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RIB(仮)  作者: 曖昧


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鬼Ⅱ

 わぁ! と沸き上がったと思えばあぁ!? と沈む。

 観客達はリングで繰り広げられる戦いに、ものの見事に一喜一憂させられていた。


「うらぁ!!」


 抉るようなフックが鬼の右頬に叩き込まれる。

 拳を振るう次郎の顔は、試合が始まった当初と同じ不敵な顔だ。


「んだ……何なんだよテメェはァ!!!!」


 鬼が断頭刃のように拳を振り下ろす。

 拳を振るう鬼の顔は、闘技場に姿を見せた当初と違い焦燥に満ちている。


「ハッハハ! おらおら、笑えよ三下ァ!?」


 振り下ろされる拳に自分から額を当てていく。

 次郎は試合が始まってから、一度たりとて鬼の攻撃を避けていない。防いでもいない。

 こんな男の攻撃が効くものかと総て真っ向から受け止めている。

 避けられないわけではない、防げないわけではない。

 次郎の身体能力を見ればペースが崩れている鬼の攻撃を一度も喰らわず一方的に殴り殺すことも可能なのは誰の目にも明らか。

 なのに一度も、ただの一度もそんな素振りは見せやしない。


 本当に効いていないわけではない。

 やせ我慢をしているのは観客達だって分かっている。

 なのに次郎がこんな馬鹿を続けているのは、


「…………楽しませてくれてんだよなぁ?」


 実況席に居る権堂がポツリと呟く。


「技術を凝らした一髪千鈞を引く戦いも、技も飾りもねえド直球な戦いも、どっちも良いもんだ」


 そこに情熱が籠められていれば、貴賎など生まれようはずもない。

 この闘技場に集う戦士らは皆、己が持つ情熱の限りに戦いを繰り広げている。

 次郎もそれに倣っているだけだ。

 今日この場所を知ったばかりでも、五体に流るる熱い血がどう言う場であるかを本能で理解出来たから。

 ゆえに観客も、この上なく楽しめている。勝つか負けるか、どっちに転ぶか分からない熱い熱いバトルを。


 人間ならば経験があるかもしれない。

 子供の時分、テレビに齧りついて画面の向こうのヒーローを応援していた記憶は無いだろうか?

 ある程度、視野が広がれば創作ゆえどうせ最後には勝つと理解してしまう。

 だけど理解する前の子供は違う。

 どっちが勝つか分からなくて、大好きなヒーローがピンチに陥れば喉が張り裂けんばかりに頑張れと叫んでしまう。

 今、この戦いを見守っている観客達の心境は正にそれだ。


「ありがとよ、坊や……いや、次郎よぅ」


 此処の流儀で、此処の流儀に唾を吐いた馬鹿を叩きのめす。

 そりゃ何て痛快なことだろう?

 無論、確実を期すなら頭の良い戦い方をするべきなのだろうが、


「それじゃ、男に生まれた意味がねえよなぁ?」


 くつくつと笑う権堂もまた、手に汗握りこの戦いを楽しんでいる者の一人であった。


「ッッ……」


 ふと、隣で呻き声が上がった。

 権堂は視線をリングに向けたまま、その者に語りかける。


「よう、目が覚めたか紅蓮」

「う……あ……お、オーナー……?」


 寝転んだまま腹を抑えながらぱちりと目を開けたのはワーウルフの紅蓮であった。

 寝起きゆえイマイチ明瞭にならない頭で状況把握に努め、


「! そうだ、俺は……!!」

「今は試合の真っ最中だ。此処ぁ特等席だぜ? おめえも見て行きな」

「試合……まさか! あの人間が……!」


 やばい、殺される!

