樹・・・止める。
由梨奈を突き放せなかった俺に、大きな音と叫び声は由梨奈の腕を緩ませ、俺が由梨奈の腕を振り切れる切っ掛けを作ったくれたが…。
だが…
目の前の光景に、俺は呆然とした。
秋継に圧し掛かられた葉月ちゃんの髪は、大きく乱れ、ハイヒールが遠くに散乱している。そして俺が選んだピンクのワンピースの裾が膝の上まで…捲くれていた。
声が出なかった。何も聞こえなかった。
俺はゆっくりと歩き、秋継の胸倉を掴むと、ようやく声が出た。抑揚のない声が…
「何を…している。」
「兄貴…」
俺は秋継を、葉月ちゃんから引きずるように下ろすと、首を締め上げながら
「これはどういうことだ。説明しろ。」
「うっ……」
「樹…や、やめて」
秋継と由梨奈の声がかすかに聞こえた気がしたが、許せなくて、殴らなければ収まらないほど、心が煮えたぎっていた。
だが突然、耳にはっきりと、葉月ちゃんの声が聞こえた。
「久住さん!!何にもないです!だから、これ以上はダメ!」
「…葉月ちゃん…。」
「私が迷子になって、うろうろしているところを、弟さんがこの塀を乗り越えれば、早く広間に戻れると教えてくれたんです。でも私が重たくて、落ちてしまって…こんなことに…」
泣きそうな顔だったが、秋継を庇うように、必死に説明する葉月ちゃんに、なぜだか俺は胸が痛かった。
いつ…
秋継と知り合った?
なぜ…
二人でここにいるんだ?
どうして…
そんなに秋継を庇う?
葉月ちゃんの乱れた髪に手が伸び、撫で付けるように触れながら
「わかった。…でも…。」
俺は秋継に、ゆっくり振り返ると
「女性に、塀を登ることを強要するのはどうかと思う。いつまでも、ガキのようなことをするな。」
秋継の顔は驚いたように、呆然と俺を見ていたが、その顔はだんだんと歪み
「なら、あんたも人の婚約者とこんなところで、なにしてんだよ。10年前の恋の続きをやろうって訳か?あぁ、そうか…。ここはキスをするのには、もってこいの場所だからなぁ。」
「…そうだなぁ。おまえもそう思って、葉月ちゃんを連れ込んだのか…」
「…あんたとは…違う。」
「久住さん!弟さん!も、もう!やめましょうよ!」
ぐぅ~
えっ?今の音は…
葉月ちゃんが慌てて、頭を下げ
「ご、ごめんなさい!昨日の夜から…今日のためにあまり食べてなくて…あのごめんなさい。もうこんなときに…なんて間が悪いの。もう嫌…」
「ぷっ…あははは…」
「く、久住さん!そんなに爆笑しなくても…」
俺の心が…一瞬で和らいだ気がした。
「何にも、食べていなかったの?」
「は、はい。それに…」
「それに?」
「わ、わたし、幼児体型なんです。食べると、お腹がポッコリでちゃって、このワンピースはシルエットが綺麗だから…どうしても、綺麗に着こなしたくて…だから…少しご飯を我慢しようと思って食べなかったんです…。私らしくない事をしちゃったせいで…あぁ…何言ってんの私、自分の体型をこんなところで暴露して…。」
余程、動揺しているんだろう。シドロモドロの葉月ちゃんだった。
可愛いい…
俺が選んだワンピースを…【綺麗に着こなしたかった。】と言ってくれた。なんだか嬉しくて、俺はきっと笑っている。眼の端で、由梨奈と秋継が俺を唖然とした顔で見ているから、間違いないだろう。
葉月ちゃん、君がいれば俺は…
「…樹…」
そう言って、俺の腕に手を置いた人がいた。
泣くような顔で、怯えるような顔で…俺を見つめる人が…
そして…
「兄さん…」
そう言って、俺の腕に置かれた手を見つめ、顔を歪めた人がいた。
悲しげな顔に…うっすらと笑みを浮かべ
「ふ~ん、焼け木杭に…ってやつ?そうか、そういう訳。まぁ、俺はこの高宮 葉月が気に入ったから…。いいよ、兄貴。交換ってことで…。」
「何を言ってる。葉月ちゃんは…物じゃない!それに…由梨奈と俺はそんなんじゃない!葉月ちゃんを巻き込むな!」
俺は、葉月ちゃんへと視線を動かし
「すまない。葉月ちゃんを巻き込むことはさせない。」
「久住さん…。」
俺は…由梨奈の手を外させると
「由梨奈、お前がここを出たいと言う思いは応援するし、助けてもやる。だが…俺はもう10年前とは違うんだ。お前だって違う。よく見ろ。なにもかもが変わったことを…」
「そうね。…確かに樹は変わった。でも…私は10年前と何一つ変わっていないの。教えてよ。あなた以外に…誰が私を救ってくれるのか、教えてよ!」
「誰かじゃない。救ってくれる人を待つんじゃない!自分でやる事なんだ。」
「…嫌。ひとりでなんて無理よ…」
後ずさりしながら、由梨奈は泣きながら、走っていったが、俺はその背中をただ見つめていた。
でも、葉月ちゃんは
「久住さん!追いかけて!追いかけてあげて!」
「追いかけて…どうするんだ。俺にはあれ以上の言葉をかけてあげられない。」
「久住さん…」
あははは…
その笑い声はとても冷たくて、まるで心が凍りついたかのような秋継の笑い声に、俺と葉月ちゃんは困惑した。
秋継は、ひとしきり笑うと嘲るように
「兄貴、あんたは相変わらずだよなぁ。」
「秋継?!」
「今はこのガキのような女が、お気に入りってことか?だから、もう由梨奈は用済みってことなのかよ!」
「何を言ってる…秋継。」
「そうやって、あんたはなんでも手に入れるんだ。ようやく…俺が手にしようとしたものを…なにが【由梨奈、お前がここを出たいと言う思いは応援するし、助けてもやる。だが、俺はもう10年前とは違うんだ。お前だって違う。よく見ろ。なにもかもが変わったことを…】だなんて、言いやがって!そんなことを言って、影では…由梨奈とキスをしていた訳かよ!」
俺はハッとして、唇に手をやろうとして…止めた。
「そうそう、今更、拭おうとしても手遅れさ。赤いルージュがしっかりと付いているぜ。」
そう言って、秋継は俺を睨み。
そして…葉月ちゃんが俺から視線を外し……下を向いた。




