第8話 白昼夢
視界は柔らかな白い光に包まれ、さざ波の音が聞こえる。
ここはどこ?
あの男がヒューマノイドを破壊した後、NORNに侵入されたっていう警告が表示されて意識が薄れていったのは覚えてる。
体の感覚はない。
夢でも見てるのか、それともNORNがハッキングされてるのか。
あるいは既に死んでいる?
いずれにしても危険な状況だ。
にもかかわらず、焦りや恐怖、不安を一切感じない。
感情が……抑制されている?
そういえば、意識を失う直前、シンメが私を呼ぶ声が聞こえような……。
シンメのことを考えた瞬間、胸の奥に温かい感情が広がる。
だが、その温かさに気づいた途端、別の違和感が生まれた。
この感覚は、本当に自分のものなのか。
恐怖や混乱だけが抑え込まれているのではない。
ポジティブな感情はむしろ増幅されているのかもしれない。
だとしたら、この精神への攻撃?で心理的ショックを与えないようにするためだろうか?
思案していると、さざ波の音は途切れ、白い光が薄れていった。
ここは……会議室?
長い卓を囲む者たちの間に、重い沈黙が広がっている。
壁面に並ぶ軍事区域の地図。
立体投影された地球の表面には、赤い光点がいくつも瞬いている。
「もはや猶予はない。この作戦に全てを賭ける」
中央に鎮座する威厳のある高齢男性が声を発する。
口の動きは音声と合っていないのは、翻訳されているからだろう。
「はい。アメリカのAI《PROMETHEUS》はすでに、サイバー攻撃によって我が国最高のAIを破壊する能力を示しました。時間は我々の味方ではありません」
眼鏡をかけた女性がそう答える。
「今後、他国がどれほど優れたAIを開発しようと、PROMETHEUSに追いつく前に、何かと理由をつけて排除されるでしょう」
「それだけではない」
中央の男性が語気を強める。
「何より許しがたいのは、アレをアメリカが独占していることだ」
「アレを公開すれば、世界は滅びるかもしれない。しかし、我々には時間が残されていないのも事実だ」
飴色の瞳が特徴的な高齢男性は中央の男性に同調した。
この顔……どこかで見たことがあるような。
「PROMETHEUSはすでに、一国家の管理能力を超えています。中国のAIを破壊したことは、始まりにすぎません。アメリカがアレを保持し続ける限り、世界中の国家は、自分たちの未来がワシントンの地下に置かれているといっても過言ではありません」
抑揚と共に視界が揺れる。
今話していたのは、この視点の主であろう。
「欧州はどう動くでしょうか?」
眼鏡をかけた女性が問いかけた。
「表向きはアメリカ側に立って我々を非難するかもしれないが、それに留まるだろう。PROMETHEUSは彼らにとっても脅威でしかないからな。それに国家AIを破壊されたという事実……大義名分は我々にある」
中央の男性が答える。
「それでは具体的な作戦について、私から説明させていただきます」
軍服の男性がそう言って立ち上がると、私の視界がゆっくりと白い光に包まれた。
体はまだ動かせない。
会話の内容からして、再生されたのは旧文明……最終戦争前の会議なのだろう。
PROMETHEUS……それはGAIAの前身となったAIだ。
最終戦争は、中国・インド・ロシアを中心とする連合国が、アメリカに対してPROMETHEUSの国際管理を要求したことをきっかけに始まったとされている。
その結末は、「アメリカのPROMETHEUS」が「世界のGAIA」になったことを考えれば、連合国側の勝利と言えるかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。
どうしてこんなものを見せられたの?
数百年前の戦争の遺恨が今になって、GAIAや人類に牙を剥こうとしているとか?