 邪魔をされたことよりも、突然の不意打ちをかまされたことよりも次郎の身を案じて痛む身体に鞭打ち立ち上がるが……。


「――――」


 言葉を失う。当たり前だ。

 殺されていると思っていた人間が今も生きており、鬼の顔面を蹴り上げていたのだから。


「……悪魔を召喚しようとしたことについては、まあ不問にしてやらぁ。

だから、黙ってこの試合を見な。んで、何が足りなかったのか、何をすべきだったのか。

捨てちゃいけねえもんは、後生大事に背負っていかなきゃなんねえもんは何だったのかを……思い出しな」


 顎をかち上げられた次郎の身体が宙を舞う。

 その事実が意味するところは一つ、最早鬼は本来の持ち味を完全に活かせなくなっていると言うこと。

 とは言え、それでも人間からすれば脅威極まる威力なので大差は無いのだが。


「はは、意地でも倒れねえのか……カッケーなぁオイ」


 宙で身体を捻り着地の体勢を取ろうとするが、そうはさせるかと鬼が追撃を繰り出す。

 しかし次郎は両手でそれを絡め取ってそこを基点に体操選手のように身体を回しその顔面を蹴りつけた。


「糞糞糞糞ォ! 何だ、何なんだよ!? 何で邪魔しやがるんだよぉおおおおおおおおおお!!!!」


 それは叫びと言うよりも、最早悲鳴だった。

 頑健な肉体を持ってはいても、不死身と言うわけではない。

 自分より劣る力で殴られたとしても、ダメージは確実に蓄積されていく。

 ゆえに、目の肥えた者らは悟った――――ああ、ケリがつく、と。


「何、そう難しいことでもねえさ」


 瞳に宿る闘志の焔が更に勢いを増す。

 気圧されたように一歩下がる鬼に向かい、ぐるぐると肩を回しながらゆっくり近付いていく。


「来るな……来るな……来るんじゃねェ!!」


 一歩、また一歩。

 どん、と鬼の背中に小さな衝撃が走る。そこはもう壁だった。


「ホント単純なことだ」


 鬼の真正面に立った次郎は大きく足を広げ、めいっぱい身体を捻る。

 典型的なテレフォンパンチにしかならないそれも、精神的に逃げ場を塞いでしまえば確実に当てられる。


「喧嘩の理屈としては一山幾らだよってぐれえのな」


 砕けてぐちゃぐちゃの左拳に力を込め、強く強く握り締め――――


「――――テメェが気に喰わねえ!!!!!」


 観客達の声を掻き消すようにこの日一番の轟音が響き渡った。


「ぁ」


 深々と腹に突き刺さった拳は鬼の背骨を完全に圧し折った。

 内臓も酷いことになっているだろう。

 まあ、人外ゆえの生命力で直ちに死ぬとかそう言うことはないが。


「ふぅ」


 拳を引き抜き鬼に背を向ける。

 もうこれ以上は無いと理解しているから。

 それを証明するように次郎の背後ではどさりと鬼が崩れ落ちていた。

 興味は失せたとばかりに一瞥をくれることもなくリングの中央に戻った次郎は、最後の気力を振り絞り口を開く。


「――――俺が王者だ! 異論はあるか!?」


 瞬間、怒号のような歓声が巻き起こった。

 次郎はそんな観客達に応えるようにボロボロの左拳を天へ突き出してやると、歓声は更に大きなものへ。


「へい実況! マイク寄越せマイク!!」


 正直な話、もう意識を保っているのも辛い。

 辛いがもう少し、もう少しだけやせ我慢をしてこの場を綺麗に〆ねばならない。

 それが王者となった者の責務で、この場のドレスコードだから。


「え? へ?」

「良いから渡してやんな」


 突然話を振られたアナウンサーが困惑するが権堂の言葉に頷き、慌ててマイクを放り投げる。

 それは上手い具合に次郎の下まで飛んで行き、彼は比較的マシな右手でそれをキャッチしスイッチを入れた。


「んじゃまあ、王様として最初に言っておくことがあるからよーく聞いてくれ」


