5 瑠璃
突如夜空から健吾と髪の長い女の子が目の前の庭に降り立った。
二人は疲れた様子だった。健吾の方は女の子を気遣う様子を見せ、その子を支えるようにその背中に腕を回している。
俺は掃き出し窓を開け、声を掛けた。
「健吾……?」
俺の声に、女の子の方を見ていた健吾がこちらを見た。驚愕したように目を見開き、立ち尽くす。
「ツカズさん?何でここに」
それは俺の台詞だった。お前こそ何でここに。しかも夜空からあんな風に現れるなんて、一体何がどうなっている。
と、連れの女の子の方が健吾の前に立った。俺を強い目で見てくる。美人だが、その目力にもの凄い圧を感じ、強い目眩に見舞われて俺は思わず一歩後ろに下がった。と、そんな俺の肩を掴む手があった。途端に目眩が消える。
「おい、瑠璃。やめとけ」
いつの間にか俺の後ろに巧が立っていた。昼間のスーツ姿とは打って変わって、黒のハーフパンツの上にだぼっとした白のTシャツをルーズに着ている。
「記憶操作とか、お前の相方ならともかく、お前がやったんじゃこいつが壊れかねない。こいつにはこれからいろいろと働いてもらわないといけないのに」
「でも、今、空を飛んでいるところを見られて」
「瑠璃ちゃん、ツカズさんは大丈夫だよ。話してみよう」
健吾が女の子の背中に腕を回すようにしながら言った。いやだから、さっきから距離が近くないか?お前、普段から女の子に対してその距離感だったか?いや、そう言えばこいつと会うときは大抵一対一で、プライベートで女の子に対する態度がどうかなんて、実際に見るのは初めてか。
「とりあえず、上がったら?」
巧の更に後ろから穏やかな司の声が聞こえた。司はゆったりとしたスタンドカラーの白いシャツに黒のカーゴパンツを合わせ、こちらもリラックスした雰囲気である。
司は手振りで庭先の二人に示した。
「玄関からどうぞ?」
二人は頷き、庭を回って玄関に向かった。その足取りはどう見ても重い。
司は水屋に行くと、湯を沸かし始めた。巧は何をするでもなくその傍に立ってぼうっとしている。俺は俺で今見た出来事について頭の整理が追いつかず、さっきまで司たちの配信をきいていたローテーブルの前の床に座った。当然のことながら、配信は終わっていた。どうも歌が突然終わった感じになっていたらしい。そのことを残念に思うコメントが日本語や英語で書かれているのが確認できた。それ以外の言語でもいろいろ書かれていたが、俺には内容はわからない。
「ツカズさん」
部屋に入ってきた健吾が俺に声を掛けていた。後ろの女の子は不安そうに俺と健吾を見ている。健吾は俺に相対するように床の上に正座で座った。女の子もそれについて座る。
健吾が緊張しているのが、その表情からわかった。俺の方から何か言うべきだろうと思って、とりあえず言った。
「あー、その。こんばんは。こんなところで会うとは思わなかったが」
「はい。ツカズさんはどうしてここにいるんですか。宿を紹介したって司さんは言ってたけど」
「雨漏りで予約した部屋が使えなくなってな。それで、巧くんたちが泊まっていったらどうかと申し出てくれたんだ。まあ、とりあえず、後ろのお嬢さんを紹介してくれないかな。お前の彼女だったら、俺も知っておきたいし」
俺の言葉に、瞬時に健吾の表情から緊張が消え、代わりに狼狽が浮かんだ。
「えっと、あの」
「違います、そういうんじゃないんです」
後ろの女の子の方が即座に力強く否定してきた。
「健吾さんはお友だちっていうか、お兄さんっていうか。前からお兄さんみたいによくしてもらっているんです」
女の子の方は、ちゃんと言えた!みたいな表情をしているが、その前に座る健吾は少しばかり気まずい表情をしていた。それを見て俺はいろいろ察した。あー、すまん、健吾。悪いことをした。うん、俺はお前を応援する。きっといい子なんだろう、その子は。
俺の方も気まずくなって、ふと視線を二人から外した。すると、茶の用意ができたらしい司が、急須と湯飲みを載せた盆を持って水屋に入り口に立っているのが見えた。その口元にほほえみが浮かんでいて、それで、こいつも二人の関係性についてわかっているのだと理解した。邪推かもしれないが、笑い出しそうになるのをこらえているようにしか見えない。
その後ろにいた巧は健吾の窮地というか葛藤をどうでもいいことのように思っているようで、一つ大きなあくびをすると、
