葉月・・・唇を噛む。
その人は、鮮やかに笑っていた。
先程見たあの泣きそうな顔が、見間違いだったのかのように…
同じだ。久住さんと同じだ。
それは笑っていないよ。その顔は…
由梨菜さんも…そうなんだ、久住さんが好きなんだ。
10年という月日が流れていても、まだ由梨菜さんの中でも…恋は終わっていないんだ。
どうして?じゃぁ、どうして?10年前に、久住さんをひとりにしたの?
由梨菜さんも久住さんが好きだったのなら…どうして…
「どう…「華子様、先日事務所のほうにお見えになられた折に、お会いできなくて残念に思っておりましたの。」」
私が思わず出そうになった言葉を、理香さんが消すように、久住さんのお婆様に話しかけた。
「えっ?まぁ?!理香さん?まぁまぁ、いつもの弁護士さんらしいスーツと違って、今日はさすが麗泉流の家元のお嬢さんらしい、華やかなお姿ですこと。でも…どうして今日は?」」
「樹さんから、駅で葉月ちゃんと一緒にいるところを、華子様がどうやら勘違いなさったようだと聞いて…、私としては、まだ公にはしたくなかったのですが、樹さんがこの際、はっきりと私たちのことを、華子様にご報告をしたほうが良いと仰るものですから…今日はずうずうしくもやってまいりましたの。」
理香さんの言葉に、眼を大きく見開いた由梨菜さんから、私は視線を外し下を向いた。
良かったの?これで本当に良かったの?
二人ともまだ、惹かれあっているのに…こんな嘘をついて…
10年前とは違う。今なら、二人で生きてゆく事だって出来るんだもの。
久住さんは…そうだ、久住さんはどんな顔している?
久住さん…。
久住さんは、薄く笑みを浮かべて、お婆様を見ている、あぁ…由梨菜さんを見ていない。
久住さん…久住さん!由梨菜さんは…
「葉月ちゃん?」
理香さんが私の名前を呼んだ。
「わ、わたし…これでは…あの…ダメです。私…」
「葉月ちゃん?」
今度は久住さんが私を呼んだ。
いいの?これでいいの、久住さん。
久住さんは、青い顔で心配そうに私を見ている。
あの綺麗な淡褐色の瞳で見ている。
…言えない。
違う…言えないんじゃない、言いたくないんだ。久住さんが由梨菜の気持ちに気づいたら…あの二人は結ばれるから…言いたくないんだ。
最低、私は…最低だ。
涙が出そうで、唇を噛んだ私の前に、大きな体がまるで私を隠すように出てきて
「すみません、私の連れは少し気分が悪いようで…」
ジョセフィーヌさん…
「あら?」
「お久しぶりです。と言っても、もう30年振りなので、始めましてに近いですが、野々村真吾の息子の大吾です。」
「…作家の東条 司さん?!まぁ!!お会いしたかったのよ。野々村先生にお会いしたいと何度も言っていたのに、ぜんぜん聞いてくださらなくて」
「すみません。なかなか日本にいるときがほうが、少ないものですから、お誘いを受けても、どうにもならなくて、そんな理由で何度もお断りしているうちに、こちらの敷居が高くなって、なかなか伺うことが出来なくなっていたんです、でも、樹君と知り合う事ができて、思い切って出てまいりました。今日は楽しみにしてきたんですよ。父から華子様ご自慢のお庭を、拝見させてもらうと良いぞと聞いておりましたので」
「そう、そうなの。見てくださる。」
ジョセフィーヌさんは、そっと理香さんへと私の背中を押しながら
「はい、もちろんです。」と言って、久住さんのお婆様と一緒に、お庭へと歩き出した。
「葉月…」
理香さんは私の名前を呼ぶと、それ以上は何も言わず、黙って私の手を握り、
「樹さん、どこか休める場所があるかしら。」
「ええ、2階にゲストルームがあるので、そちらに…」
久住さんは、そう言って私へと近づこうとしたが…
「…3年前に改築して…」
「えっ?」
「ゲストルームは、ここ本宅から東側の別棟に変わったのよ。樹…さん。」
その言葉に、その声に、久住さんの足は止められた。
「由梨菜…。」
私は堪らなくて、眼を瞑り、耳を押さえたら、押さえた耳の上に理香さんが、ゆっくりと自分の手を重ねながら
「樹さん、私は葉月ちゃんをゲストルームに連れてゆくわ。由梨菜さんのお相手をお願いね…樹さん。」
そう言って、理香さんは私の肩を抱いて歩き出した。
ふたりだ。周りにはたくさんの人がいるけど、今あのふたりには、きっと周りなんか関係ないはずだ。惹かれあう人しか見えていないはず…
きっと、久住さんと由梨菜さんが言葉を交わし、気持ちを確認したら…
私は思わず振り返ろうとしたら、理香さんが
「見るな。葉月。」
「理香さん…」
「今のお前には、樹と由梨菜さんが笑いあっていても、睨みあっていても、どんな姿でも…お前の心を抉りそうだ。」
「…。」
「葉月…お前が考えている事は想像が付く、だが、あのふたりはちゃんと話すべきだ。そしてその結果に対して、あたしらは何も言えない、言うべきでもない。葉月、忘れんな。あたしらは傍観者だ。ただ見ているだけしかできない。」
「傍観者…。」
「恋は、もともとそういうもんだろう。当事者同士の話だ。」
理香さんは私の肩をぎゅっと抱いて
「樹が久住という化け物屋敷から、抜け出たいと思っているのは、お前だってわかっているだろう。そしてその根源はあの10年前の恋だということも。ならそれを片付けないと、ここを抜け出すことができない。そうだろう…葉月。」
わかっている。わかっていたのに…
「理香さん…あの人は…あの人の視線は、まだ樹さんを好きだと言っているのがわかったから、お互いを思う気持ちがまだあるのなら、こんなお芝居をするのはいけないんじゃないかと…でも、でも私ね。ふたりがまた恋をするのが…嫌で…久住さんに由梨菜さんの気持ちが届かなきゃいいと、どこかで思っているの。最低なの私は…こんな事を考える私は最低なの。理香さん、私は最低なの。」
言葉の最後はもう泣き声になっていた。