 すっかり次郎の戦いに魅了された観客達はその言葉に従い、直ぐに黙り込んだ。

 一言一句も聞き逃さぬぞと言わんばかりの姿勢に思わず苦笑が滲む次郎であった。


「俺、戎次郎は――――今日を以って、王座を返上する!!!!」


 一瞬キョトンし、直ぐにええ!? と誰もが驚く。

 そりゃ当然だ。散々盛り上げておきながらの引退宣言なんだから無理もない。


「まあまあ、最後まで聞けって。いやな、よくよく考えれば俺公務員だったわ! 副業、駄目、絶対!」


 組織の性質上、国からの予算だけでは足りないのであちこちから金を引っ張ってきているが一部の予算は税金である。

 で、そこから給料が出ているし国連の管理下ではあるのだが神祇省職員は立ち位置的に公務員なのである。


「それと、最初にも言ったが俺ぁ元々此処のファン――つまりは見るのが好きなんだよ。

無論、やるのも好きだぜ? 防衛戦重ねて無敗の王者として殿堂入りとかも楽しそうだとは思うが……」


 あれもこれもと欲張るわけにはいかないと苦笑する。

 観客含めた闘技場関係者にとって次郎は大恩人だ。

 鬼のせいで溜まっていた鬱憤を晴らし、愛すべき馬鹿野郎どもの聖地を取り戻してくれたのだから。

 そんな彼の言うことに異議を挟むのは気が咎める。

 しょうがないかーと言う空気が漂い始めたが、此処で〆してしまえばチャンピオンとして三流以下だ。


「オーナー! ちょいと聞きたいんだが、俺の戦いはどうだった!?」


 突然話を振られた権堂が目を瞬かせる。

 鬼を排除した後は職務もあるのでと辞退するとは聞いていたが、それ以上は聞いていなかった。

 権堂も倒すまでが次郎の役目だし、その後についてはテキトーに何とかしようと考えていたのである。


「……おい、マイク寄越せ」

「は、はい!」

「んん……良い試合だった! ド三流相手でも、此処まで見事なもんを見せてくれたんだ、良いチャンピオンだよお前さんは!!」

「それはファイトマネーを出しても良いと思う程に?」

「ああ! たんまり出してやるから期待してな!!」


 その言葉を聞いた次郎はニヤリと笑った。


「ファイトマネーは要らねえ! 代わりに一個だけ俺の願いを聞いて欲しい!!」

「? 何だ、言ってみろ! 男権堂の名にかけて可能な限り叶えてやる!!」

「流石♪」


 次郎としてはこれからが本番だった。

 深く息を吸い込み、吐き出すと同時に観客達に向かって叫ぶ。


「やろうぜ! 王座争奪戦!! 愛すべき大馬鹿野郎どもを沢山集めてド派手なトーナメントをよォ!!!

これまでこの闘技場で行われて来たどんなイベントよりも盛大なお祭り騒ぎを開こうぜ!!

この俺の後釜に座る、俺よりも此処を盛り上げてくれるであろう最高の王様見つけるためにさ!!!!」


 その言葉に一瞬静寂が訪れたが、直ぐにこの日一番の歓声が巻き起こった。

 最高だ、本当にこの若き王者は最高の男だと。

 誰も彼もが上気した頬でトーナメント開催を叫んでいる。


「ハ……っとによぉ……おお! やってやろうじゃねえか!! 採算度外視のドでけえお祭りをよ!!!!」


 粋なことをしてくれる。

 最後の最後まで、見事なパフォーマンスを打ってくれた次郎に対して権堂は頭が下がる思いだった。


「此処のファンだってえお前さんが心底楽しめるようにな!!」

「サンキュー! ただまあ、最近糞忙しいから直接足を運べるか分かんねえのよ。

だからまあ、そん時は撮影してブルーレイか何かで神祇省にでも送ってくれや」


 直接足を運びたいと言うのは本音だが、昨今の情勢的にそれも難しいだろう。

 残念だとは思うがしょうがないと諦めていたのだけれど、


「バーカやろい! お前さんに合わせてやるよ!

