6 デビューに向けて
桜田への対応について話し合っている最中、副社長が言った。
「いっそのこと、ここで鴫沢レンのPVを出してしまいましょう」
俺は自分の耳を疑った。
鴫沢レン、つまり健吾のキャラクターのPVは昨日出来上がっていて、それを見せてもらってはいるが、
「今、ですか?炎上対応も終わっていないんですよ。それに、予定よりかなり早いです」
「だから、ですよ。氷上健吾がライバーデビューするというのは、真偽不明とはいえネットに情報が出てしまっている。だったら、もう出してしまった方がいい。鴫沢レンは、キャラクターデザインも氷上さんの演技もうまくはまって、ナイトレイヴンを知らない層にも魅力的に見えるでしょう。勿論、ナイトレイヴンのファンにもかなり強く訴求するのは間違いない。PVの出来もいいし、これを世に出すことによって、リークされた情報をコントロールした形に出し直すことができる」
副社長の力強い発言に、社長も頷く。
「そうだな。明日の夜七時に公式アカウントに予告を出し、一時間後にPVを出す。それでいこう。津和、お前は健吾に連絡をとって、この辺りの打ち合わせをしておいてくれ。かなりのハレーションが起きることが予想されるからな」
俺が把握している限りでは、健吾は明日は四時まで大学の講義がある筈だ。とりあえずメッセージで状況を伝え、いろいろ打ち合わせをしたいから、明日のどこかでオンラインででも話をできないかとメッセージを入れると、すぐさま返事が来た。明日の午後に事務所に来る、と。
健吾の反応に俺は驚いた。会って話せるのならそれが一番ではあるが、大学の授業は大丈夫なのか。俺がそうメッセージを送ると、午後の授業はオンラインで受けるのだとか。どうやら、うちの事務所で講義を受けるつもりらしい。
まあ、学業に支障が出ないのならそれでいい。
俺は健吾に、会議室をとっておくから、と返事を送った。そしてすぐさま二階の一番小さな会議室の予約をし、その後、社長や副社長、前島主任に、明日の午後に健吾が事務所に来て話をできるようになった、とチャットを送っておいた。午後も授業はあるんだし、話ができるのはその後だろう。
健吾は翌日の一時前に事務所に来て、俺が取っておいた会議室にすぐに入った。俺が様子を見に行くと、健吾はサンドイッチをぱくつきながらノートパソコンで授業を受けていた。俺に気づくと、健吾は向かいの椅子を示した。
「カメラはオフで、音声もミュートなので、そこで話をしていって大丈夫ですよ」
「そんなので出席確認とかどうするんだ」
「出席確認のときだけカメラと音声をオンにするんです。で、それはもう済んだので」
そう言われて、俺は健吾の向かいの椅子に腰を下ろした。大学の講義の音声が流れる中、俺は今日これからの流れについて説明する。健吾には既に大まかなことは教えているが、とりあえず、もう一度。
健吾は一通り話を聞き終わり、少し唸るようにしてから言った。
「昨日も思ったんですけど、急ですよね。今日の夜にPV公開、ですか」
「すまんな。一ヶ月早まった」
「いいですよ。情報漏洩を知ったときに、これはもうさっさと出さないと旬を逃すんじゃないかと思ってはいたので。でも、緊張しますね。今までの僕だけじゃなくて、鴫沢レンというキャラクターとかナイトレイヴンという作品の評価まで受けることになる感じで」
そう言いつつ、健吾はどこか嬉しそうだ。
「他の三人のPVはいつ出るんですか。ユニットのPVも別にあるんですよね。というか、僕、まだユニット名をきいてないんですけど」
痛いところを突かれて俺は唸った。
「すまん、まだ決まってない。いろいろ考えがとっちらかってて。プロダクト室にはせかされてるんだが」
「候補はあるんですか?」
「いや、それがだな……」
俺は口ごもる。健吾は小さくため息をつくと、自身のスマホを取り出し、何やら操作し始めた。そして、健吾がスマホの操作を終えると同時に、俺のスマホに着信があった。
「今、ユニット名の候補を送りました」
