樹・・・戸惑う。
「…手を握って…悪かった。」
「樹?」
「だから、由梨奈さんも手を離してくれ。」
「…嫌だと言ったら…」
そう言って、俺を見る由梨奈の顔は心細げだったが
「冗談。」
と言って、俺の手を離すとにっこり笑い
「樹は変わらないわね。私と手を繋ぐのが迷惑なら、突き放せばいいのに…優しいから、どんなに困っていても、嫌でも突き放せない。出会った頃もそうだったわね。」
「…違うよ。俺も…婆様には逆らえなかっただけさ。」
「そう…でも嬉しかった。」
そう言って、由梨奈は笑いながら、涙を零した。
「由梨奈…」
「うん、やっぱり…樹には【由梨奈さん】と呼ばれるより、由梨奈と呼ばれたほうが…いい。」
零れ落ちる涙を指先で拭うと笑った。
あの婆様の話以来、由梨奈は婆様に言われて、秋継の側を片時も離れる事はなかった。だが当時の秋継は、バトルゲームに夢中で、会話の中心がその話ばかりだったので、中学三年生の由梨奈と小学4年生の秋継では、どう考えても会話が弾むとは思えなかった。関係ない俺は、二人とも気の毒なこったとぐらいしか思っていなかったが、どころがどういうわけか、中一の俺が引っ張り出され、二人の会話を弾ませろと、言われる羽目になった時にはさすがに腹がたった。
俺は仲人か…?!
あとは…おふたりで…とか言って席を外す。あれを俺にやれって?!ふざけんな!
そんなことを思っていたから、例え三人になっても、空気は全然良くならなかった、寧ろ悪くなるばかりで、秋継が、我慢できずに度々逃げ出し、俺と由梨奈はふたりだけになる事が多くなっていった。初めはお互いぎこちなかったが、学年が違うとはいえ、同じ中高一貫の私立校。その話からだんだんと話すようになり、いつしか俺は…時折見せる由梨奈の年相応のあどけなさと、そして相反するように見える女の色に惹かれていった。
初めて由梨奈にキスをしたのは…それから2年後の春、北側の庭だった。
そっと触れるようなキスに、由梨奈は泣いた。
「どうして…樹が久住の跡継ぎじゃないんだろう。」と言って、泣いたんだった。
俺が見た、由梨奈が涙を零したのはこのときだけだった。
だが今、由梨奈はあの日以来の涙を、俺の前で零している。
少し痛んだベンチと桜の木。そして泣いている由梨奈。
北側の庭は、由梨奈の唇に触れたあの日を思い出させ、心が落ち着かなくて、俺は由梨奈から視線を外すと、
「もう…涙を拭ってはくれないんだね。あの…」
「…由梨奈…」
「あの女性の涙は拭ってあげるの?そして…抱き「由梨奈…君には関係ないことだろう。」」
「…関係ないか…。そうよね。関係ないのに、私ったら…。樹が10年振りに、日本に帰ってくると聞いて、私を攫いに帰って来てくれたと、どこかで思っていた。」
「…?!」
俺は言葉が出てこなくて、思わず顔を上げると、由梨奈は…
「どうしてだろう。有り得ないことなのに…そう思っていたの。そう思えば、明日も生きてゆけるから。」
腹がたった。今更…何を言っているんだと無性に腹が立った。
じゃぁ、なぜ!なぜ…あの日来なかったんだ。
「何を言っているんだ。来月結婚するんだろう?俺が攫いに来ると思っていれば、明日も生きてゆけるだって!それなら、なぜあの日来なかったんだよ!10年前、俺は言っただろう。辛いのなら逃げようって。だが、自分は籠の鳥だから、外では生きてゆけないと言って、籠の中に留まったのは由梨奈の意思だ。それを今更。いったい何をやっていたんだよ…この10年。なにを考えていたんだよ…この10年。なんにも、変わっていないじゃないか。辛いと言いながら、でも逃げない。もう…振り回すなよ。もう俺を振り回すな。」
「樹!!本当は樹と外に出たかったの!でも籠の鳥だから外では生きてゆけないと…。そう、言わないと!そう言わないと、いけなかったのよ。」
「…どういう意味だよ。それはどういう意味だよ!」
と口にした途端、俺の唇に柔らかい唇が触れた。
驚く俺に、由梨奈はまた唇を重ね、俺の唇の上で、由梨奈が言った。
「樹が好き。ずっと好きだった。」