なあ皆! 祭りにこの偉大なる前王者(おおばかやろう)が来てくれねえってのは片手落だちよなァ!?」


 途端、巻き起こる権堂コール。


「良いぞー! オーナーカッコ良い!」

「そうよそうよ! あたしだって次郎ちゃんと一緒にお祭り楽しみたいもん!!」

「幾らでも待ってやるから来てくれよチャンピオン!!」


 ノリの良い奴らだ、いやそれでこそか。

 乱入の方便としてファンだと言ったが、嘘ではなくなってしまったと次郎は小さく笑う。


「そうかい。だったら、楽しみにしてるぜ。紅蓮さん、勿論アンタのファイトもな!!」

「!」


 戦いに見入り、戦いが終わった後のチャンピオンとしての振る舞いに見入っていた紅蓮がビクリと身体を震わせる。


「……ほれ、返してやんな」


 どうしたものかと逡巡している紅蓮に権堂がマイクを差し出した。

 紅蓮は少し戸惑っていたがやがて意を決したようにそれを受け取り、


「ああ! 今日ガッカリさせちまった分も、良い試合を見せると約束する!!」


 言葉は要らない、ニカ! っと飛びっきりの笑みを返しておけば十分だ。

 次郎は捨ててあった上着やらを拾い上げ、鳴り止まぬ次郎コールを背にリングを後にする。


「…………ふぅ」


 薄暗い選手専用通路を半ば程まで進み、誰の気配も無いことを確認した次郎は深く溜息を吐いて座り込んだ。

 王者として最後の最後までカッコ良く見栄を張っておかねばならないから頑張っていたが、流石にもう限界だった。


「あぁ……糞ったれ! あちこち痛え……! 建物を喰うわけにもいかねえし……」


 正直もう気を失ってしまいたかったが、痛みに耐性があるせいで意識を飛ばすことも出来ない。

 いっそ自分で動脈絞めて気絶してやろうと考えていると、


「……ホント、骨の髄まで馬鹿ねあなた」

「よう、どうだった? 良い試合だったろ? 御約束的に、こう言う時は最後は美女のキスって相場が決まってんだが」


 冗談めかして頬を見せ付けてみるが、


「生憎と乙女の唇はそこまで安いものじゃないの。

好いた男でもない限り私は救命行為であろうと唇を赦すつもりはないわ」

「いや、そこは救命してやれよ」

「したわよ」

「ん? 何か言った?」

「別に」

「そうか……ところであのキャラメルとか持ってねえ? 前貰ったの家に置いて来ちまったんだ」

「はぁ」


 と溜息を吐き桔梗は片膝をついて屈み込み、そっと次郎の頬に手を当てた。

 するとどうだ? その手が淡い光を発したと思えば徐々に痛みが引いていくではないか。


「歩ける程度にはしてあげる。でも、私が良いと言うまで悪食による回復は禁止よ。馬鹿なことをした罰だと思いなさい」

「え? いや、アンタも納得してくれたじゃん」

「そうね、あの鬼をあなたが倒すことは承諾したわ。でも、攻撃を全部受けろなんて言ったかしら?」

「う……」


 そこを指摘されてしまうと次郎としても返答に窮してしまう。

 自分なりに最善の形で場を収めたつもりだが、それはあくまで私人として。

 公人――神祇省の職員と言う立場で考えるのならば桔梗が言うようにもっとやりようはあったのだから。


「で、でもよぉ……ほら、明日も仕事じゃん?」

「明日明後日は休みでも良いわよ。土日だし」

「そんなホワイトな職場みてえなこと言って……」

「首無しライダーから今まで、ノンストップだったでしょあなた。此処らで一度しっかりと休んでおきなさい」


 いざと言う時のために英気を養うのも仕事だと言われれば返す言葉もない。


「と言うか私も働き詰めなのよ、いい加減休みたいのよ」

「あー、そういやそうだよな……ん?」

「座ってなさい」


 次郎が気付いたのだ、桔梗が気付かないわけがない。

 二人の視線がリングと反対に続く通路に向けられる。

 薄暗い闇の中から現れたのは、


「殺す……殺してやるぅうううう……!!」


 憤怒に染まる腐れ鬼であった。

 鬼は敗北後速攻で運び出されていたのだが、御優しいことに運営側は治療を施してやったらしい。

 あちこちボロボロで痛々しくはあるが、次郎よりはマシと言った感じだ。


「俺ぁやらなくて良いんだな?」

「ええ、もう殺してしまっても問題は無いし」


 刀を抜き、カツカツと靴を鳴らしながら鬼に近付く桔梗を見て次郎は思った。

 あーあ、可哀想に……と。


「(まぁだ俺にボコられてた方がマシだったんじゃねえの? 命あっての物種って言うしさぁ)」


 自分よりも遥かに強く自分よりも遥かに冷徹。

 元々逮捕されるだけの後ろ暗さを持っていることに加えて、今こうして明確に神祇省に敵対の意思を示してしまった。

 もう、死ぬしかないじゃない。


「ひ、ひひひひい! 邪魔するなら……いや、邪魔しなくても殺してやるぜ!!