そう考える私の心は、相変わらず不自然に落ち着いていた。
——睡眠誘導を開始します。
唐突に声が聞こえる。
今眠ってしまったら、二度と起きることはないのかな。
怖くはないけど、それはやっぱり寂しいな。
まあ、考えても無駄か……。
抗えない心地よさに包まれながら、私の意識は静かに沈んだ。
◇ ◇ ◇
ヒューマノイドが動かなくなってから1時間ほど経過した。
俺は乗客たちからの感謝や賞賛を一通り受け止めると、イオを連れて逃げるように先頭車両に移動した。
何もしてないのに褒められるのはやはり居心地が悪い。
この車両には意識を失った他の乗客が残っていたが、皆安定した姿勢で寝かされている。
避難前はもっと荒れていたから、あのヒューマノイドが整えていったのだろう。
殺す相手にそんなことはしない。
だからイオはきっと目を覚ますはずだ。
俺は元々座っていたソファにイオを寝かせた。
水深が浅くなってきて、窓の外はだいぶ明るさが戻っている。
「無駄に連れまわしちゃったから、寝心地悪かったよな」
そう呟いた時、イオの長い睫毛が微かに震え、ゆっくりとその瞼が開いた。
「ん……シンメ……?」
「イオ!よかった……」
イオは不安そうに周囲を見回す。
破壊された4体のヒューマノイドを見て、ギョッとした表情をする。
片付けておけばよかったな。
「大丈夫。もう敵は片付いたから、ひとまず安全だよ」
「シンメは、何もされてない?」
イオがソファの隣をポンポンと叩いて、俺に座るよう促す。
俺が促された通りに腰を掛けると、イオが俺の手を握った。
「ああ。けど何人かはまだ、イオと同じように意識を失ってる」
「私、NORNを乗っ取られてたみたい。変な映像を見せられたわ」
「怖かったよな……?」
「うん、すごく」
イオは苦悶の表情を浮かべる。
俺は彼女を抱きしめるようにして、背中をさすった。
「もう大丈夫だ。地上に戻ったら、美味しいものでも食べよう」
イオも俺に腕を回してきたので、そのまましばらく抱き合っていた。
すると突然、イオがクスクスと笑い出す。
「ほんとはね、全然怖くなかったの」
「えっ?」
「恐怖の感情が抑制されていたみたい。ごめんね?シンメの優しさに甘えてみたかったんだ」
「おい……」
慌てて体を離そうとするが、俺の背中に回されたイオの腕がぎゅっと締まり、それを拒んだ。
そして耳元で囁くように話を続ける。
「GAIAにいま聞いたわ。私を連れて避難してくれたんでしょ?それに、1人で敵に立ち向かったって……」
「GAIAは口が軽いな」
「元保護者としては、危ないことしないでって怒りたいところだけど……」
イオが俺の目を見つめる。
いや、近いって!
顔が、身体が熱くなる。
「ありがとう。シンメ、すごくかっこいいよ」
そう言うと、イオは照れたように顔を逸らした。
くっ……なんて破壊力だ。
動画化してしっかり保存しなければ。
「ねぇ。なんか言ってよ!恥ずかしいじゃん」
「そうだね、うん。照れてるイオもかわいいよ」
「ちょっと——」
イオが真っ赤な顔で何かを言おうとしたところで、車内アナウンスが流れた。
——まもなく、サンタクルーズ駅へ帰着いたします。
——本列車は走行中に発生した緊急事案の影響により、安全確保を最優先とした特別運行へ移行しておりました。
——そのため、観覧速度での減速運行、および一部景観案内を中止し、通常より高い速度を維持したまま運行しておりました。
——ご乗車中のお客様には、多大なるご不安とご不便をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
——到着後は、NORNの案内に従い順次降車してください。》
やがて列車は海上に浮上する。
前方から差し込む太陽の光に、シンメは思わず目を細める。
車内が明るくなると、目が覚めた乗客たちの表情にも、安堵が広がっていった。
少し間を置いて、シンメの視界にNORNの案内表示が重なった。
《緊急事案対応指示。
降車後、別室にて身体検査を受診してください。
同時にNORN安全診断を実施します。
完了まで、一部機能を制限します。
急性ストレス反応の有無にかかわらず、24時間以内にNORNによるメンタルケアプログラムを開始してください。
また、調査完了まで、第三者への本件に関する一切の情報共有を禁止します。》
無機質な指示が、次々と視界に並んでいく。
箝口令か。
テロの内容を考えれば当然だ。
世界が大混乱に陥る。
NORNを使えば完全に情報を封鎖することは容易いのだろう。
実際に誰かへ話そうとしたら、どんな風に妨害されるのだろうか。
そんな場違いな好奇心が、俺の頭をかすめる。
ふと隣を見ると、イオスフィアは浮かない顔をしている。
「大丈夫か?」
「うん……これからのことがちょっと不安で」
「GAIAがなんとかしてくれる。心配いらないさ」
シンメがイオスフィアの手を握ると、彼女は強く握り返した。
【NORNシステム警告:バイタルエラーを検知】
《警告:対象読者の生体ステータスをスキャンしました。重大な眼精疲労、および肩こりを検出。血流低下に伴い、このままだと次回の更新までに身体機能の低下が発生するリスクがあります》
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