7 とりあえず走り出す
「その事務所っていうのが風前の灯火だけどな」
巧が頭をまた掻きながら言った。
「来月の十五日に健吾の事務所が所属タレントとの契約解除と事務所の閉鎖について発表することになってる。今、水面下で関係先と話は進めているところだ」
健吾は知っていたのだろう、黙って俯いている。
俺は言った。
「じゃあ、健吾のマネジメントを引き継がないと」
「でも、僕のライバーデビューが決まったわけじゃないのに。ユニット四人が揃わないとデビューの話はないんじゃないんですか」
「それは。でも、このままじゃお前が困るだろ。独立するのか?」
「それは……」
「うちだってタレント事務所だ。今いる事務所みたいなサポートはできないかもしれないが、やれることはある。それに、ライバーデビューがなくても所属することくらい社長に掛け合って認めさせるから。それで、事務所の閉鎖はいつの予定だ」
巧に訊くと、来月末だとの答えだった。健吾が言った。
「そんなにすんなりいくかな。あの人が……父の奥さんが絶対に文句を言うでしょう」
健吾の事務所の所属タレントは健吾と父親である氷上甚の二人だけだ。しかも、氷上甚の方が圧倒的に人気があり、関係先も多い。確かに、そっちが揉めたらすんなりとはいかないだろう。
巧はつまらなそうに、
「氷上甚の嫁がごねたところで、グラハムは日本での芸能事務所の維持について興味をなくしてる。何を言っても無駄だ」
「マリアちゃんをデビューさせるんだって、あの人は言ってるみたいだけど」
「それもよその事務所からやればいいことだ。事実、あいつの実の息子は別の事務所からデビューさせてるんだし。そうだ、ツカズ、そのうちグラハムがお前の事務所に挨拶に行くぞ。健吾のライバーデビューの件、グラハムとしても実現させたいらしい。ユニットメンバーの頭数が揃わないんなら、グラハムの方で候補を何人か紹介するってさ」
俺は内心驚いた。グラハムに会ったとき、健吾のことを大事にしている感じはあったが、そこまでとは思わなかった。
と、健吾が巧と司にまっすぐ向き直って言った。
「あの、僕はツカズさんの事務所に移りたいんです。ライバーデビューの話、本気で考えていて。巧さん、司さん、一緒にデビューしてもらえませんか」
「それは、こっちの条件を呑んだらだ。トラッキング技術の話はデビューした後の話だからひとまずそれは置いておいて、まずはツカズ、お前がスポークスマンとしてライバーデビューするっていうのはどうなった」
確かに、そのことはきちんと巧たちには伝えていなかった。俺は巧たちに向き直り、頭を下げながら言った。
「俺はスポークスマンとしてライバーデビューすることになった。よろしく頼む」
「よし。あとは、漫画家の先生のキャラクターを見せてもらわないとな。健吾のマネジメントの話は、また健吾と改めて話せばいい。お前ら、今夜は泊まっていくにしても、明日はどうするんだ。学校は」
「私は明日の講義は休講です」
瑠璃が言うと、健吾も、
「僕も大丈夫」
「じゃあ、問題ないな。帰りは真田の家の庭に転移すればいいだろ」
「真田さんってのは、この前ゲームに入ってきた子か」
俺が訊く。VEMで銃を鈍器として使ったり投擲したりしてきた子だ。もしかして、その子も魔法が、とかそういうのの関係者か?
すると、司が俺をまっすぐ見て、
「津和さん、当然おわかりとは思いますけど、このことは内密にお願いします」
「えっと、魔法のこととか妖精のことか」
「そうです。あとは、異世界の話も」
「そりゃ言わないよ。言ったところで誰も信じないだろうし」
そう言いながら、周防がこのことを知ったらどんな反応をするだろうかと思った。心霊調査とかしているくらいだし、こういう話はすんなり受け入れるのでは。
すると、俺の心の中を読んだかのように司が言った。
「誰にも、ですよ。話す相手とタイミングは僕たちが自分で決めます」
その晩はそれでお開きとなった。健吾と瑠璃はそれぞれこの家に部屋があるとかで、本堂から司や巧の部屋があるのと同じ方へと廊下を曲がっていった。妖精たちも健吾にまとわりつくようにしてそちらへ飛んでいく。
俺は一人、それとは逆の、客室が並ぶ方の廊下へと進み、自分の部屋としてあてがわれていた部屋の布団に潜り込むと、そのまま眠った。
朝が来るまで一度も目を覚ますことなく俺は眠り続けた。
目が覚めたのは朝で、外は綺麗に晴れていた。とりあえず本堂に行く。すると、瑠璃と司が既に起きて食事の支度をしていた。
「おはようございます」
箸を食卓に並べていた瑠璃が顔を上げ、晴れやかに挨拶をしてくる。昨日も思ったが、清楚さと健かさがちょうどいい感じに混じった感じの美人さんだ。
水屋からコーヒーポットを持って出てきた司が俺を見て言った。
「おはようございます。すみません、津和さん。健吾くんと鎔先生を起こしてきてもらえませんか。巧は僕が後で起こすんで。ああ、健吾くんの部屋は僕らの部屋がある方の廊下の一番手前です」
「俺でよければ巧くんも俺が声を掛けてくるが」
「巧は寝起きが悪いんです。慣れた人間がやった方がいい。そうそう、健吾くんがなかなか起きないようでしたら、朝食の支度を僕と瑠璃さんの二人でやっていると伝えてください。そうしたらすぐに起きてくると思います」