なあオイ糞ガキ! テメェ良い子ちゃんだからなぁ!? この女目の前で殺して犯してバラバラにしてやんよ!!」


 カツン! と桔梗が一度だけ強く踵を床に叩き付けるとそこを基点に幾何学模様が通路を埋め尽くした。

 それは鬼にも次郎にも分からないが、結界だ。

 防音に加えて他者の侵入を阻む働きを持つその結界が意味するところは……言わぬが華か。


「ああ、ついでに穢れの授業もしてあげましょうか」


 桔梗の顔面目掛けて放たれた拳は、


「ぇ」


 獣にでも喰い千切られたかのように消失した。

 何が起こったか分からないと言う顔の鬼だったが、痛みは直ぐにやって来た。


「あぁあああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!!?」


 女子供と侮ったのだろう。

 見た目だけで判断すれば桔梗が強いなんて誰も思わないので無理もないが、浅慮であったと言わざるを得ない。

 次郎にぶっ飛ばされた屈辱でただでさえ足りない頭がもっと足りなくなっていたようだ。


「しっかり見ておきなさい」


 丸太のように太い鬼の太股が抉り取られた。

 傷口は腕と同様に喰い千切られたような具合になっている。


「(悪食か……? いやでも、武器使ってるし……)」


 自身の肉体を用いているのならば拳に口を形成したり膝に口を形成したりで同じような傷口は作れるだろう。

 だがしかし、桔梗は左手をポケットに突っ込んだまま片手で刀を振るっているのみ。

 振るう瞬間、腕が消えたように見えるので細部は観察出来ないけれど……。


「(刀か? 刀に口出してんのか? いやでも、そんなこと出来るのか……?)」


 一度二度三度、桔梗の左腕が掻き消えたかと思うと……鬼は見るも無残な状態に成り果てていた。

 あちこちを食い破られ、その度に絶叫を上げ、痛みにのたうち回っている。

 なまじっか生命力が強いだけに中々死ぬことも出来ないのは不運としか言いようが無い。

 まあ、この鬼にやられた人間からすれば自業自得だと嗤うだけだろうが。


「分かった?」

「えーっと……刀で悪食を使った、のか?」

「正解。こんなことも出来るのだと覚えておきなさいな」


 だったら見える速度で振るえと思ったが、


「(見えるなら動体視力、見えないなら洞察力、そこらがどれ程のもんか見てたのかな?)」


 その推測は当たっており桔梗はゆらりと次郎に刀身を見せつけるように構えを取った。

 するとどうだ? 切っ先がバクリと裂け鮫の顎のように変化したではないか。


「肉片一つ残さないわ――――掃除が大変そうだもの」


 ヒュンヒュンと指揮棒を振るうような身軽さで刀を振るうと見る見るうちに鬼の姿が掻き消えていく。

 どうやら穢れを鍛えれば喰らう速度も上げられるようだ。

 そうして一分と経たずに鬼は消え去ったのだが、次郎はどうしても一つツッコミたいことがあった。


「掃除大変そうとか言うけど、血ぃめっちゃ飛び散ってんだが」


 結局掃除が大変なのは変わらなさそうだ。







 翌日、桔梗は朝から神祇省を訪れていた。

 休日だが私服は無いのでやっぱりスーツ姿だが、本人的にも周囲的にもこれが自然なので何の問題もない。


「今、茶を出するがでね」

「ええ、頂くわ」


 今彼女が居るのは神祇省の長であるRの執務室だ。

 ソファーに座る桔梗を甲斐甲斐しくもてなす様はどっちが上司だか分かりゃしない。

 いやまあ、立場こそ変わったが桔梗の方が大先輩なので対応としては間違っていないのだが。


「昨晩はぁ、大活躍じゃったそうやき」

「ああ、彼のこと? やっぱり影響はあった?」

「うむ、朝から情報提供が殺到しちゅうよ」


 神祇省には今朝から件の薬物に関連する情報が寄せられていた。

