8 PV公開
氷上甚の抗議を聞いている中、会議室の扉がノックされた。
対応するために扉を開けると、そこにはグラハムがいた。その後ろには巧と司もいる。グラハムと巧はかっちりとしたスーツ、司は今日はビジネスカジュアルの服装だ。
グラハムを見て、氷上甚の表情が固まった。
「グラハム、何で……?」
「こちらの社長さんから連絡をもらった。株主総会当日だから、私が動けないと思ってこちらに来たのだろうが、残念だったな。総会の日は一日中動けないというわけではないんだよ」
「でも、前に」
「お前が知っているあの年は特に厄介な懸案事項があったから遅くまで拘束されていたが、今回はそうではなかったのでな。それで、何をしている」
「だから、健吾の契約の話を」
「健吾はもういい大人だ。自分のことは自分で決められる。こちらの事務所に迷惑を掛けるのはやめろ」
グラハムが甚に畳みかけるように言った。甚は長身だがグラハムは更に背が高く、しかも椅子に座った甚を見下ろしているので、かなり威圧的だ。
甚はグラハムに引きずられるようにして帰っていった。健吾のデビューについて全く納得したわけではなさそうだったが、健吾が最後に、
「僕は降りたりしないから。見ていて、父さん」
と言って終わらせた。
巧と司は何故かグラハムと一緒に帰らなかった。
「グラハムと一緒に帰るってことは、あのおっさんと一緒に帰るってことだろ。そんなのはゴメンだって。それに、今日はこれからPVの公開だろ?やっぱ一緒に見たいじゃん?」
「じゃあ、三人ともPV公開まで事務所にいるのか?」
だったらこれからの配信のこととか話し合える、と俺は思ったのだが、巧はにやりと笑って、
「んなわけないじゃん?俺たちは俺たちだけでとっととグラハムのマンションに帰って、PVが公開されたらそれをさかなにうまいモノを食うの」
「PVが出た後にTwitchで告知をしてくれるんじゃなかったのか」
「勿論するって。あ、でも、明後日の健吾の初配信のときはこっちに来ててやるよ。健吾、事務所から配信するんだろ?」
俺は内心驚いた。思っていた以上に健吾は巧と仲がいいらしい。
と、司が苦笑しながら言った。
「巧は日曜日のパーティに出たくないんですよ。そのためのいい口実になると思っていて」
「は?」
「健吾くんが、初配信のために早めに事務所に入るからパーティに不参加になるってきいて、自分も同じようにしたいって思っているんですよ」
「だって堅苦しいホテルのアフタヌーンティーパーティとか、だるい代物でしかないだろ」
「まあね。僕もできれば明後日の午後からこちらにお邪魔したいんですけど。モデレーターとかお手伝いできると思いますよ」
「それはスタッフで手配済みだ。気持ちだけ受け取っておく」
そして、巧と司は健吾を引き連れて帰っていった。
午後八時、予定通りに鴫沢レンのPVは公開された。
鴫沢レンのビジュアルが全面に出て、レンが簡単に自己紹介をする。その後、巧と司の歌が流れる中、レンの立ち絵と残り三人のシルエットが映し出され、それを背景に「coming soon」の文字が出てきて終わる。
うん、あの短期間でよくもここまで仕上げたよ。
その五分後にナイトレイヴンの制作会社である英泉から、約束通り鴫沢レンのライバーデビューに関するコメントが出された。俺はそれを見届けて、帰宅した。明日は土曜日だが、明日も仕事はある。桜田の件の対応もまだ続いているし、収録のために事務所にやってくる周防とも今後の打ち合わせをしなければならない。
翌日、九時過ぎに出社する。うちの事務所は基本的に土日が休みなのだが、みんな必要に応じて出勤している。今日も周防が録音のために来るというので、音まわりのスタッフは出勤している。
俺は、周防が来るまでの間、昨日の鴫沢レンのデビューPVに対するネットの反応をチェックした。昨日、家に帰ってからもずっとチェックしてはいる。
昨夜は、心配するような反応はなかった。
声いいな。
新人にしては慣れてる?
という反応が大半で、時々、
このキャラデザ、鎔蘭じゃない?
というコメントが散見される感じだ。女性ライバーしかいなかったうちの事務所から男性ライバーがデビューすることについては、好意的なコメントがある中、
男V増やす気満々じゃん。女Vのファン取られる。
ていうか、女Vと絡むな!
みたいなネガティブなコメントもあったが、大して過激なものはなかった。
そして、その時点には、デビューしたライバー鴫沢レンとナイトレイヴンと結びつける書き込みは見あたらなかった。
さて、一晩あけてネットの反応は、と見てみると、ナイトレイヴンの鴫沢レンとの関係について言及している書き込みが出てきていた。しかし、英泉のコメントのおかげか、特に炎上はなく、寧ろ、好意的な意見が多かった。
これって、ナイトレイヴンの鴫沢レンの成長した姿?
え、待って、胸アツなんですけど。
こんな書き込みの中、当然、こういう反応もある。
声似てない?ていうか本人?
氷上健吾って、今、何やってるんだっけ
まあ、当然中の人の正体に話が向くよなあ。まあ、もともとのVのファンが、「中の人の話やめて」と火消しに動こうとしている様子もある。この辺りは様子を見ていくしかない。こちらとしては演者の情報は絶対に触れないことにしているから。
あとは、ちらほらと、Twitchから来ました!の書き込みが見られた。外国語で書かれたコメントも。自動翻訳システムで翻訳したところ、どれも歓喜のコメントだった。
あなたたちが実在していることの証明!