「話をしようぜ。お前ら、今日はここに泊まっていくんだろ」
「そうした方がいいよ。瑠璃さんは真田さんに連絡入れたら大丈夫でしょ」
瑠璃、という名前に俺は思い当たった。
「もしかして、この前VR酔いした子か?」
俺の言葉に瑠璃は驚いた表情をしていた。そんな彼女に健吾が言う。
「ツカズさんはこの前のFPSの試合で僕と同じチームだったんだ。ツカズさん、こちらは榊木瑠璃さんです。この前の試合のとき、巧さんに巻き込まれたんです」
健吾が低い声で言うのに、ローテーブルの前の床に腰を下ろしていた巧は居心地が悪そうに、
「まだ怒ってるのかよ。悪かったって。こいつがあそこまでVRに弱いとか思わなかったんだよ」
「大丈夫ですよ、健吾さん。私も悪かったんです、大丈夫かもしれないって思ってしまって。でも次はああいうことはないので」
にこやかに瑠璃が言う。そして俺をまっすぐ見て、
「初めまして、榊木瑠璃です。大学生です」
「あー、健吾と同じ学校の後輩ってことかな」
「いえ、違う学校ですけど」
瑠璃が小さくなりながら言ったので、俺はまずいと思って慌てて言った。
「すまん、変な詮索をして。ええっと、初めまして。津和といいます。ライバー事務所で働いてます。えっと……ライバーってわかるかな」
「はい、健吾さんに教えてもらいました。健吾さんのデビュー、とっても楽しみにしています」
「ああ、えっと……」
健吾のヤツ、何で部外者に話してるんだと俺は思ったが、でも好きな子には話したくなっちまったんだろうなあ。それもわからんではない。
何とも言えず俺は弱り、健吾を見て、巧たちを見た。巧は大欠伸をしているだけだ。司は何事もなかったかのように人数分の湯飲みに茶を淹れ、ローテーブルの上に置くと、健吾たちに声を掛けた。
「とりあえず、お茶をどうぞ」
健吾と瑠璃は大人しくテーブルの前まで移動し、腰を下ろす。
茶を飲む二人を見ながら司は訊いた。
「今日はどうしたの?いきなり飛んでくるなんて何か困ったことでも?」
いや、何で飛んできたのが当たり前のこととして話が始まるんだ。
健吾と瑠璃は俺の方を少し気にしている様子があったが、司と巧は全くそんな感じはなかった。巧はまた一つ大きな欠伸をして、
「ここまで厄介なものを連れてきてる様子はないが、何があったのかは話してきかせろ。今後対応しないといけないことがあるかもしれないからな」
「あの、僕たち、人に追われて、それで逃げてきたんです。多分、芸能記者だと思う」
健吾と瑠璃は、今日約束をして、大学の講義が終わった後の時間に映画を見にいったのだという。それから二人で食事をして瑠璃の家に送っていこうというときに、尾行する者がいるのに気がついたのだと。
巧は首を傾げる。
「お前を最初から張ってたのか、それともたまたまお前を見かけてついてきたのか。……なるほど、最初から見張られてたのか。健吾、お前、瑠璃と会う前から尾行されてたらしいぞ。お前ら二人揃って何で気づかないんだ。特に瑠璃、こいつらは何度も警告したらしいじゃないか。まあ、逃げ込む先をこの家にしたのは良かったが」
巧が一人合点しているのも端で見ていてどうかと思ったが、いきなり出てきた「こいつら」ってのは何の話だと思いながら俺は黙ってきく。
健吾は何か言いたそうだったが、俺をちらちらと見て何も言わない。
と、巧が、
「そうか、こいつがいるから話しにくいか。なら、これでどうだ」
そう言うなり、俺の目の前に手を伸ばし、俺の額を思い切り人差し指で弾いた。脳髄に錐で刺したような痛みが走り、俺は思わずうずくまる。
健吾が非難するように声を上げた。
「巧さん?」
「お前がさっさと喋らないから、喋りやすくしただけじゃないか」
そこからまた二人は何か言っていたが、痛みで俺の頭には入ってこない。
そんな俺の背中を、優しく司がさすった。
「息をゆっくり吸って、吐いて。……どうですか。楽になりましたか」
司の優しい響きの声をきいているうちに、不思議と痛みはおさまってきた。
と、俺は顔の傍を何かが飛んでいったのに気がついた。それはいくつもあり、気のせいではなく。
巧が言った。
「見えるようになったろ?」
何が、とは俺は訊かなかった。それは一目瞭然だったからだ。
羽が生えた小さな人型をした光るモノが俺たちの周りにたくさん飛んでいた。
これって、もしかして妖精とかいうヤツか?