 真偽が怪しく噂レベルのものも多い玉石混交と言った具合だが、これは神祇省にとってはちょっとした衝撃だった。


「そう」


 差し出された紅茶を受け取り、軽く口に含む桔梗。

 その表情は少しも変わらぬ鉄面皮だが、付き合いの長いRから見れば違う。

 今、桔梗は機嫌が良い。


「わしら寄りゆうても、連中が自発的にわしらに力ぁ貸すわけがやない」


 情報を寄せて来たのは人外である。

 通常、神祇省寄りの人外であろうとも積極的に情報を流したりはしない。

 無論、そう言う者も居るがそれはちょっと特殊な立ち位置を持つ者らである。

 一般の人外は積極的に協力姿勢を見せることで反神祇省の人外に目をつけられることを恐れているから。

 ゆえにあくまで神祇省が聞きに来た場合を除き情報を流すことはない。

 だと言うのに、人外全体からすれば僅かでもそれなりに多い数の人外が情報を寄せて来ているのだ。


「桔梗さん、あの子は意図して?」

「そんなわけないでしょ。第一、その手の下心があったなら彼らも協力しようとは思わないんじゃない?」


 神祇省に情報を寄せていたのは昨日の戦いを見ていた運営や観客、選手。

 そしてその場には居なかったが動画を見せられたり人づてに話を聞いたあの闘技場の常連客達だ。

 彼らは次郎が何となしに口にした”最近糞忙しい”と言う言葉を忘れていなかった。

 神祇省のみならず、裏の世界全体でもおかしな薬物で神祇省全体が慌しいことは知られていた。

 だから次郎もその捜査で忙しいのだと察することが出来た、ゆえに彼らは情報と言う形で協力を申し出たのだ。

 少しでも事件を早く収束させ、一夜限りの偉大なる王者と共に祭りを楽しまんがために。


「ほれっちゃあそうか」

「そうよ。あれは、天性のものね。ある意味で、この上なくこっちの世界にピッタリだと思うわ」

「ほう、そん心は?」

「彼はヒーローなの。ああ、単純な英雄って意味じゃないわよ?」


 もっと単純で、もっと幼稚な意味でのヒーローだ。

 勧善懲悪、強きを挫き弱きを助けるカッコ良くて見ていてスカっとする不屈の存在。

 そんな子供が抱く空想の如きヒーロー像が次郎にダブるのだ。


「こっちの世界に来なければ、それこそ格闘技のチャンピオンとかで表の歴史に名を残したのではないかしら?」


 華のある容姿、骨太なバトルスタイル、心を撫で来るトークと昨日の立ち振る舞いを見れば素養があるのは明白だろう。

 まあ、昨日はたまさか総てが上手い具合に作用しただけで本業にするつもりなら研磨は必須だが。


「まあでも……」

「”此方の世界でも名を残す”――じゃろう?」


 桔梗の言葉を引き継いだRの顔は酷く寂しげだった。


「止める?」

「まさか……私人としても公人としても残念じゃが……はや十分じゃきに」


 その言葉を聞いた桔梗の顔に皮肉と自嘲が入り混じった笑みが浮かぶ。


「そうね。大体、あんな理由で足を踏み入れて惰性で続けて来ただけだもの」

「そう言やぁ、桔梗さんがこっちの世界に足を踏み入れた理由は聞いたことがないのう」

「そうだっけ?」


 まあでもそうかと一人納得する。

 今神祇省の中でも自分が光差さぬ世界を歩く切っ掛けを知る者は一握りだ。

 それも人間ではない神仏の類で、彼らにしたって直接話したわけではない。

 高位存在としての能力ゆえ、勝手に調べ上げたか偶然知ってしまったかのどちらかだ。

 と言うか、そもそもからして同時代を生きていた者らにも自分から説明した覚えはなかった。


「折角じゃ、教えてくれたりは……」

「しないわ」


 バッサリと切り捨てる。

 自分から話を振っておいて何だが、話すつもりは微塵もなかった。


「私が誰かに話すとすればそれは――――」


 生まれて初めての感情を抱いた誰か。

 自分の総てを曝け出しても良いと思えた誰かだが、


「いや、わざわざ言う必要は無いわね」