俺は納得し、健吾の部屋へ向かった。健吾の部屋に入って気づいたが、もう妖精は見えていなかった。昨日のあれは夢だったのではないかと思うほどだ。でも、東京にいる筈の健吾がここにいるのは事実なわけで、そこは間違えないでいないといけない。
健吾はまだ意識が醒めきってはいないようで、俺が声を掛けても生返事のみで起きようとしなかった。そこで俺は司に言われたとおりに言った。
「今、朝ご飯の準備を司くんと榊木さんの二人でやってもらってるんだが」
「榊木……瑠璃ちゃん?」
途端に健吾は目を開き、起きあがると、部屋を出ていった。健吾が本堂に入っていくのと入れ違いで、司がこちらの廊下に入ってきていた。司は俺ににっこりとほほえみかけた。
「僕が教えたとおりに彼に伝えたんですね?」
「ああ。お前さんと榊木さんが朝食の準備をしている、と。それで何であんな反応なんだ」
俺が言うと、司は意表を突かれたような表情をした。が、すぐに微笑みを顔に戻して、
「すみません、僕、おかしなこと言いましたね?」
「いや。……いや、すまん。俺の方こそ理解が遅かった」
司の意図を察して、俺はなぜか恥ずかしくなってきた。俺の方がかなり年上なのに、何でわからなかったんだ。健吾はただ単に好きな子が他の男と二人きりでいるのが嫌だったんだと。
「あいつがそこまで女の子に執着するタチとは思わなかったんでな、そんなこととは思いもよらなかった」
「まあ、彼はそういう意味で僕のことを警戒しているので。昔、瑠璃さんが高校受験のとき、僕が勉強をみていたんです」
「そうなのか。……うん?それだけで?」
「ええ、それだけで」
司は穏やかに言うが、まあこの容姿にこの物腰だからなあ、異性からの人気はありそうだ。健吾が心穏やかでいられないのもわからなくはない、か?健吾だって容姿で負けているわけでは全然ないし、紳士的な振る舞いをするし、心配することなんてないだろ。
司は俺の背後に目を向けて言った。
「おはよう、巧。珍しいね、この時間に自分から起きてくるなんて」
振り返ると、昨夜の服装で髪があちこちはねている巧があくびをしながら歩いてくるところだった。
「ああ。なんか面白いものが見られる予感があってな。早く起きた方がそれをより早く見られて楽しめそうっていうか」
「面白いもの……?」
俺と司は顔を見合わせた。
と、客用の寝室がある方の廊下から鎔先生のかすれた声がした。
「津和くん……!司くんも巧くんも。ちょうどよかったわ……!」
振り返ると、昨日の服装のまま、先生がスケッチブックを抱えて立っていた。俺は驚いて訊いた。
「先生、どうされましたか」
「うふふふ、見てちょうだい。昨日、夜中から描き続けてたの。とりあえず一段落ついたから、見て!で、今日はまずはスケッチブックを買いに行きましょう。買ってきたらすぐに続きを描くわ……!」
差し出されたスケッチブックを俺は開いて見た。巧と司を描いたものだと一目でわかるキャラクターがそこに描かれていた。鎔先生の絵柄でイラストとして描かれているのに、本人たちを知っていると、確かにこれが司と巧をモデルに描かれたとわかる。そして、こちらもこちらで二人揃って美形だ。
俺の横からスケッチブックを見ていた司は小首を傾げながら巧に視線を向けた。
「もしかして、これが巧が言っていた、面白いもの、なのかな」
司は俺からスケッチブックを受け取ると、それを巧に渡す。巧はぺらぺらとスケッチブックをめくって見ていたが、すぐに大笑いをしだした。
「いいじゃん、これ!なあ、いいよな?」
同意を求めた先は司で、司は小さく笑みながら、
「そうだね。あまりにも僕らすぎる気はするけど。すぐに正体がバレないかな?」
「カフェに来る客はVTuberを見る層とは違うだろ」
「でも僕、市の発表会で踊っていたし。わかる人がいるかも」
「あれだって見に来てたのは店に来るのと同じ客層だろ。第一、バレたところで何に困るっていうんだよ」
「それもそうか。うん、わかった。じゃあ、巧はライバーデビューを了解したっていうことでいいんだね?」
「ああ。お前も参加だぞ」
「わかってるって」
司はそう言ってっから、にこやかに俺に言った。
「そういうわけなので、僕と巧とでお世話になります。よろしくお願いします」
唐突なタイミングに俺は固まったが、すぐに勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いします……!」
その声が大きかったのだろう、健吾が本堂からこちらに顔を出した。
「ツカズさん、どうしたの?」
「ああ、健吾、今、二人がライバーデビューを了解してくれたんだ」
俺の言葉に、健吾も相好を崩した。
「そっか……、よかった。これで前に進めるね、ツカズさん。一緒に頑張ろう」
一緒に、というところで俺は固まった。そうだ、俺もデビューするんだった。
巧がまた大きな声で笑った。
「そうだぞ、お前もデビューだからな。鎔先生、こいつのアバターどうなってるんですか」
「津和くんのは今考えてるわ。その声に似合った素敵なのにするわね……!」
先生は目をきらきらさせながら言った。




