樹・・・知らなかった。
(なにか言えるものなら言ってみろよ。)と睨む秋継の眼。
(恐くて聞けない。)と眼を瞑る葉月ちゃん。
ふたりは、10年前の由梨奈との恋に、まだ俺が溺れていると思っているだろう。
ふたりに何が言える。事実、俺は由梨奈とキスをした。
どういう状況であれ、俺と由梨奈は唇を重ねた事実は……本当の事だ。
そのキスが、10年前の恋はもうすでに終わった事を、俺にわからせたが、それをふたりにどう言っていいのかわからない。
求めたキスじゃない。いや、キスを仕掛けた由梨奈も…本当に俺を求めていたのだろうか。
由梨奈が俺にキスをしたのは、俺を今も好きだからと言ったが、病気も…その理由のひとつだと思う。なぜ、由梨奈が俺にキスをしたのか話せば、由梨奈の病気の事も、ふたりに言うことになる。
だが病気のことは、俺の口からは簡単には言えない。
どうしたらいいんだ。
俺は、俯いてしまった葉月ちゃんにもう一度眼をやり、軽く頭を振って
「…弁解はしない。」
なら、こう言うしか今は……選択の余地はない。
「弁解?出来るのか?赤いルージュを唇につけておいて…笑えるぜ。」
嘲笑う秋継の声に、俺は唇を噛みしめ、殴られても仕方ないと思った。
「おまえが気の済むようにしろ。殴りたいのなら、殴れ。」
病気が、感情を抑えて生きて来た由梨奈を、あんな行動に走らせるほど、心を揺らした原因だとしても、由梨奈をあそこまで追い詰めたは、やはり俺だ。だから…寧ろ殴って欲しかった。
「あぁ…コケにされたんだ。一発や二発で気がすまないぜ。」
「ダメ…ダメです。」
「葉月ちゃん…」
葉月ちゃんは、俺をしっかり見据えると、まるで自分に言い聞かせるように
「何か言えない理由があるんでしょう?私は信じてます。久住さんが理香さんやジョセフィーヌさん、そして私に、話してくれた言葉には、苦しくても、辛くても、前に進みたいと言っている久住さんの心を感じました。だから安易に、そんなことを言っちゃダメです。」
そう言って、一滴涙を零し
「これ以上、弟さんとの間に、溝を作らないで…家族なんだから、そんな風に言っちゃダメです。」
「葉月ちゃん…。」
「なに言ってんだ。家族じゃねぇーよ。こんな奴。」
「弟久住さん、どうしてそんなこと言うですか!十数年、家族として過ごした時間までも、全て否定しないで!」
「なんで、そう家族に拘るんだよ!くだらない…あっ!…そう…そうか…お前は施設で育ったから…。」
施設…?
一体何のことだ?
「施設…って…」
ボソッと言った俺の言葉に、一瞬秋継は驚いたように俺を見たが、唇を可笑しそうに、歪ませると
「あんたの女じゃないというのは、本当だったんだなぁ。親しそうに見えたが…なんだ、知らないだ。」
「なんでそんな意地悪な言い方をするんです!」
葉月ちゃんは、真っ青な顔で俺に向かって
「久住さんに隠していた訳じゃないです。たまたまなんです!ほんとにたまたまなんです、久住さん!」
だけど…胸が苦しくて、俺は
「でも、なぜ?今日…秋継とは会ったばかりなのに…どうして?」
今の俺の声は、震えているかも知れない。ショックだった。葉月ちゃんには何かあることを、理香さんは話の中で、匂わせてはいたが…。確かに葉月ちゃんのプライベートをわざわざ俺に言う必要はない。だが…秋継は、葉月ちゃんから直接その話を聞き、俺は…内容さえも知らなかった。その事実が…どうしてこんなに、寂しく思うのだろうか。
葉月ちゃんは、小刻みに頭を振りながら
「久住さん…私は…」
と話し出した言葉に、わざと被せるように秋継が
「そりゃ、決まってるだろう。高宮 葉月は兄貴のあんたより、俺のほうが気に入ったってことだ。」
葉月ちゃんは、秋継を見て唖然とし
「な、なにを言ってるんですか…」
「いいぜ、高宮 葉月。俺もおまえが気に入っているから、この際、兄貴に今も未練を残す由梨奈との婚約解消をして、お前にしても?」
「ふざけないでください!」
「秋継…お前…」
「ふざけちゃいないさ。そうだろう…あんたと由梨奈は今も好き合っているんだろう。なら…俺との婚約が解消されれば、万々歳じゃないか?寧ろ、感謝されても良いくらいだ。」
そう言って、俺を見る秋継には笑みはなかった。こいつは…何を考えている?
葉月ちゃんを巻き込んでまで、なにをやりたいんだ。
「俺はお前に憎まれてもしょうがないと思っている。だが、葉月ちゃんは関係ない。久住家のゴタゴタに巻き込まないでやってくれ…頼む。」
「高宮 葉月を俺から捕られたくないのか?いやだね。こんなに慌てふためくあんたを見られるのなら、マジに由梨奈との婚約を解消して、こいつを俺の婚約者候補に考える。」
「頼む、やめてくれ!…葉月ちゃんは…今回だけなんだ。」
「どう言う意味だよ?」
「久住家のゴタゴタに巻き込まないという、約束で来てもらったんだ。だから、もう…」
「もう、なんだよ。」
「もう最後なんだ…葉月ちゃんと係わり合いを持つのは…最後なんだ。だから、婆様に眼を付けられるようなことは、やめてくれ…。」
そう…もう…葉月ちゃんとは、会えないんだ。最後なんだ。
「久住さん…も、理香さんから…?」
小さな声に、俺は視線を向けると、葉月ちゃんのへーゼル色の瞳が揺れながら、俺を見ていた。




