7 父襲来
ユニットデビューに向けて着々と段取りが進んでいく手応えを感じていたとき、受付から電話があった。対応しているスタッフの声が緊張で上擦っている。
「あの、氷上甚さんが今受付に来られていて。社長に会いたい、と言っています」
「用件は」
「氷上健吾さんのライバーデビューのことで話をしたい、と」
そして、スタッフの声の様子からすると、氷上甚は健吾のデビューについてこちらの耳に心地よい話をしに来たのではなさそうだ。
いつか来るだろうと健吾には言われていたが、まさか今このタイミングで来るとは。
とはいえ、想定されていたことだったので、対応手順も決まっていた。氷上甚が会社に来たときは、まずは俺が前に出る。それで無理そうなら副社長が加わり、社長が出るのは最後だ。
俺は副社長に、氷上甚が来ていること、俺がまず対応することをさっとチャットで入れると、歩きだしながら、受付のスタッフに、今すぐ行く、と伝えて電話を切った。
一階の受付まではものの三分もかからず着いた。
氷上甚は受付のカウンターに手を載せ、いらいらとした様子で台を指で叩いていた。彼に会うのは三年ぶりだ。健吾と再会したその少し後に一度会っている。そのときには既に彼はアメリカ資本の映画に出演して成功しており、国際的スターと呼ばれていたが、息子のことを話すときの様子は、昔、テレビ局で健吾を助けたときに礼を言っていたのと同じ父親の顔だった。
そして、今はどうか。
遠目に見た限りでは、怒りといらつきが表にダイレクトに出ていて、できれば近づきたくないオーラがありありと感じられる。
氷上甚は五十代になってなお、美貌も肉体も衰えていなかった。老いはむしろ渋みとなって加わり、国際的スターとしての風格は以前より増して見える。そんなのを相手に保護者面談とか。まさか、こういう用件でこの人と相対する日が来るとは思わなかったなあ。
氷上甚は足早に近づいてくる俺にいち早く気付くと、声を掛けてきた。
「俺は社長を出せと言ったんだが」
「息子さんのマネージャーは私が担当しているんで。担当マネージャーとしてまずは私が話をききます」
「あんたじゃ話にならない。社長を出せ」
「困ります。お話はまず私にしていただかないと」
俺が表情を変えずに言うと、氷上甚は小さく舌打ちして、
「俺は、あんたには恩を感じているんだ。二度も息子を助けてもらった。兄貴代わりみたいにあいつの遊び相手にもなってくれた。あいつの周りには珍しい、いい人間だと思ってつきあいを続けるのを認めていた。だから、あんたには文句を言いたくないんだよ」
「文句、というのは、彼のライバーデビューの件ですか」
俺は玄関ロビーに外部の人間がいないことを確認しながら訊いた。
氷上甚は頷きながら、
「ああ。俺はあいつにそんなところに逃げてほしくないんだ。今は大きな仕事を得ることができていなくても、ひたむきに仕事を続けていればいつか必ずチャンスが来る。舞台の仕事だって入っていた。テレビドラマとか映画の仕事はないかもしれないが、それは若い頃の俺だってそうだった。それでも辛抱して仕事をこなしていたら、チャンスが来た。あいつにだって可能だ。何だったら、俺が仕事を紹介してもいい」
「そういうのが嫌だから、僕はあなたから離れたいんですけどね」
俺の後ろから声がした。
振り向くと、健吾が立っていた。
「おい、健吾」
そういう話をここでしてもらっては困る。
健吾は頷いて、
「わかっています。僕が使わせてもらっていた部屋を使っていいって、副社長さんが言ってくれました」
もしかして、氷上甚が来たことを健吾に知らせたのは副社長か。
氷上甚を連れて二階の会議室へ行くと、副社長が待っていた。副社長も氷上甚の対応に同席するらしい。
穏やかに副社長が氷上甚に自己紹介すると、氷上甚は副社長を正面に見て語り始めた。
「俺は、息子がライバーデビューするのは反対だ。この話はなかったことにしてくれ」
「困りましたな。息子さんとは契約済みですが」