 それを目の前の土佐野郎に教えてやる必要性は皆無だ。


「桔梗さんらしい」


 塩対応ではあったが、それに気分を害する程付き合いは短くない。

 苦笑を浮かべるRの顔には悪感情などは微塵も存在していなかった。


「しかしまあ、まだ時間はあるが……こっから大変じゃのう」

「何を弱気な。神仏までをも巻き込んで今日の神祇省を形作った男の言葉とは思えないわね」

「買い被りよ」

「やる気があるのだか無いのだか……まあ良いわ。私はそろそろ帰るわ」


 帰ったら丁度昼時ぐらいか、今日のご飯は何だろう?

 などと考えつつ桔梗は家路に着いた。


「にしても……改めて思ったけど、騒がしい場所になったものね」


 初めて東京――いや、江戸を訪れた時には既に家康により開発は始まっていた。

 時代の流れ的に江戸が日本の中心になることは分かっていたが、此処までの発展は予想外だった。

 徳川の治世が二百六十年続いたことも予想外だったしと考えたところで苦笑が浮かぶ。


「……学も何もないただの村娘だった私に時代の流れなんて読めるはずもない、か」


 その日を生きることで精一杯。

 大人になれば誰かに嫁ぎ、子供を生んで、田畑を世話しながら死ぬまで起伏の無い有り触れた暮らしを続けるのだと思っていた。

 だと言うのに初恋を経験するよりも早くに裏の世界に踏み込み、気付けば数百年の月日が流れていた。


「幼い私に説明したって信じてもらえ――いや、そもそも理解すら出来ないでしょうね」


 少しばかりセンチメンタルな気分になりつつ戎邸に帰宅すると、


「よう」

「……何処かに行くの?」


 リビングでは外行きの服装をした次郎が居た。

 外行き、と判断したのは部屋着のジャージを着ていないからだ。


「ああ、アンタと出かけようと思ってな」

「私と?」

「うん。いやさ、休んでた方が良いんだろうけど……こんな天気も良いし家ん中でじっとしてるのもアレじゃん?」


 確かに、と頷く。

 桔梗自身は別段インドア派でもアウトドア派でもないが次郎は違う。

 見たままアウトドア派で、部屋に引き篭もっているのが何よりも苦手な人種である。


「バイク直ってたら、ちょっとドライブにでも行くんだが……まだ修理終わってないだろ?」

「そうね」

「かと言っても何も目的もなしにぶらぶらすんのもアレだと思ったからさ、お前と出かけようかなって」

「……私も、別に何かやることがあるわけでもないのだけれど」


 桔梗の人よりも遥かに人生を振り返っても遊びに行った記憶など一度もない。

 裏の世界に足を踏み入れてからはとある”目的”を、それが破れてからは仕事仕事仕事。

 休みの日は職員が置いていった漫画を読み漁ったりゲームをしたりで余暇を潰していた。

 村娘だった時代も、


「(……何してたっけ私?)」


 同年代の子供と遊んだ記憶など最早忘却の彼方である。


「(いや、思い出したところで意味は無いわね)」


 やっていたとしても鬼ごっことかかくれんぼとかその程度だろう。参考にはならない。

 小学生とかならまだしも次郎は高校生だし、


「(カラオケとかゲーセン?)」

「いや、服だよ服」

「服?」

「アンタ私服持ってないって言ってただろ? だったら買いに行こうぜ。持ってて損になるもんでもねえし、俺が奢るからさ」

「…………あなたが?」

「ああ。まあ、その、何だ? 折角コンビ組んだわけで……ほら、飯とかも奢ってもらったし今度は俺が……」


 などと言葉を連ねている次郎だが、桔梗は既に聞いていなかった。


「(これって――――デート、だと思っても良いのよ、ね?)」


 その鉄面皮にほんの僅かに朱が差したのは言わぬが華か。

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