言われて確認する。確かに、健吾から俺にテキストファイルが送られていた。そこにユニット名の候補が幾つも書かれていた。横文字のもの、漢字のもの、ひらがなのもの、いろいろ。
「これ、お前が考えてくれたのか」
「この前の収録のときにみんなで考えたでしょう。……もしかして本当に覚えてないんですか」
健吾は呆れた様子だった。俺は言葉を濁す。
「いや、その、あのときはだな」
「妖精たちが変な動きをしていたのは知っています。僕も彼らのことは見えるんで。でも、何をしたのかはわからなかった。あのとき何をされたんですか」
そこで俺は説明した。妖精がその場でペットボトルの中の水を酒に変えていたのだと。
健吾はすまなそうな表情をしながら言った。
「多分、巧さんがそそのかしたんですね。すみません、ツカズさん、あんまりお酒が好きじゃないのは知ってたんですけど」
「いや、嫌いっていうわけじゃない。楽しい酒は好きだよ。ただ、ああいう場でいきなり飲まされると、ちょっと困る」
答えながら、俺は、直前の健吾の発言に引っかかるものを感じていた。一体何だ?健吾はさらりと何かおかしなことを言っていたような気がするが。
まあ今のところは別にいいか。
俺は今後の見通しについて、まだ説明できていなかったことを伝えた。ユニットメンバーのPVは一週間おきに出す。周防章のを丁度一週間後に、更にその一週間後に司と巧のPVを出すか、順番はその逆か。周防のを先に出せた方がいいが、音声の収録が間に合わないようなら司たちのを先に出す。……二人で一本のPVだから、それを先に出すと周防が埋もれてしまう可能性が高くなるんだが。周防のを本名で発表することからも、是非周防を先に出したいんだがなあ。
健吾が気になったらしいことを口にする。
「司さんと巧さんは二人で一本のPVですか」
「ああ。二人の歌を録れてて、それを使うんだ。ああ、お前のPVの最後にも少し入れる。ユニットデビューの匂わしがあるから、そこで。ユニット自体のPVは四人全員のPVを出し終えた一週間後だな。そこでも巧たちの歌は流すつもりだ」
健吾は苦笑する。
「それは凄いインパクトがありそうですね。Twitchで二人を知っている人たちが気付いたらこっちに流れてくるかな」
「もしくは、アイドルになるのを嫌ってくるかもな」
まさか、と健吾は苦笑する。
とりあえず、鴫沢レンのPVを流した後、健吾のインスタにいろんなコメントが書き込まれることが見込まれるが、それについては完全無視するように伝えた。炎上につながりそうなネガティブなコメントについては、今後キーワードブロックをかけることも検討することにする。
健吾は了解し、俺は伝えたいことは伝えられたと判断して会議室を出た。部屋を出るとき、健吾は授業に集中し始めていた。健吾にはまた後で飲み物でも差し入れておこう。勉強頑張れよ。
俺は俺で、別の会議室で、今日の夜のPV配信に向けてマネジメント室とクリエイティブチームとで打ち合わせに入った。
鴫沢レンのPVは事務所の公式アカウントから流すことになっている。それを見たリスナーがどれくらいナイトレイヴンの鴫沢レンと結びつけるかはわからない。古い特撮のファンでありうちの事務所の視聴者でもあるという人がどれくらいいるのかが未知数だからだ。当時鴫沢レンに狂っていた層が、今ちょうどVTuberを見ていてもおかしくはない。
そしてその後の配信スケジュールも決まっていった。今日の夜に鴫沢レンのPVを出した後、明後日にはもう鴫沢レンの初配信を行う。翌週の火曜日と木曜日にも配信を行った後、金曜日の夜八時には周防章のPVを公開する。
そういった打ち合わせの途中、夏代室長からチャットが入った。巧と司のPVができた、それをサーバーにアップしたから見ておいてくれ、とのこと。文面からは、かなり上機嫌で、鼻歌混じりという感じがぷんぷんに匂う感じがした。かなり出来が良かったんだなと察することができる。