神よ、感謝を!この二人をこの世界に連れてきてくれてありがとう!
……翻訳、合ってるのかな?
「おはようございます、津和さん。何かおもしろいことでも書いてありますか」
パソコンの画面を見ていた俺の顔を見るなり周防が言ってきた。ネットの反応がこちらの想定していた中でも良い部類だったので、顔が緩んでいたらしい。
「いや、まあ。昨日の鴫沢レンのPV。V界隈では結構な話題になっていて良かったなあ、と思って」
そしてそれは良い反応だった。健吾のインスタのコメント欄のことがあったから、どうなるかと思ったが。
「そうですね。ナイトレイヴンとの関係は、まだそこまで大きな話題にはなっていないですけど。これから検証動画とか出てきたりしたりするのかな。そこで本格的に話題になるとか」
「とは言っても、英泉がコメント出してるから、おかしな風に燃えることはないだろう。寧ろ、次はお前さんのことで頭を悩ませないといけないと思っているんだが」
「本名でデビューするから、ですか。まあ、いろいろ覚悟はしていますよ。とりあえず、他のメンバーについて質問されたら、スルーしておきますね」
「そうだな。知らない、とは言わない感じで頼む。知っているのは当然の前提だし」
「わかりました。こうして考えると、現実の人間と架空の存在とが混在しているユニットというのは、普段しないような気の使い方をしないといけないですね」
苦笑気味に言った周防が、あれ、と視線を部屋の入り口に向けた。
俺も釣られてそちらを見る。
部屋の入り口に、上月が立っていた。いつも持っている大きめのトートバッグを俺たちへの盾にするみたいにして持っている。その目は周防に対して大きく見開かれていた。
「え……周防章……?何で……?」
「ああ、上月さん。ええっと、どうしたんだ。今日はこちらに出てくる予定はなかったと思うんだが」
夕方に配信はあったと思うが、それは自宅からの筈だ。
上月は俺に視線を移して、でもまた周防に視線を戻しながら、
「は、はい。あの、配信は家からなんですけど。ちょっと話がしたいっていうか、ききたいことがあるっていうか」
「前島主任は今日は休みだよ」
「はい。わかっています。お休みの日にメッセージを入れるのは良くないかなと思って遠慮したんですけど、でも月曜日まで待てなくて、社長さんとお話できないかと思って来たんです。社長さん、出社していらっしゃらないんですか」
「ああ、来てないけど」
社長はこのビルに住んでおり、休日だろうがお構いなくふらりと来て社長室でゲームをしていたりしているのだが、今日はそういうことはなかった。
「あの、会ってお話することはできませんか」
「あー、社長かー。本人が降りてくるのを待った方がいいと思うけど」
自分から降りてくることがある一方で、休日にこちらが降りてきてくれと頼むとものすごい不機嫌になるんだ、あの人は。
すると、上月が泣きそうな表情になりながら、
「でも、困るんです。とっても急いでいて」
「と言われてもなあ。本来なら休みの日だし。俺でよければきくけど」
言いながら、これも悪手だよなあ、と思う。上月は男性恐怖症だ。男と差し向かいで話すとか、絶対に嫌だろう。今は部屋の入り口と奥とで距離があるから逃げ出さないで済んでいるが、この距離のままで話すというのもどうかと思うし。
どうしたものかと俺が悩んでいると、側に立っていた周防がさらりと言った。
「じゃあ、僕はお邪魔みたいなんで、収録ブースの方に行っていますね」
「収録ブース……?」
呟きながら、上月が周防をまじまじと見る。俺は肩をすくめて見せながら言った。
「昨日、PVが公開されただろう。例の男性ユニット。周防さんはそのうちの一人だよ」
「え、そうなんですか?でも、それって、きいた話と違う?」
「きいた話って、上月さんは誰からどんな話をきいたんだ」
訊きながら、俺は上月が桜田と仲が良かったのを思い出した。もしかしてここでも桜田の情報漏洩に関する話が聞けるか。
しかし、違った。
「あの、鳳さんと柳沢さんが、新人二人に会ったって言っていて。主任と氷上さんと一緒にいたって。でも、芸能人じゃなかったって言っていたから」
「あー、なるほど。わかった。あのな、お前さんたちは俺がアイドルとしてデビューすると思っているが、違うんだよ。俺もVのガワを被って表には出るが、スポークスマンという立場でだな」
「スポークスマン、ですか」
「ああ。で、ユニットのメンバーは、氷上健吾と、鳳たちが会ったっていうその二人組と、そしてこちらの周防さんになる」
そこで周防がにこやかに言った。
「初めまして、先輩。よろしくお願いします」
うーん、爽やかな笑顔に見えるんだが、それだけに思えないのは何故だろう。それに、男性恐怖症の上月にはあまり効果はないのでは。
案の定、上月は上辺だけの微笑で返してきた。
「あ、はい。えっと、よろしくお願いします」
言いながら、助けを求めるように俺を見る。まあ、同じ男でも初対面のよりはつきあいが長い俺の方がまだ頼れるか。
「あー、そうだったな。社長に話があるっていうんだったな。どうしたもんかなあ。急ぎなんだよな。ちなみに、何の用件なんだ」
「あの……えっと」
上月はちらちらと周防を見る。周防が察したように言った。
「じゃあ、僕はちょっと収録ブースの方へ」
「あ、周防さん!ここにいた!」
上月の後ろから、全く見たことのない中学生くらいの女の子がつま先立ちになって伸び上がるようにしてこちらを見ていた。
誰だ、この子。しかも、どうして周防に当然みたいに声を掛けている?