「違約金なら払う。とにかくこの話はなかったことに」
「父さん、僕はやめないから。この話、僕が希望して進めてもらったんだ」
健吾がはっきりと言った。ライバーデビューについては俺が声を掛けてそれに健吾が乗っかった話だが、それでも健吾は自分の選択だと父親に言ってくれた。かなり圧の強い父親相手に、本当によく頑張っていると俺は傍で見て思う。あの小さかった子どもが、父親に守られていた子どもが、本当に立派になった。
甚の方は息子に対しても強面で言ってくるかと思ったが、そんなことはなく、一転して泣きそうな顔をして言った。
「何で俺の言うことがわからないんだ。お前は今は思ったような活動ができていないかもしれないが、それは一時のことで」
「そうかもしれない。でも、僕は少しの時間も無駄にしたくないんだ。いろんなことを経験したい。ライバー活動だって、表現の一つだよ。僕はそこでも学ぶことがあると思う」
「でも、他に方法があるんじゃないのか。お前のルックスと運動神経なら、他にも」
「父さんは何が不満なの。ライバー活動の何が駄目なの。とにかく、僕は自分が決めた道を進むから。父さんを失望させたのなら悪いとは思うけど」
「失望だなんて、そんなことはない。俺がお前に失望するなんてことはない。ただ、俺は悔しいんだ。早苗と俺の間に生まれた子なら、そんな作り物のガワを被らなくたって、生まれ持ったもので勝負できる筈なんだ。それなのに、こんな」
言いながら、甚は泣き出していた。俺は唖然とし、心配になって健吾を見た。父親のこんな姿を見て、健吾は動揺していないか。
しかし、健吾は冷静な表情を変えていなかった。黙ってただ父親を見ている。
副社長が穏やかに言った。
「早苗さん、というのは、亡くなった奥様のことですか。健吾さんの実のお母様」
甚は泣きながら頷く。そこで健吾は少し視線を父親から外した。唇を少し噛み、先ほどまでのただ冷ややかなだけの表情ではない。
甚は涙を流しながら言った。
「健吾は早苗に似て、まっすぐで誠実で努力ができる。俺に似て運動神経もあるし、容姿にも恵まれている。だから、もっとやれる筈なんだ」
「氷上さん、息子さんだってずっとライバー活動をするわけではないのです。モデルは続けますし、ライバー活動をしている間も次の活動の場を探していこうと話をしているんです。我々としても、健吾さんのキャリア設計のお手伝いをできたらと考えています」
副社長が懇々と説明し、甚が、でもでもだってを繰り返して言う。その間、俺はずっと黙ってきいていた。怒鳴ったり高圧な態度でこられるよりはましかもしれないが、大男の美男、しかも俺よりも年上の人が、死んだ妻への愛情や息子への信頼を滔々と語りながら、こちらのプロジェクトへの抗議を言い続けるのを聞くのは精神的に疲れる。というか、いつ終わるんだ、これ。
俺がそっと腕時計で時間を確認したときには、氷上甚とこの部屋に入って一時間近くが経過していた。あー、今日のPV公開まで三時間を切るところまできている。まだやっておかないとならないことがあるんじゃないか?PV公開までの段取りは前島主任と分担してやっていて、一応俺の担当は終わってる筈だが。……あ、いけない。鎔先生とか担当編集者に連絡しておかないと。これは前島主任との役割分担には入ってなかった。鴫沢レンのキャラクターを見たら、視聴者は、絵師が誰かすぐにわかるだろう。先生の担当編集には一応挨拶はしているが、今日公開ということは情報を入れていない。あー、出版社に問い合わせがいったら、きっと担当編集者は困るだろうなあ。まあ、今日は金曜日だし、今日の夜にPVが流れても問い合わせの対応は週明けになるか。うん、きっとそうだろう。大手出版社は土日の稼働とかないだろう、きっと。
俺がそんなことを思っていたとき、部屋のドアがノックされた。
俺は腰を上げた。取り込み中なので、と相手に言うつもりで扉を開けたとき、俺は扉の向こうにいた人物に驚きを隠せなかった。
そこには、グラハムがいた。