すぐに俺も巧と司のPVを見たが、確かにかなり出来は良かった。俺は夏代室長にチャットで、巧たちのPVの出来がとても良かったと伝え、次に、周防のPVはどうなっているかと訊ねた。
すると、室長からはすぐに返事がきた。
「あとは音だけなんだよ。本人の仕事が詰まってるとかで、なかなか時間をとれないんだと。芸能活動はほぼ引退状態なんだろ。何の仕事してるんだか」
周防の今の仕事については、俺は室長に詳しくは伝えていない。家業を手伝っている、としか。詳しいことを知っているのは、社内では俺と鈴木の他に、社長と副社長だけだ。
俺は周防の「仕事」については触れず、こちらからも周防に催促してみる、と伝えた。収録スケジュールについては周防とプロダクト室とで直接やりとりすることになっていて、俺はノータッチだった。少し目を配っておいた方が良かったかなと反省する。
室長からの返事はなかったが、三十分ほどして鈴木から俺に電話が入った。
「すみません、収録の件、たった今連絡があって、周防さんには明日には来てもらえることになりました」
それはまた急なことだ、と俺が返すと、鈴木は、
「鴫沢レンのPVが今日の夜に出ることになった、周防さんのPVも一週間後に出したいけど、収録が間に合わなかったら巧さんたちのを先に出す、と伝えたら、明日なら来れるって言われて。勿論、録音スタッフには了解をもらいました」
なので、PVの公表順は、周防を二番目にしてくれ、とチャットは締められていた。まあ、周防としてはそこに入りたいよなあ。
「ただ、周防さんが気になることを言っていていて。自分のPVにはオリジナルの曲を入れたい、って」
「いきなりオリジナル楽曲か。何でそんなの周防さんは持っているんだ」
「学生時代の友人でそういうのを得意にしている人がいるんだそうで、以前から曲を預かっていたそうなんです」
「楽譜だけじゃ駄目だろ。音源は?」
「アカペラで何とかするそうですよ。まあ、周防さんならやれるでしょうけど、問題はそれだけじゃなくて」
「何かあるのか」
「周防さんは、ユニットのPVにはユニットのオリジナルの曲を入れた方がいい、と言っているんです。巧さんたちの歌は巧さんと司さんのものなので、ユニットの曲が必要だって。夏代室長に伝えたら、頭を抱えてました……」
それはそうだろう。俺も頭を抱えたいよ。
ちなみに、健吾のPVを今日公開することと司と巧二人のPVは再来週になることを司に伝えると、問題ないと返ってきた。そして、今日は夜十時にTwitchでの配信を始めることとし、そこでVTuberとしてデビューすることを告知する、とのこと。うん、向こうから言い出してくれて有り難い。二人のTwitchのチャンネルでの告知タイミングについて相談しようと思っていたんだ。
もう一件、段取りをしなければならない相手があった。ナイトレイヴンの制作会社である英泉だ。鴫沢レンというナイトレイヴンのキャラクターと同姓同名のキャラをVTuberデビューさせることについて、制作会社とうちの事務所とで協議のうえ企画している、今回デビューしたキャラはナイトレイヴンに登場するキャラクターとは別人物という位置づけになる、新たな挑戦を温かく見守ってほしい、というコメントをこちらのPV発表とほぼ同時に出してもらわないといけない。
打ち合わせの結果、向こうの担当者にはこちらがPVを発表した五分後には間違いなくコメントを出すと約束をもらった。タイミングを間違えれば向こうも炎上してしまうので、ここはお互い確実にやっていくしかない。
ユニットデビューに向けて着々と段取りが進んでいく手応えを感じていたとき、受付から電話があった。受付に入っているスタッフの声が緊張で上擦っている。
「あの、氷上甚さんが今受付に来られていて。社長を出せ、と言っています」
「用件は」
「氷上健吾さんのライバーデビューのことで話をしたい、と」
いつか来るだろうと健吾には言われていたが、まさか今このタイミングで来るとは。




