4 巧の家
宿を探さず、うちに泊まればいい、という巧に、俺は少し慌てた。
「いや、急なことでそれは申し訳ないというか」
「遠慮しなくっていいって。うちは部屋だけはたくさんあるし。まあ、周りに店とかないから夜に飲みに出るとかは無理だけど、酒を飲みたければうちで飲めばいいし」
「確かに、僕ら飲まないのに、お酒ばかりは集まってきてるよね」
司が苦笑気味に言う。というか、二人は一緒に暮らしているのか。
訊くと、司の家はあのカフェ久山の近くにあるのだけど、巧が住む家の方で寝泊まりすることが多いのだという。
司も巧の提案に反対ではないようで、
「どうせ明日来ることになっていたんだし、ちょうどいいと思ってもらえれば。まあ、宿屋みたいな料理は出ませんけど」
「夕食はどっかに寄ってそれなりのを食べればいいだろ」
すると、鎔先生が身を乗り出すようにして言った。
「迷惑でなければ、お願いできないかしら。そのかわり、夕食は私が奢るわ。宿代も浮いたし。それに司くんの言う通り、どうせ明日には行く予定だったんだから、ちょうどいいわ」
「じゃあ、さっさと行こうぜ。ここにいつまでもいたら、久山のおばさんの耳に入って、是非うちに、とか言い出すぜ」
巧の言葉に、司がちょっと顔をしかめる。
「それはちょっと嫌だなあ。じゃあ、夕食の店も鹿鳴じゃない方がいいってことだね?」
「そりゃそうだろ。富室まで行こうぜ」
富室というのは鹿鳴の隣にある町で、焼き鳥が名物らしい。雨がすっかりやみ、星が空に瞬くのを窓越しに見ながら車で四十分ほど行き、巧の指示で小さな店に入る。うまい店だった。鎔先生と俺は酒を飲んだが、司と巧は飲まなかった。巧は酒が好きではないらしく、司の方は飲めなくはないが、車の運転があるし、帰ってから配信もするからという。
そこで一時間ほど食事をして巧の家に向かった。そこから更に車で二十分ほどいった国道沿いから海の傍の森の中に巧の家はあった。
家、と言っていいのか。
月の光の中で見たそれは、和風建築の「お屋敷」だった。泊まる予定だった宿よりも格段に上の風格がある。
司が一人で裏手から中に入り、玄関を内側から開けてくれた。ほろ酔い加減の先生は「あら素敵なお宅ねー」とけらけら笑うだけで、この家に気後れとかかけらも感じていない。いや、こんな広い玄関、なかなかないだろう。どっかの家老の屋敷かよ。
少し高さのある上がり框をちょっと苦労しながら先生が上がるのを司が手助けし、その傍から巧が俺に向かって手を差し出した。
「先生の荷物」
「ああ、ありがとう」
巧にキャリーケースを渡す。巧は先生を誘導して奥に消えていった。
玄関の土間で立ち尽くす俺に、司が声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと予想外に立派な家で」
「ここは元はお寺だったんですよ。寺は廃寺になったんですけど、寺の最後の住職の娘さんが本山から譲り受けて、建物に手を加えてこんな感じに」
「それが巧くんのお母さん?」
「いえ、全くの赤の他人です。そもそもここはグラハムの会社の持ち物で、管理のために巧は住んでるんです」
確かにそんな話は健吾もしていた。
俺は司の案内で奥に入っていった。突き当たりに天井の高い広い部屋があり、そこがかつての寺の本堂ということだった。そこから左手の廊下に入ると客用の部屋が並び、右手の廊下の先に司たちの部屋があるのだという。
「日が上がっている時間帯だと素晴らしい眺めが見えるんですけどね」
廊下から本堂に入った突き当たりの大きな窓を指さし司は言う。
「ちょうどこの窓から海が見えるんです。今はちょっと月があまりよく出ていないですけど、月が綺麗に出ると、海が月明かりに照らされてとても綺麗に光るんです。そんな晩に配信をしていると、巧が歌い出すんですよ。それで僕も一緒に歌うんです」
「なるほど、歌う日とそうでない日があるのは何でだろうと思っていたんだが、それでか。それにしてもいい環境だな」
「ちょっと配信には不向きですけどね。通信を安定させるのに回線を引き込む工事をしないとならなかったから」
「なるほど。今日、配信は?」
「しますよ、これから」
台所や風呂、俺が泊まる部屋について説明をした後、司は配信のために自室に引っ込んだ。
俺は自分に割り当てられた部屋の隣の部屋を覗いた。鎔先生が敷かれた布団の上にうつ伏せになって寝ていた。ほろ酔い加減が続いているのか、気持ちよさそうな表情をしている。
俺は先生に掛け布団を掛けてやり、そっと部屋を出た。手早く風呂に入ってから俺は自分が泊まる部屋ではなく、元本堂だという広い部屋の海に面した窓から外を眺めた。ちょうど月が綺麗に出たところで、先ほど司が言った通りに月の光が海面に照り輝き、美しい光景が広がっていた。
俺は酔い醒ましにペットボトルの水を飲みながら、窓の前にあったローテーブルの前に腰を下ろすと、持ってきていたラップトップを置いて開き、鳳桐香のチャットに返信をした。彼女の用件は一貫して担当者の確認だった。これに対する返信を幾つか返し、残り二人のタレントへの対応をどうしようかと考えたが、社内の共有のスケジュール表によると、二人とも今は配信中であるらしい。だったら今日のところは返信するのをやめようと決めた。もういい時間だし、対応できなかったことについて説明はつく。鳳の対応だけしたことがバレたらちょっとまずいが、鳳は気が回るので、そこはうまくやってくれるだろう。
俺は自社のタレントが配信しているプラットフォームではなく、Twitchを立ち上げ、司たちのチャンネルを開いた。途端に、あの二人の独特で美しい重唱がパソコンから聞こえてきた。この美しい海を眺めながら、巧と司は歌っているらしい。
ここまで来て良かった、と思いながら、俺は水を飲み、ただ海を眺めていた。
そうしてどれくらい時間が経っただろうか。ふと、夜空に何かが浮かんでいるのに気がついた。
目をこらして見る。煌々と明るい月の光の中、二人の人間が、ぴったり寄り添うようにして空を飛んでいた。
俺は思わず腰を床から浮かした。
そんなに猛スピードで近づいてきているわけではないが、二人は間違いなく俺がいるこの建物目掛けて飛んできている。
近づいてくるうちに、それが男性と女性で、そして俺はその男性のシルエットに見覚えがある気がした。
二人は、窓の外から数メートルの庭にゆっくりと降りた。そのときには俺は窓の傍まで寄っていっていた。
ここまで近づくと、二人の人物が誰かはっきりと見えた。一人は髪の長い大学生くらいの女の子。
そして、もう一人は健吾だった。
巧と司の過去編も投稿しています。「僕が巧と出会った日」「僕が巧を思い出すまで」よろしければそちらもどうぞ。




