそうですね」
「ああ。Twitchからこっちに流れてきた人たちもいるみたいだ。助かった。なんか、外国語のコメントもあったんだが」
「そうですね。あのPVでいつでも僕らの歌をきけるから嬉しいっていうコメントがこっちにも書き込まれていましたよ」
「みたいだなあ」
司の声は耳当たりがいい。癒されるなあと思いながらしみじみ言うと、電話の向こうで司は何かを感じ取ったようだった。
「何かありましたか」
「いやそれがだな」
俺は、上月が未発表の曲を持ってきて、その譜面を見た周防が気に入り、ユニットで歌ってPVに入れようと言っているのだと伝えた。司は含み笑いをしていた。
「それって、僕らのデビュー曲がいつの間にか決まっていたっていう話ですか?」
あ、もしかしなくてもそういうことか?




